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京都を守り続けてきた『大覚寺』の特別展が、トーハクで始まったので…書き始めたものの…
東京国立博物館で「旧嵯峨院 大本山 大覚寺」が始まりました。 同展の中身については、インプレス Watchというメディアにて、そのハイライトを紹介させてもらったので、興味があればご覧ください……なのですが、大覚寺のことをよく知っているという人は、どれほどいるんでしょうかね。こちらでは、ハイライト記事とは異なる視点から、大覚寺および大覚寺展をnoteしていきます。
■大覚寺とわたし
「大覚寺とわたし」というテーマでお話しすると、まず大覚寺という名前を知ったのは、テレビの時代劇でのことでした。今は分かりませんが、わたしがテレビ番組をよく見ていた数十年前…小中学生の頃は、時代劇の撮影場所として、大覚寺がよく使われていました。それで、番組の最後に「撮影協力 大覚寺」といったようなテロップが流れてきて「大覚寺ってどこにあるんだろう?」って思ったものでした。たしか今年のNHK大河ドラマ『べらぼう』でも使われているような…どうでしょう?
そして5年前の2020年の9月に、京都へ行きました。京都の嵐山あたりにある宿に泊まったんです。わたしは旅行へ行く時に、事前に「どこへ行こうかな?」と旅程を考えたりしません。大雑把には決めておきますが、細部までは詰めません。その時も、宿に置いてあった近隣マップを見て、「あれ…なんかこの大覚寺って聞いたことがあるなぁ」って思って「あぁ…時代劇の撮影場所だ」って思い出して、「サイクリングにちょうど良さそうな距離だね」ってことで、駅前で自転車を借りて、妻と息子と3人で行きました。
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当時は「狩野山楽って、聞いたことがあるような…ないような…」くらいの知識しかなかったのですが、寺の廊下…っていうんですかね?…とにかく寺の通路を歩いて巡り、部屋の中を覗きながら、狩野山楽さんなどの襖絵や障子絵を見て回った記憶があります。
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正直、それらの(おそらく複製の)襖絵や障子絵を見て、ものすごく感動したわけではありませんでした。というのも、狩野山楽さんをよく知らなかったし、廊下から薄暗い室内にある絵を遠くから見ても……見ているようで、ちゃんとは見ていなかったんだと思います。今思うと本当にもったいないようにも思えますが、だからと言ってつまらなかったのかと言えば、否…とても素敵な場所だなって思いました。狩野山楽さんの絵には、ものすごく興味を抱いたわけじゃなかったけれど、それらの絵を含めた空間自体は、とても素敵だなって思ったんです。だから、寺のようで寺ではなく宮殿のような、二条城に近いような雰囲気や匂いのようなものは、とても記憶に残っています。
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さて、大覚寺についてですが、その正式名称は「旧嵯峨院 大本山 大覚寺」と言います。嵯峨天皇が、嵯峨野の地に離宮を作ったのは、平安時代初期…まだ紫式部や藤原道長が生まれる前のこと…平安京が生まれたての頃です。権力を増大させ過ぎた奈良の仏教勢力から距離を置きたくて、桓武天皇は、奈良の平城京から長岡京、そして794年に平安京に遷都しました。
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桓武天皇は、既存の仏教勢力と距離を置いた一方で、新進気鋭の僧侶、天台宗の最澄や、唐から本格的な密教を持ち帰った空海さんとの関係は深めていきました。その息子の嵯峨さんも同様です。特に嵯峨さんは、空海さんとはうまがあったんでしょうね。空海さんは、密教という最新の仏教を習得した上に、書も達者でした。嵯峨さんと空海さん、それに空海さんとは唐への留学時代からの親友である橘逸勢(はやなり)さんは、「三筆」と言われるほどの能書家です。当時の人たちの感覚で「字が上手」というのが、正確にどういうことだったのか分かりませんが、いわば3人は同好の士…それ以上の関係性があったと思います。だから空海さんと嵯峨さんは、友達や親友もしくは親友に近い先輩後輩といった間柄だったんじゃないかと思います。
話があっちゃこっちゃに飛んですみません。
嵯峨さんのお父さんの桓武天皇は、晩年に、今の京都の地に都(京)を遷しました。それから一代置いて天皇となったのが嵯峨さんです。嵯峨さんが天皇になったのは809年、平安京に遷都してから15年後のことです。その在位中には、今の大覚寺がある京の西北の地に離宮を作り、これが嵯峨院の始まりです。
なぜ嵯峨野だったのか? について、よく聞くのが「天皇は、この地をことのほか愛されていたから」という呑気な理由です。ただし、在位中の弘仁9年(818年)には、大飢饉がおこっています。そのほか旱魃や疫病の流行などもあり、嵯峨さんは、親友の空海さんに相談したんでしょうね。そして空海さんの勧めにより、嵯峨さんは、この離宮で般若心経を書写します。同時に空海さんには嵯峨院の中に持仏堂五覚院を建ててもらい、本尊に五大明王をすえて祈願してもらいます。この時の五大明王は現存しませんが、その後も大覚寺では五大明王を本尊としていて、トーハクの大覚寺展でも2セットの五大明王が見られます。またこの時の嵯峨さんが書かれた宸筆(しんぴつ)の般若心経は、今も大覚寺心経殿に奉安されています。そして60年に一度だけ、天皇から勅(ちょく・命令)がくだり、開封する習わしになっています(勅封)。
なお、五大明王については、noteに写真掲載する許可を得ていないため、下の記事に掲載した写真を確認してみてください。
■水と大覚寺
こうした事実をつなげて類推するに……わたしの勝手な想像ですが……嵯峨さんが、嵯峨野の地に離宮を建てたのは、治水のためだったんだろうなということです。
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大覚寺を語る時に、もれなく語られるのが「大沢池」です。曰く「中国の(瀟湘八景で有名な)洞庭湖になぞられて造られ、仲秋の名月には舟を浮かべて観月をたのしんだ」という……これまた呆れた話です。繰り返しますが、嵯峨さんのお父さん、桓武天皇の時代に、平城京から長岡京さらに平安京へと遷都したんです。これって、天皇が「引っ越しまぁす!」と言ったからと言って、簡単に引っ越せるものじゃないですよね。大土木工事が数十年の間に2回も行われたんです。工事に誰が駆り出されるかと言えば、民です。もしかすると民たちは「また遷都するんだってよ。インフラ工事でバブルが到来だな!」と喜んだ可能性もゼロではないでしょうけど……当時のことを想像すると「また遷都だってよ……わしらもうダメだ……」と、絶望していたんじゃないかなと。そんな時に、離宮を建てたうえに風情のある庭池を作り、そこに龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の舟を浮かべて、貴族たちが優雅に観月の会を催していた…って、どんな天皇ですか? という話です。
じゃあなぜ嵯峨野に離宮や大沢池を作ったのか?
嵯峨天皇の時代には、前述のとおり大飢饉が起こりました。民はもちろん、税収が激減する朝廷からしても、たまったものではなかったでしょう。そこで天皇としては、飢饉が解消するよう神に祈願した…その地が今、大覚寺がある場所ということです。
「昔の人は祈れば飢饉が解消すると思ってたんだから、困ったもんだ」と思ってしまいそうですが、いやいや、だからこそ大沢池という溜池を作り、その水を農業用水として分配し、周辺を豊かな農地としたんですよ。
……というのは、わたしの勝手な想像です。
わたしが数年前に嵯峨野の地をサイクリングしたのは、ちょうど稲の収穫時期でした。「京都から少し外れただけなのに、田んぼがいっぱいあるな」と驚いた記憶があります。見渡す限りに稲穂が頭を垂れて、田んぼを囲むように咲く、真っ赤な彼岸花がとても印象的でした。
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これら、わたしが自転車で通り過ぎた農地が、嵯峨さんが作った大沢池(それに誰が作ったか分かりませんが、広沢池)のおかげだったのか、確かなことは、わたしには分かりません。ただ、このnoteを書きながら調べていたら、たまたま京都府立大学の松田法子研究室による『京都と水/その1』というnoteを見つけました。これを読む限りは、わたしの想像も、あながち間違っていないんじゃないかと思います。
また、大覚寺になる前の嵯峨離宮に、深く関わったのが、嵯峨さんの親友または盟友である弘法大師空海さんです。
空海さんと言えば、単に真言宗の宗祖や三筆の1人なだけでなく、治水の神様的な存在でしたよね。地元・讃岐国では、今でも活躍する溜池…満濃池が、お大師様によって弘仁12年(821年)に築造されたと伝わっています(実際には改修とも言われています)。
空海さんは、土木や治水の天才でもあったんです。そのことからわたしは、大沢池の築造にも、空海さんが関わっているんじゃないかとも思っています(完全なる想像です)。でも空海さんってこの頃、大覚寺にも嵯峨さんに呼ばれてよく泊まっていたでしょうけど、健脚な登山家(修験者)でもあっただろう空海さんなら、すぐに飛んで来られるような距離にある神護寺(現:高雄山 神護国祚真言寺、当時:高雄山寺)を拠点にしていたと思うんですよね。だから空海さんが、大沢池の築造工事を指揮していたとしても、不思議はないだろうと…わたしは思います。
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「水」に関連する話を続けます。嵯峨の離宮は、その後に嵯峨さんが上皇となり院政を敷いた際に、嵯峨院となります。さらに、嵯峨さんが崩御してから30数年後の貞観18年(876年)には、娘の正子内親王(淳和天皇皇后)が、寺に改めて大覚寺を建立しました。その後、寺の勢いは浮沈を繰り返しますが、江戸の初期になると、嵯峨エリアの水位が下がったようで、農業用水が不足気味になった…と、何かの資料で見かけたのですが、いま見つけられませんでした。で、大事なのは、当時の大覚寺のトップ・法親王と、治水工事で有名な角倉了以(すみのくらりょうい)が、大覚寺の裏山ともいえる山中に溜池を作る計画を立てました。彼らの在世中には完成しませんでしたが、2人の遺志を継いだ角倉了以の甥たちが、今は菖蒲谷池と呼ばれる溜池と、そこの水を北嵯峨へ通すための隧道(トンネル)を完成されました。
だからなんなの? と言われると…想像で書いているので困るのですが、大覚寺は真言宗の寺ではありますが、平安遷都以来、京都の食を守ってきた嵯峨野の、水の神…氏神のような存在だったんだろうと…勝手に想像しています。
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■肝心のトーハク『大覚寺展』のこと
いやぁ……いつものことですが、書きたいことを書き始めたら止まらなくなり、今回の主題であるトーハク『大覚寺展』の話に辿り着いていません…。特別展については、次回以降に書きたいと思います。
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