トーハクの考古室を、久しぶりにじっくりと観察(ハート形土偶やカッパ形土偶……国宝もあり)
東京国立博物館の、考古室にある土偶のラインナップが、一新されていました。みみずく土偶だったメインは、ハート形土偶へとメンバーチェンジです。
■ハート形土偶
顔の形がハート形だから……ハート形土偶という、そのまんまのネーミングです。こちらの土偶の存在は知っていましたが、さてどこで出土したのかと言えば、群馬県の「東吾妻町」とのこと。町の名前を読んでみたら「あずま…あずま…ちょう?」……「いやいや…ひがし あずまちょう…だよなぁ」なんて迷ってしまいました。
土偶とは直接関係ありませんが、町の沿革を見てみると、「ひがし あがつま まち」と読むそうです。ただしこれは2006年に「吾妻町と東村が合併してからの名称です。そのため本来なら、「あずま あがつま まち」と読むのが適当ですね。
Wikipediaを見てみると、町の紹介文に「『ハート形土偶』の出土地、また日本一短い鉄道トンネル(旧樽沢トンネル:2014年廃止)があったことで知られる。」と記されています。しっかりとハート形土偶がトップに据えて、歴史好きにアピールしつつ、鉄道ファンにも馴染みのあるネタを入れてきていますね。ただ個人的には、『真田の岩櫃城跡がある町』としてくれた方が、地図上の位置がイメージしやすいです。とはいえ、そういう……けっこう山間の町で見つかったということです。
後頭部に折損のあとがありますね。どんなものが、あったんでしょうね。ヒントとなる土偶が、宮城県の仙台市博物館にありました。残念ながら著作権をクリアできる画像や、公式サイトにも画像が載っていなかったので、下記をクリックしてみてください。ダイレクトで、その「大野田遺跡出土のハート形土偶」が見られます。
横からの画像がありませんが、色んな人がアップしている画像を見ると、背中からハート形の頭部へと、円柱が伸びています。さらに大野田遺跡の土偶では、円柱がそのまま頭の上にまで伸びて、バカ殿的な“まげ”のような感じです。きっとトーハクのハート形土偶にも、かつては同様の“まげ”があったんじゃないかと想像させる土偶ですね。
ちなみにこのハート形土偶は、北関東から東北、越後などから何体も出土しています。川端康成が愛蔵していたのも「ハアト型」ですね。
ちなみに康成土偶は左右の目の中に2つの穴が開いている点が、ほかのハート形と異なる点です。鼻筋が通って高いてんは共通しますが、鼻孔が細長ですね。しかし、当時はこうした土偶が、普通に骨董品屋などに並んでいたのかもしれませんね。(鎌倉の川端康成記念館所蔵)
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■遮光器土偶
■河童形土偶(カッパ型土偶)
出土地の地元にある長者ケ原考古館の解説パネルには「大正5年頃に、長者ケ原遺跡西側の斜面で個人によって発掘されたもの」だとされています。
「地表約10cm前後で2つの大きな砥石(石皿)を重ねた上に、頭を東方にした仰向けの状態で発見されました」と、出土年代は大正5年“頃”とあいまいですが、出土時の様子は詳細に記録されているようです。
高さ30cmで左右の手先間19.2cm。長者ケ原考古館の解説パネルには「大型土偶」に分類しています。また、脚(つま先?)と顔の一部が壊れていますが、頭はもっと大きいものだったかもしれないなと、個人的には思いました。
そのほか、背面には赤い彩色が残っているようです。どうやら全身が赤く塗られていたと推測されています。
■そのほか土偶
「岩偶」といえば、民藝運動を主導したことで知られる、柳宗悦さんの「岩偶」が有名ですね。
先史時代の石彫として、その美しさを大いに発揮しているものと云へよう。乳房が大きいから女躰であろう。何か信仰的所産であるに違いない。紋様は宛ら巴紋の如くだが、必然の発生だろう。こういうものを見ると、縄文時代の作から字義通り「古くて新しい」感を受ける。而も彫像の技術は後代の方が遥かに進んでいるのに、表現の美に於ては殆んど進歩を見せないのは、どういうわけか。或人は粗野と評するかもしれぬが、粗野のままで美しいのだから、道は無限なのだということが分る。
柳宗悦がこの岩偶を、考古学者の芹沢長介の父で、民藝仲間だった芹沢銈介から譲り受けた話は、様々なブログに記されていました。ただし、それぞれ若干、譲り受けた過程について、誤りがある記述が多かったです。
その経緯を、おそらく最も正確に記しているのが、太田出版のWEBサイトです。引用すると長くなり、またわたしが誤りを記すことになるかもしれないので、興味がある方は、下記をご確認ください。
■巻貝形土製品
貝を模した土製品を初めて見たのですが、実はイノシシに次いで出土例が多いそうです。またこの作品のように、岩礁性の海岸に棲息する巻貝を模した例は、東北各地で出土しています。そして巻貝の形をしつつも、殻口を注ぎ口とした容器として使えるよう、作られています。全体に赤彩が施されていることから、儀礼での用途も考えられるとのこと。
以上の参照サイト
国際縄文学協会『「遮光器土器の曙光・2」安孫子昭二』
21世紀中国総研『ハート形土偶、遮光器土偶、金生土偶を貫く三大特徴』(PDF)
国立歴史民俗博物館『福島県の土偶』山内幹夫
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■古墳時代の出土品〜『家形容器』・『埴輪 船』・『陶棺』ほか
『家形容器』は、鳥や馬、船などとともに朝鮮半島でよく見られる陶質土器です。日本語の解説パネルには「この家形容器は日本列島に他に類例がなく、陶質土器の直接的な影響を見てとれる」とあります。少し回りくどい表現ですが、英語パネルには「This house-shaped vessel was made using techniques from the Korean Peninsula.」とあります。つまり「当時の朝鮮半島の技術で作られたもの」としていますね。
西都原古墳群から出土ということですが、地図で確認すると、同古墳群は最寄りの海岸線から約10km内陸に位置しています。同地域が、古墳や埴輪が作られた古墳時代には、海のすぐそばだったのでしょう。入江が今よりも広く、湾のようになっていた…と言うべきかもしれませんね。
粘土を焼いて作った棺(ひつぎ)です。トーハクにもいくつかの同種の陶棺が、収蔵されています。
本体(身)と屋根部分に別れて作られた上で、それぞれが2つに分かれています。脚が3列に計24本あります。
古墳(飛鳥)時代・7世紀 岡山県美作市平福出土 平成館考古展示室にて2022年6/12まで展示 本作品は仏のような人物と馬のレリーフが特徴の焼き物の棺です。 下にあるのは蓮の蕾でしょうか。仏教の影響が垣間見えます。
陶棺の一辺には、レリーフが刻まれています。中央の人が、両脇2頭の馬を従えています。下部から伸びる2本のなにかは、蓮の蕾だと説明されています。また、これをもって、仏教の影響が見てとれると言われているようです。
“土へんに専(のような)”の文字は、“専”の旧字です。また、古代ではレンガや瓦のことを“塼(せん)”と書いたようです。そのため『方形塼仏』とは、そのまま土をコネて作ったレンガみたいな材質の仏様ということです。
■国宝『伯耆一宮経塚出土品』
現在の鳥取県・伯耆の国の一の宮、倭文神社から出土した『伯耆一宮経塚出土品』として、一括で国宝指定されました。
国宝指定品には、経筒や仏像、銅板仏像、銅鏡のほか、檜扇や短刀、刀子やガラス玉、銅銭、漆器片などが含まれています。
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