『やまと絵』展なのに…来年開催の特別展『本阿弥光悦の大宇宙』のプロローグ的な豪華品が並んでいます@東京国立博物館
先日のnoteで寛永の三筆と言われる、江戸時代の能書家、近衛信尹さんについて記しました。「寛永の三筆」と言えば、だいたいイメージできますが、江戸時代の初期の元号、「寛永(1624年〜1644)」に(おそらく公家や大名の間で)流行した、能書家トップ3のことです。
この三筆には、近衛信尹さんのほか、本阿弥光悦さんと、松花堂昭乗さんが挙げられています。
この三筆の作品が……現在、東京国立博物館(トーハク)で、いくつか展示されているんです。特別展『やまと絵』に関連し、同館の総合文化展(いわゆる常設展)で開催されている特集展『近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-』の中でのことです。
書跡と「やまと絵」とに、どんな関連があるのか? とも思ってしまいますが……書をしるした屏風や料紙などに、きれいなやまと絵が描かれているからです。それにしても……多すぎません? と思っていたら、来年(2024年)の1月16日から、特別展『本阿弥光悦の大宇宙』が開催されるんです。
ははぁ〜ん、この光悦展の序幕して、作品を多く展示しているんじゃないか? というのは、わたしの邪推でしかありません。
■寛政の三筆とは
寛政の三筆とは、生まれた順に本阿弥光悦さん(1558〜1637)と、松花堂昭乗さん(1584〜1639)、それに近衛信尹さん(1565〜1614)が挙げられています。
おそらく3人とも知り合いだったと思いますが、こんな話が残されています。
まぁ……実際にあった会話かどうかは分かりませんが……本阿弥光悦さんと、近衛信尹さんが、そうとう仲が良かったのではないか? ということを示すエピソードです。
では松花堂昭乗さんは、どうだったのかと言えば、現在トーハクに展示されている《色紙三十六歌仙図屏風》は、近衛信尹さんと松花堂昭乗さんが制作に関わっています。どれくらい関わったのかは、解説パネルを読むだけでは分かりませんでした。
2人が、どれを記したのか……わたしには分からないのが残念です。いつか、書いた人や詠んでいる歌を調べようと思うので、ここに保存しておきます。
■本阿弥光悦さんの、絵が浮き出る料紙
本阿弥光悦さんが記した、《芥子下絵和歌巻》も展示されています。
解説には「芥子坊主 (芥子の果実) を胡粉と雲母で描いた料紙」を使っているとあります。実は、この解説を読んでも、どういうことなのかイメージできません。ただ、描かれている芥子坊主が、光の当たり方によって、見えたり隠れたりする、面白い紙でした。
上のように、普通に立って、見下ろすように見ると、芥子坊主がよく見えません。それが、体をかがんで見ると、下のように芥子坊主がくっきりと浮かび上がってくるんです。
なんだこれw? と、展示ケースの前で立ったりかがんだりしながら見ていました。こういうのも江戸時代にあったんだなぁと。
この料紙も、もしかすると本阿弥光悦さんが仲の良かった、俵屋宗達さんの工房から仕入れていたかもしれませんよね……って、研究者の方に「それはないっすよ」って、さらりと否定されてしまうかもしれませんけど……。
それにしても本阿弥光悦さんの文字は、魅力的ですね。ひらがな混じりの和歌だからかもしれませんが、柔らかい筆のタッチが見ていてス〜ッと心地よいです。
ちなみに、『新古今和歌集』巻第11の詞書と和歌を散らし書きしているのだそうです。解説には「晩年の筆と推測され、筆線に震えが散見されます」とありますけど……どれが震えなのかは見つけられていません。
それにしても、今回の展示ケースの照明と、わたしのカメラの周波数なのかパルスみたいなのが合致してしまったのか、画像データが波打っているんですよね……。動画ではよくありますけど、静止画でも、こんなに目立つことってあるんですね……。カメラ設定で改善できるんだったかなぁと思いながら、対策とらずに撮ったのですが……パソコン画面だとすごく目立ちますね。
下の《光悦謡本》は、ひと見開きだけが見られるよう展示されているのですが……なんで特集「やまと絵」に展示されているのか分かりませんでした(前期にも別の巻が展示されていました)。
調べてみると、どうやら……よく見ると植物などの文様が描かれている紙を使っているようです……が……カビっぽく見えるのがそれなのか……。
ちなみに明日から2024年2月4日までは、本館5または6室の「武士の装い」の部屋で、本阿弥光悦の書状(高木聖雨氏寄贈・B-3554)が展示されます。こちらは見たことがありますが、そのときには本阿弥光悦の書に、それほど興味もなかったんですよね……「へぇ……」って思いつつ、通り過ぎてしまいました。今度は、しっかり見たいと思います。
■近衛信尹
《和歌屏風》は、以前noteに記した近衛信尹さんの《柿本人麿自画賛》の隣に展示されています。前期にも展示されていたようなのですが、その時は、なんで「この屏風が、やまと絵なの?」って、分からなかったんですよね。
今回の特集展では、この書が主役なのではなく、屏風の周縁部が主役です。
いやでも、改めてちゃんと見てみると、近衛信尹さんの筆も、いい感じだなぁと思いました。筆圧の強弱が、いいなぁとね。特に「信」という文字が良かったです。
■(番外編)後陽成天皇
寛政の三筆ではないのですが、制作当時に「当代屈指の能書」による寄り合い書の調度手本……というものが展示されていたので、ここで紹介します。
寄り合って記したのは、後陽成天皇のほか、おなじみ近衛信尹さん、それに聖護院道澄、智仁親王などです。展示されているのは、何巻かあるうちの、後陽成帝が記された1巻。
「金銀の砂子や箔を撒いた上に金銀泥で下絵が描かれた華麗な料紙です」と記されているとおり、とにかく豪華です。なんとなく鎌倉時代以降の朝廷は、貧しかったのかなぁなんて思っていましたが、織田信長なのか豊臣秀吉などは、けっこう優遇……というと話がおかしいですけど……朝廷が困らないよう、遇していたのかなと。
■(番外編)国宝《法華経方便品 (竹生島経)》
国宝《法華経方便品 (竹生島経)》は、特集「やまと絵」の会場ではなく、同じく本館2階の通称「国宝室」に展示されていました。
なぜ今回のnoteに加えたかと言えば、本阿弥光悦が……というよりも本阿弥家が、熱心な法華衆徒だったようなので……というのと、この経の最後に、寛政の三筆の一人、松花堂昭乗(1582~1639)が、寛永4年(1627)に跋(あとがき)を記しているからです。
琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺に伝来したため「竹生島経」と呼ばれます。平安時代に奉納されたようですが、松花堂昭乗は跋(あとがき)に、源俊房(1035~1121)が記したもの、と鑑定しています。ただし、トーハクの解説によれば、「本巻の書は、転折(折れ)が柔らかい和様の筆致」であることと「装飾下絵」を合わせて検討すると、書写年代は11世紀の初め頃だと推定。「俊房の筆ではない」と否定しています。
以下、書については「きれいな文字だなぁ」以上の感想が書けないため、料紙に描かれた絵を中心に撮ってきた写真だけを貼り付けておきます。
料紙の下絵は、金泥と銀泥で描かれています。時代が経ってしまったからか、金も銀もキラキラしているわけではなく、かなり落ち着いた色合いです。
そして、最後に継ぎ足しされているのが、松花堂昭乗による跋(あとがき)です。こちらも納経に記されるような、読みやすく整った文字ですね……それでも読めませんけど……。
今年の国宝室は、やたらと法華経ばかりが展示されています。ほとんど法華経だったんじゃないですかね……。
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