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ローマ帝国からササン朝ペルシアを経て、奈良の古墳に副葬された青い《ガラス皿》の謎……@東京国立博物館
奈良の橿原市にある新沢千塚古墳群は、総数約600基の古墳が確認されています。その中でも126号墳は、5世紀後半に造成されたと考えられるもの。竜文の透かしをもつ金製冠飾りや垂下式耳飾り、指輪、腕輪、玉類など、多数の装身具が出土したことで知られています。そして、それらの出土品の多くを、ありがたいことに東京国立博物館(トーハク)で、だいたいいつでも見られます。
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■126号墳から出土した《ガラス皿》と《ガラス椀》の由来
新沢千塚古墳群を地図で見ると、奈良盆地の南部に位置しています。東5kmには飛鳥寺が、北17kmには法隆寺があります。←特に2寺院との歴史的な関連性があるわけではありません。代表的な寺院を目安にすると、位置関係が分かりやすいかもな……ということで両寺院を地図に表示しています。
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新沢千塚古墳群をGoogleMapで拡大していみると、ぼこぼことした地形が広がっています。同エリアの北の方にあるのが126号墳です。
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なぜ今回、改めて新沢千塚古墳群の126号墳の出土品に注目したかと言えば、下記のWebサイトをたまたま見たからです。(なぜこのサイトを開いたのか……その経緯は不明です……なんでだろ?)
同記事内では、東京理科大学の阿部善也助教と中井泉教授らの研究グループが、大型放射光施設SPring-8の高エネルギー蛍光X線分析技術という、なんとも凄そうな技術を使って、126号墳から出土したガラス皿を検査した、その内容が記されています。「いつも展示されている、あの青っぽい皿じゃないか!」ということで、興味をそそられ……その内容のほとんどは理解できないものの、読み進めてみました。
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上述した記事というか論文には、色々と専門的な用語が出てくるので、詳細についてはさっぱり理解できませんが……要するに、高エネルギー蛍光X線分析技術というのを使うと、非破壊検査が行えるということ。その結果、この126号墳から出土した青い《ガラス皿》には、レアメタル元素のアンチモンが検出されました。記事によれば「アンチモンは、紀元前からローマ帝国期(前27~395年)までの地中海周辺地域のガラスに特徴的に見られる元素で、特に2世紀ごろまでに製作されたガラスに含まれる」とのこと。つまりは、この青い《ガラス皿》は、遅くとも2世紀までに、ローマ帝国で作られた可能性が、高くなったということです。
あれ? でも2世紀に作られたものが、約300年かかって日本にやってきて、新沢千塚126号墳に副葬されたということ? という疑問が出てきます。これについては、「2世紀以前に地中海周辺で作られたガラス皿がササン朝ペルシャ(226~651年)に運ばれ、絵を施した後に5世紀の日本に運ばれた可能性を示唆している」そうなのです。
え? なんでササン朝ペルシャが関わっていると推測されるの? といえば……。この青い《ガラス皿》とセットというか、重なるように副葬されていた円形切子の《ガラス碗》があるんです。e國寶には「ガラス碗と皿は、被葬者の頭の右脇から、碗が皿に乗った状態で出土した」とありますし、出土地の橿原市がまとめた資料『新沢千塚126号墳 図面・写真』のなかに掲載されている「第12図 埋葬施設と主要な遺物の配置」や、126号墳の解説看板に描かれた埋葬状態の復元イメージを見ると、その状態が良く分かります。
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こちらの《ガラス碗》も、そのガラスの化学組成を調べてみました。すると「ササン朝ペルシャの首都、クテシフォンに隣接した王宮遺跡『ヴェー・アルダシール(Veh Ardašīr)』で見つかったガラス片のものと同じであることが判明し」たんです。そのため、青い《ガラス皿》が一度ササン朝ペルシャへ伝わり、数世紀後に、《ガラス碗》とともに日本に伝来したと考えられるようです。
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いずれもトーハク所蔵
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わたしは世界史をきちんと学校で勉強したことがないのですが……塩野七生さんの西洋史関連の本は大好きで……まぁ『ローマ人の物語』は、何冊目かで挫折したままになっていますが……。でも、その頃のローマで作られたガラス皿が、ササン朝ペルシアを経由して、朝鮮半島から日本へ伝わってきたって……なんて壮大な話なんだろうって、感動してしまいます。
まぁ古代史の観点でみると、誰がガラス皿やガラス椀を日本に運んできたんだろうとか、そのほか副葬品にある朝鮮半島製のアクセサリーを含めて、それらを得る対価として、古墳時代の日本人は、何を輸出していたのかなぁ? ってことも気になりますね。
そうしたことは書かれていないと思いますが、純粋にガラス皿の分析については、さらに詳しい結果が、下記の論文等で知ることができそうです。100%文系脳のわたしは、一瞬読んで頭がフリーズしてしまったので……リンクのみ残しておきます。
『小田コレクションの分析による 日本の古代ガラスの考古化学的研究』
『日本出土アルカリ珪酸塩ガラスの 考古科学的研究 -弥生~古墳時代に 流通したガラス小玉の再分類』
また、ササン朝の遺物が日本を含む世界のあちこちで発見されているということを示す地図を掲載しているブログがありました。機会があれば、じっくりと読んでみたいと思います。
■《ガラス皿》に描かれていた文様
前項では、青い《ガラス皿》の由来について記しましたが、色々と調べているうちに、よく見かけたのが……青い《ガラス皿》には、鳥、樹木、花、馬、人物などが描かれていた痕跡が残っている……ということです。
「へぇ〜、そんな絵が描かれているなんて、全く気が付かなったなぁ」と思って、トーハクへ行った時に改めて《ガラス皿》を確認してみました。ですが……絵が描かれていたという痕跡は、全く視認できませんでした。できるだけ色んな角度から見てみたんですけどね……「なんか表面がシミなのか手垢みたいなので汚いなぁ……」なんて思ったものです。
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実は、そのシミとか汚れのようなものが、文様の痕跡だと言われているよううです。で、どんな文様が描かれていたのか? というのが、なかなか見つけられませんでしたが、前述の橿原市の資料『新沢千塚126号墳 図面・写真』の中にありました……「第30図 ガラス製皿の文様の痕跡」です。
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へぇ〜っと思って、《ガラス皿》を真正面から撮ってきた写真と見比べてみました……が、全く分かりませんよね……。
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まぁでも青い皿の写真を、じ〜っと見ていると、不思議なことに少しだけ文様が浮かび上がってきました。最初に浮かんできたのは、先ほどの文様イラストの10時方向にあるハート形の樹木? のような文様です。そこでこれを頼りに、イラストレーターでイラストを回転させて2つの画像を重ねてみました。下図の赤というか茶色の部分が、特によく分かると思います。まぁ信じる者には見えてくるかもしれませんw パソコンやスマホの指紋を取り除いてから、見比べてみてください。「これだぁ〜」って気がついた時に、少し感動しました。
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以上、日本史の空白の4世紀を経た、5世紀の古墳時代の国際交流を感じさせる皿と椀をnoteしてみました。意外とね……人間って、古代からかなりの遠距離を移動して交流しているんですよね。例えば縄文時代だって、長野と北海道とで交流していたりとかね……となれば、九州あたりでは朝鮮半島や、もしかすると中国とも交流していたでしょうしね……。古代の物流史みたいなものは、とても面白そうですね。これからも機会があれば、チェックしていきたいと思います。
■過去に撮っておいたトーハクの《ガラス碗》
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大阪府羽曳野市 伝安閑陵古墳出土
古墳時代・6世紀
クラブ関西寄贈
ササン朝ペルシアで盛んに生産された吹きガラスのカットグラス(切子ガラス)で、特産品としてユーラシア大陸に広く分布します。貴重な珍しい品として、多くの人々の手を経てはるばる日本列島へともたらされたとみられ、正倉院宝物にもほぼ同一規格品が伝来しています。
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