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支えられた記憶

 月初めに、ある事例検討会で発表をした。発表の準備、発表前に先生と食事をいただきながらお話したこと、自分の経歴を含めて発表したこと、そのあとの質疑応答、打ち上げ…。どれもこれも、それだけで何か文章が書けそうな気がする密度の濃い経験だった。

 今回の経験を経てとても印象に残っているのは、この大舞台を前に、自分が変に緊張しなかったということだ。
 緊張はしたけれど、「良い緊張」という感じ。そして心地よい疲れを味わって終わった。

 比べて思い出したのは、学生時代の卒業・修士論文発表、ゼミ発表、学会発表の記憶だった。当時、私はいつもすごくすごく緊張していたように思う。コメントをもらうことが怖かった。
 今思えば、「興味を持ってくださったからこその質問なんだな」と自然に思うのだが、なぜだかどれもこれも自分のだめなところ、至らないところを指摘されているような、そんな気持ちが強かったように思う。学生なので、(というか、今でも、ただ一人の人間であるので、)至らないところはあって当然なのに。
 そんな風だったので、たとえ「面白いね」と興味を持って話しかけてくださった先生がいらしても、「私にはおそれ多い」となぜか委縮して、距離を置いてしまうようなところがあった。

 「自信がなかった」と一言で言ってしまえばそうなのかもしれない。

 ただ当時は、自分のまわりに対して警戒心が強く、とげとげしていた。発表中は、耐性領域でいう「過覚醒状態」であったと思う。
 そういう時には、周りで支えてくれている人がいても、視野が狭くなっていて気付かない。落ち着いて考えれば、「怖い」と思っていた相手ですら、本当は支えてくれている人だったのかもしれないのに。

 今回の発表では、当日まで、そして事後にも様々な支えがあった。例えば、司会の先生からは、丁寧なご連絡と励ましを要所要所でいただいていたし、仲間からも応援を受けた。発表中のやり取りも大変勉強になった。
 その一連の流れの中で、私はこれまで生きてきた中で受けてきたたくさんの支えについて思い出すことが何度かあった。

 そう考えてみると、私の今回の「発表」という経験は、セラピーの体験でもあったんだなと思った。
 カウンセリングの中で、カウンセラーと話をしたり、箱庭を作ったり、あるいは夢について話したりしながら、1人では立ち向かうことが難しい課題に対して、支えを感じながら、乗り越えていく。その過程の中で、それまで気が付かなかった物事について思い出したり、これまでとは違った見方が出てきたりする。そしてそれを話し合うことで、自分の中に取り入れ、力を得ていく、そういう経験だ。

 私には、いくつかの支えられた記憶があった。そのことに気づいたことで、また頑張ろう、という気持ちがわいてくる。
 今回私の事例発表を聞いてくださった臨床心理士の先生方と同じように、私も、良い臨床ができるように自分自身を磨いていきたい。
また、今そう思えている自分自身に対しても、心強さを感じている。







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