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私も一日2時間ピアノを弾く生活を送りたい~『老後とピアノ』稲垣えみ子著~
「老後とピアノ」稲垣えみ子著(ポプラ社)を読んだ。
書店で見かけたとき、36歳になってピアノを再開しその楽しさにハマっている私には、きっと共感できること間違いなし!と思って手に取った。
自分があまりにも弾けないもどかしさ。
何十年ぶりに受けるレッスンの緊張感。
大人だからこそコツコツと練習できようになったこと。
そんな大人の習い事あるあるを「うんうん」と共感しながら楽しく読み進めた。
だけどこの本から一番私が影響を受けたことは、稲垣さんの1日2時間ピアノを弾けるという時間の使い方。
うらやましい。会社員で毎日の通勤に2時間を費やす私には、どうやってもピアノの練習のために2時間を捻出することができない。
朝起きて家族4人分の夕飯を作り、3人分のお弁当を作り、朝食を作り家を出る。午後7時に帰宅し、夕飯を食べて、洗濯をし、お風呂に入って寝る。
自分の好きなことのために使える時間が1時間あれば、その日は大満足。
そんな毎日時間に追われる生活だけど、10年後には1日に2時間ピアノを弾いたり本を読んだり、自分の好きなことをできるような生活を送れるようになっていたい。そう強く思った。もちろんちゃんと収入も確保したまま。
この本を読みながら、急に自分の理想の生活がリアルに目の前に現れた。
・満員電車に乗らなくてもいい生活
・昼間にピアノを2時間弾くことができる生活
10年後にはそうなっていたい。そのために今できること(フリーランスになれるようなスキルを身につけるとか裁量制で働けるようになるとか)をもっと実行したいと思うようになった。
そしてこの本は、私に10年後の具体的なビジョンを示してくれただけではなく、ピアノを弾くことへの後ろめたさを拭いさってくれた。
私はずっと、たいして上手くもないのにピアノを弾き続けていることをきちんと自分で認められていなかった。
人から「今もピアノ習ってるってすごいね」と言われても、「いえいえ、全然たいしたことないので」と勝手に卑屈になっていた。
別に、言った相手は子供のころからの趣味を続けていることを褒めているのであって、ピアノのレベルは話題にしていなかったのに。
これ以上うまくなりようもないのに、時間を費やしてピアノを弾く私。
そんな「無意味で価値のないこと」を続けるのってどうなの?ともう一人の自分がいつも話かけてきていた。
でも、この本を読んで、自分のピアノに意味がなくても価値がなくてもそれでもいいんだと思えるようになった。
私は一体どこへ行きたいのだろう?
考えてみれば変な話だ。私はいつも、ピアノの前に座ることを楽しみにしている。それは、自分にも、ほんのわずかでも美しい音を奏でられることが嬉しいからだ。
ならばそれで良いではないか。十分ではないか。
なのに、なぜ「どこかへ行こう」とするのか。
(中略)
どうせどこへも行けないのだ。ならば、どこへも行かず、今、この場所を、この瞬間を楽しめば良いではないか!
弾いているだけで幸せならそれでいいではないか。上手くなろうと思わなくてもいい。稲垣さんにそう言ってもらって、楽になった。
そもそも「価値がない」の価値って誰が決めるの?
ピアニストにならない私のピアノ演奏は、無駄なものなのか?
なんでそんなふうに思ってしまっていたんだろう。子どものころ、合唱のコンクールの伴奏で止まってしまった記憶によるコンプレックスからかな。
どこから湧き出てきたかわからない、なぞの自分の思考の歪みにも気がつくことができた。
天才音楽家たちが作った美しいメロディーを自分の指でなぞることができる。その幸せと喜びで十分ではないか。
例え、だどだどしい演奏でも自分でドビュッシーのメロディーを奏でられるのは楽しい。
好きなことがあって、それをする時間が幸せで。なんと豊かな人生だろう。
ただ楽しむことに価値があり、その時間を目いっぱい満喫することの悦びを稲垣さんに教えてもらった。
これからの私のピアノライフをもっともっと堂々と楽しもうと思えた。
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