できない時も事もある
介護職から撤退すると言って大見得を切った8月某日の事を思い出します。
現状で人手不足からの過剰労働になり、心身がすり減った僕は介護職になる前に工場作業員だったので、リフトの免許も持っているので工場のリフト作業をする仕事に応募しました。
面接で見事採用をしていただき就業させていただく事になりました。
初日はどれくらいリフトに乗れるかの確認と、工場の中を徒歩で1周して各作業場所を歩いて確認させていただき、これから行う仕事の教育を受けました。
まずは4トントラックに積んだ台車を各作業場に届けるという仕事から始める事になりました。
初日はどんな事をしているか見ていてくれとの事で、メモをしながら動きをみていました。
先輩はやはり慣れているので、舞を舞うように仕事をどんどんこなしていきます。
仕事も終わりかけの最後の方の時間になり先輩に
「台車引いてみますか?」
こういわれた私は
「お願いします」
と言って台車を引いて動かしてみました。
…(めっちゃ重いですやん…これを軽々と移動させていたのですね💦)
と心の中でつぶやきながら、何とか所定の位置まで台車を移動させることができました。
先輩はニコニコしながら
「重いでしょ?ゆっくり慣れてくれれば良いから、ケガだけは絶対にしないようにしてね。大変だけど身体を目一杯使う仕事だから筋肉もつくし、体力もつくし、俺は健康診断にしょっちゅうひっかかっていたのに、この会社入って、ほとんどAになったよ」
こういわれた僕は一抹の不安を覚えながらも、翌日から本格的にスタートする仕事に向けて帰宅して、夕飯を食べ、お風呂に入り、睡眠をとりました。
勤務2日目。
先輩の運転するトラックの助手席に乗り込み、道順やトラック運転の注意点などを聞きながら、台車を降ろす作業ポイントに到着しました。
この日の気温は38℃予想で、朝から日差しも強く更衣室まで行くのにかなりの汗をかきました。
先輩が500mlのポカリスエットを買ってくれていて、水で薄めながら飲むと良いですよとシェイカーもプレゼントしてくれました。
休憩所に浄水器を通った水を入れるシンクがあるので遠慮なく使ってくださいとの事でした。
水もポカリも用意して、作業スタートです。
先輩の動きを思い出しながら、台車を指定の位置まで持っていきました。
すでに身体の水分がほとんど出てしまったのではないかという感覚になり目と口に入る汗は塩分を沢山含んでいて、目はしみて痛く、口に入る汗は塩辛かったです。
トラックに乗り込み水分補給をしました。
用意してあったポカリと、水合わせて1ℓを飲み干してしまう勢いでした。
2か所目の作業ポイントは風通しの悪い場所で移動距離は短いのですが、暑さに体力を奪われる感覚でした。
半分は先輩が台車を下ろし、僕が残りの半分を先輩に教えてもらいながら指定の位置まで持っていくという感じで仕事を進めていきました。
3か所目を回った所でお昼休みの時間になりました。
僕は水筒に入れて持ってきていたお茶を飲みながら、持参したおにぎりを食べていました。
先輩に昼食の内容を聞かれて、インスタントの味噌汁を持ってきて塩分補給もした方が良いと教えていただきました。
休憩も終わり、午後の仕事のスタートです。
実質初日の仕事なので、身体も緊張しているせいもあって必要以上に汗をかいたのかもしれません。
昼イチの作業ポイントにつき先輩と午前中と同じ要領で仕事をはじめました。
ふくらはぎが突っ張るなという感じがしましたが、そのうち治るでしょと思っていたのもつかの間、次の作業ポイントでトラックから降りてすぐに両足のふらはぎがこむら返りを起こしました。
人生で経験した事のないくらい激痛で、肉離れでも起こしてしまったのかと感じました。
先輩はすぐに椅子を用意してくれて、日陰で荷物を降ろすまで休んでいるように指示を受けました。
待っている間もこむら返りは治ることなく、とにかくトラックで休憩所まで運んでもらうことになりました。
ソファがあるのでそこで頭と脇を冷やして休んでいるように言われました。
上司もすぐにきてくれて、意識があるか、会話はできるか、呂律は回っているかの確認にきてくれました。
OS-1を持ってきていただき飲んでみるように言われました。
めちゃくちゃ甘くておいしかったのを覚えています。
OS-1が甘くておいしいという事は……脱水症状の証拠です。
すぐに検温もして37.3℃。
完全に軽度の熱中症を起こしていると判断されました。
その段階で今日の仕事はストップになり、退勤時間まで休憩室で寝ていました。
退勤時間には意識状態も良くなっていたので、車で帰る事も許可され帰宅しました。
帰宅後はこの世の地獄かと思うくらいの頭痛と吐き気におそわれ、ほとんど一晩眠れませんでした。
上司にam6:00頃に連絡をして、身体状況を伝えると
「今日は仕事をさせることはできないから休養してくれ」
と言われやすみになりました。
こんなにも体力がなくなっているなんて思わなかったし、こんなにも酷暑が怖い物だとは思いませんでした。
午後からはかなり回復をしてきたので、外に出て散歩をしてみました。
まだ目まいがするので50m程歩いて引き返しました。
2024年の夏は一生忘れることがないでしょう。
それから8月は、毎日熱中症になり仕事もさせてもらえない状態が続きました。
9月に入り上司から別部署に異動することを勧められ、異動することになりました。
その移動先がパワハラ中間管理職がいるとの事で、定着率が非常に悪いとの事で上司からは
「君のほうが年上だし、少々キツイことを言われたら反撃しても良いから」
と言われました。
異動初日、早速事件が起こりました。
パワハラ中間管理職が
「俺と同じ速度で仕事してもらうから。見て覚えるとかあり得ないから。」
そう言われ仕事がスタートしました。
「リフトで荷物持ってくるから、邪魔にならない所に居て」
そう言われ、リフトの動きを見ながら自分の立ち位置を変えていました。
「無駄に動くな!!気が散る!!」
と言われ僕は
「すみませんでした」
と頭を下げました。
リフトからパワハラ中間管理職が降りてくると
「この部品は合計で20種類以上あって~~」
と、早口でまくし立てるように話を始めました。
メモを取ろうとしていると
「メモなんか取らなくていい、やりながら感覚で覚えて!!」
と耳元で怒鳴りつけられました。
心の中で何かがプチンとはじけました。
そして僕はパワハラ中間管理職に言いました。
「アンタ本当に仕事を覚えてもらいたいと考えてる?」
パワハラ中間管理職は
「何が?どういう意味?」
僕は更に続けました。
「あなたの仕事のやり方はパワハラです。僕はあなたに怒鳴られることは何一つしていません。ただ君が威張りたいだけにしか感じません。」
パワハラ中間管理職は
「言い合いしても仕事もまだ覚えてない人に文句言われる筋合いは無いので仕事をしてください」
と急にブルブルと触れ始め敬語になりました。
それは何故かというと、僕がメンチを切りながら話していたからです。
出っ歯のパワハラ中間管理職の歯が当たる位に顔を近づけて話を聞いてやりました。
パワハラ中間管理職は、
「この部品は25kgあるので2個で50kg、分かります?こうやって持って、あそこのラインに乗せるから、俺の後について来て」
と言われ、指示通りに部品を持ちラインまで運びました。
そうしたら、パワハラ中間管理職が僕の肩に身体を当ててきました。
僕は体勢を崩して、部品ごとラインの前で転んでしまいました。
パワハラ中間管理職は
「何やってんの?この部品使えなくなるんだよ?1個25000円するの。50000円の被害ね。始末書書いてもらうから」
僕は理不尽な言い方に腹を立て、立とうとした時に腰に激痛が走りました。
ぎっくり腰になってしまったのです。
パワハラ中間管理職は
「マジ?勘弁してよ?仕事始まって1時間も経ってないよ?今日はもう帰って」
そう言われ僕は上司に車で迎えに来てもらい、自分の車まで乗せてくれました。
「ロッカーから荷物持ってくるから車のエアコンつけて待ってて」
上司は親切に僕のロッカーから貴重品を持ってきてくれました。
そして信じれない事を話始めました。
「ウチの会社、10年以上労災出してないんだ。だから病院に行った時は仕事中のケガって言わないでくれるか?家で荷物の上げ下ろしをしていたら、ギックリ腰になったって言ってくれ。頼むぞ」
これが病院によくポスターが張ってある<労災隠し>というやつなのかと実感しました。
非常に罪の意識を感じましたが病院で上司に言われた通りに話をして診断書を出してもらい、傷病手当の手続きをしました。
上司から電話があり、
「アイツに色々言われたみたいだけど、アイツを許してやってくれんか?今度昇進する事になって、アイツにも家庭があるし、君は独身貴族だから家庭持ちの気持ちは分らんだろうけど、誰にも今回の言い合いのことを話さないでくれんか?」
僕はあきれ果てて、
「申し訳ないのですが、労基署に報告をさせていただきます。身内に弁護士がいるので今回の労災隠しの件も相談して裁判で争いましょう」
僕はもう情けないやら、悔しいやらで、お世話になった上司に口答えをしてしまいました。
「俺は創〇学会の信者だから、あんまり下手に動くと君の将来に影響するから、大人しく今回は俺の言うこと聞いてくれ。復職してからは穏便に事を運ぶから」
上司は脅しをかけてきました。
「望む所です。創〇学会って反社なんですか?やるなら徹底的にやりましょう」
僕は切り返しました。
「君を予定解雇通知する事にする。今から手続きに入る。もう会社に来なくていいから。詳しくは事務員から連絡させるから」
上司は冷酷にこう告げました。
9月は謹慎処分となりお給料は、傷病手当2週間分のみ…
家族に全てを話したら、
「そんな仕事場にいかんでもええ。辞めてまえ!!」
と父が激怒していました。
謹慎中と診断書で休める9月の前半で、次の仕事を探さなくては!!
某有名転職サイトに掲載されていた介護職の派遣の夜勤専属の仕事に応募しました。
そうしたら翌日に面接を派遣会社の担当の女性の中していただきました。
翌日には採用が決定して、身分証明書と色々な書類を提出して、退職の翌日から仕事始めとなりました。
という訳で、一度もリフトに乗る事のないまま工場勤務を辞め、2か月で介護職に戻ることになりました。
今日は2024年11月1日。
働き始めてから1か月半が過ぎました。
人間関係も円滑で、施設長のご尽力もありスタッフの皆さんに助けていただきながら腰痛を抱え業務してまいりました。
毎夜勤のたびにバファリンを飲みながら仕事をしてきました。
今日は夜勤明けですが、試しにバファリンを飲まずに起床介助から朝食配膳までを行い退勤してきました。
無事痛みもなく、帰宅しお風呂に入って現在に至ります。
1日でも長く、今の施設で勤めていきたいのでスタッフの皆様に信頼していただけるような仕事を行い、利用者様には安心安全な介護を提供させていただく所存です。
ここまでご完読ありがとうございました。