見出し画像

歳を重ねるほど、心を遊ばせる

歳を重ねるほど、何かにつけて意味や意図、メリットや理由を見出したがる。
私もそのひとりだ。

反面、大人になるほど「心を遊ばせる」ことが必要だと思わずにいられない。

昨日、長年の付き合いがある方とランチに行った。
そこで文具を片づけている話をして、正直に迷いを打ち明けた。

昔から好きで集めていたスタンプを、手放すか考えあぐねいていたのだ。

20代の頃、センスのいい雑貨屋さんや駅地下の片隅にあったお店ですこしずつ買い集めたスタンプの数々。

木箱に収まる小さな家や小鳥、うさぎ、水玉やブロックチェックのモチーフ。

あるいは缶ケースに収まった、豪奢なカールを描くアルファベット一式。

それらは年月とともにチェストの奥へと追いやられ、近頃では取り出すのも面倒で、使うのが手間でしかなかった。

なのに、話せば話すほど、スタンプへの愛着が蘇るようだった。

その夜、リビングとは別の部屋で何やらしていた息子に「スタンプ遊びしない?」と呼びかけた。

実家に余っていた大判のスケッチブックを1枚切り離し、すべすべした面をテーブルに広げる。
真っ先に手放そうと段ボールに移したはずの木箱と、残しておいたインクパッドを抱えて次々にふたを開けた。

息子は印鑑でも捺すように、インクパッドにビスケット柄のスタンプを押しつける。
私は何度も軽くインクをつけて、凹んだ部分につかないよう気をつける。
モチーフは木箱の中でも大きく陣取る家を選んだ。

ウェットティッシュを脇に置いて、時折インクを変えながら、ひたすら好きな柄を捺した。

ちょっとかすれた風合い、インクの濃淡、ときめくモチーフの数々。
心の赴くままに、スケッチブックを思い思いの模様で埋めていった。

「たのしかったね」

後片付けをしていると、息子がにこにこしながら言った。
「そうだね」と笑顔を返す。

子どもは大人よりも、ずっと自分の「したい」や「好き」にまっすぐだ。

意味も理由も関係なく、したいからする。
好きだから好きを貫く。
それ以上を求めない。

歳を重ねると、それ以上の何かを渇望するようになる。
時折そんな自分や誰かに気づいて、いやになる。

だからこそ、時々は心を遊ばせよう。
ただ好きだから。楽しいから。
それだけのために。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

おおやまはじめ/手帳と暮らしのライター
サポートをいただけましたら、同額を他のユーザーさんへのサポートに充てます。