ノートのなかくらい、善良でなくてもいい
心を亡くすと書いて「忙しい」という。
漢字のつくりがあまり好きじゃなくて、いつも「いそがしい」とひらがなにしている私が、新年度の目まぐるしさに心をなくしかけていた。
そういうときほど、心の中に爆弾があると、何かの拍子に誘爆して大切な人を傷つけてしまう。
そんな日は、ちょっとした時間にB6のノートを開く。
15分、長いときはそれ以上、心の内を思いつくままに書き連ねる。
育児ノイローゼのときから始めた「モーニングページ」。頭のなかのごみを書き出し、創造性を高めるワークだ。
最初はB5のノート3ページ分が、晴らされなかった怒りや悲しみで簡単に埋めつくされた。
繰り返していくうちに、ノートを開く間隔は空き、恨みつらみを書くことも減った。
創造性を高めるより、心の掃除に近い。
反面、近頃はノートを書いていても心がブレーキをかけているのか、胸の内をさらけ出せないと感じる。
同じようにモーニングページやジャーナリングをしていても、ノートの上でもどこか「いい人」を脱ぎ捨てられない人が多いのではないだろうか。
そこで先日、こんな試みをしてみた。
ノートを書く最中、BGMに激しいアップテンポの曲をエンドレスでかけたのだ。
選曲はRPG「アンダーテール」の人気曲、「メガロバニア」。
ゲーム中最難関を極める、あるボス戦で流れる屈指の名曲だ。
このゲームにはおおまかに3つのルートがある。
うち、主人公が残虐行為に徹するルートがあり、メガロバニアはそのルートでしか流れない。
この曲をかけながらノートを書いたところ、鬱屈としていた気持ちをためらいなく書けた。
終了後はいつもよりスッキリしていた。
私はゲーム音楽をたまたま選曲したが、バッドテイストな曲なら好きなものをかけるとよい。
善良、もしくはそうであろうとする人ほど、自分のなかの悪を認めるには抵抗がある。
かつては私もそうだった。
『人の心には必ず善と悪がある。どちらのほうを向くかは、君次第だ』
うろ覚えだが、「ハリー・ポッター」シリーズのルーピン先生のセリフがいまでも記憶に残っている。
善も悪もあって当たり前なのだ。
実のところ、noteはたまに「いいことを書いたほうがいい」雰囲気を感じて勝手に疲れる。
かといって、自分が満たされないのにも気づかず、脊髄反射のように赤の他人にたてつくほど愚鈍ではない。
大切な人はもちろん、最低限礼を尽くす場では善良であるために、ノートのなかくらいはときおり「善良でない」自分を解放してやってもいいのではないだろうか。
※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。ありがとうございます。