小説指南抄(18)必見、読書感想文指導法

必見、読書感想文指導法

(2014年 08月 22日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)
 夏休みも残すところ一週間、子供たちは宿題に頭を悩ましている頃ではないだろうか。その中でも、読書感想文に悩んでいる子供も多かろう。そしてその親御さんもまた多かろうと思う。
 そこで今回は、特別編として、「読書感想文」の書き方を指南しようと思う。
 学校教育でどのような指導がされているかは知らないが、私の方法もあながち間違いではないと思う。

 まず、いきなり原稿用紙に書き始めるのはやめよう。チラシの裏でもいいから白い紙を用意して、以下の手順を踏んでほしい。

・本の概要を、1行でまとめる。
 例)「坊ちゃん」の場合。
 これは、エキセントリックな新米教師の坊ちゃんが、赴任先の田舎中学で体験したカルチャーショックと周囲との騒動を、ユーモアと皮肉たっぷりに描いた小説である。

感じたことを列挙する。
 共感した、共感できなかった、印象に残ったこと、など。

・なぜそう感じたかの理由を考察して文章化する。
 この考察が大事なポイントで、この考察の有無が、読書感想文の出来不出来を左右するわけだ。また、ぜったいに親が考察したり、誘導したりしては行けない。子供に考察させること。内容は幼くても結構。年相応であればいいのだ。
「坊っちゃん」の例でいえば、子供が、「西洋文化を軽佻浮薄に崇拝する田舎インテリの赤シャツたちに怒りの鉄拳を振り上げ、その対極に清を置いた漱石の気持ち」なんてわかるわけないんだから。

・作者は、何が書きたかったのか、何を訴えたかったのかを想像して文章化する。
・その本を読んだことによって、自分の中で変わったことを探して文章化する。

 以上の作業が終われば、もう感想文はできたも同然。この考察の過程と結果を文章化すればいいのである。
 ここで守らなければならないのは、書くのは子供ということ。親が自分の感想や考えを言ってはいけない。また、文章表現に大人のような言葉を使ったり、「こう書きなさい」なんて指導もやめていただきたい。子供が文章を書くことを嫌いになってしまうからだ。

 私の娘が高校一年の時、梶井基次郎の「檸檬」で感想文を書いたのだが、この方法だけを教えて後は娘に任せてみた。
 娘は、最後に、読んだ後自分がどう変わったかわからないと泣きついてきた。
 そこで、「檸檬」を読んだ後、ものの見方や考え方で変わったこととか気づいたことを列挙させた。

 その中に、「丸善の本棚」ではないが、いろいろな光景に重ねて、頭の中で、鮮やかな黄色い、そして香りの高い檸檬を置いてみるというような考えが心に引っかかった。今でも時々、心の中で目にした光景に檸檬を置いてみる、というものがあった。

 私は娘に、「君の感想文の落としどころは、これだよ」とだけアドバイスをした。
 娘は、はっと気づいたようで、もう私には相談せず自分で感想文を書き上げた。
 夏休み後、高校の全学年で感想文が2位になったと喜んでいたが、その2ヶ月後、さらに愛知県全体でも「優秀」という賞をもらったということで、「一粒で二度おいしかった」と喜んでいた。彼女は、その後、国文科に進学した。
 息子も同じく漱石の「坊ちゃん」で感想文を書いたが、やはりこの方法だけを伝授して、後は参考資料として、手元にあった「坊ちゃんの時代」(関川夏央・谷口ジロー)を渡しておいた。彼は1年で高校を中退してしまったが、この感想文でもらった賞状が唯一のいい思い出になっている。

 お子さんが読書感想文で悩んでいたら、この方法を教えて欲しい。
 ただ、小さな子供の場合は、感想文の前に、本を読み通すことこそが一仕事。感想文を書く前に夢中になれる本を与えてやることの方が難しいのかもしれない。

(2023/07/24 追記)
最近、読書感想文という名前が、子供たちをミスリードしているのだろうと気づいた。書くべきことは、その「本の内容」ではなく、その本の読書を通して自分の何が変わったか、気づいたかという「読書体験」なのだ。読書体験談という言葉こそふさわしいと思う。
「いきなり書き出さずにメモを作りながら一度考える」というのは、大人になってから小説を書くようになった時の、プロット作りに発展してる。


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