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「どう思う?」と聞かれたとき、子どもは答えられるのか?

子どもたちは、自分の意見をきちんと表現できているのか?

今日、年長児たちの話し合いの場面で、活発に発言する子がいる一方で、まったく意見を言えない子もいることに気づきました。
もちろん個々の性格の違いもありますが、「意見を言えないことが当たり前」になってしまっているとしたら、それは大きな課題かもしれないなと思いました。
今回は、子どもが自分の考えを表現することの大切さについて考えてみたいと思います。


子どもたちの話し合いの場面から見えたこと

今日、年長さんが劇を行った後の振り返りの時間に、どうだったかを発言する機会がありました。
ところがこの中で、意見を言えない子がいることに気がつきました。
「どう思う?」という保育者からの問いかけに対して、まったく話せない子が何人かいたのです。

このとき、発言が得意な子が「じゃあ、代わりに行ってあげる!」と話せない子に聞きに行く場面がありました。
こうしたやりとりは助け合いとしては素晴らしいですが、これが続くと「発言できない子は自分の意見を表明しなくてもいい」という風になってしまいかねないなと思いました。

私はたまに大学の授業などで呼んでいただくことがあるのですが、質疑応答の時間に自分から発言するケースは極めてまれです。
そして、大学の先生に学生さんがあてられると、「考え中です」「前の人と同じなんですが…」という返答が返ってくることが多くあるように感じます。
なんとなくですが、自分の意見を持たなくてもよい、という空気が蔓延しているように感じます。
ちょっと飛躍しているように聞こえるかもしれませんが、これは、幼児期からの積み重ねによるものかもしれないと、今回の話し合いを見ながら思いました。

日本の文化と「正解を求める」傾向

日本の教育文化では、「正解を言える子」が評価されがちです。
学校では、先生の求める答えを的確に言える子が手を挙げ、当てられ、模範解答を言えたらOK、という場面が少なくありません。
しかし、社会に出たときに求められるのは、すでにある「正解」ではなく、「あなたはどう思うのか?」という視点です。

私が大好きでよく拝見させていただいているYouTuberの方が、アメリカに実際に移住して感じたことを発信されています。
この方が動画の中で、アメリカの教育では、幼い頃から大人同士でも「どう思う?」「なぜそう考えたの?」と問われる機会が多くあるといっていました。
それに対し、日本では「発言する=正解をいう」という方程式があるため、「間違ったことを言ったらどうしよう」と発言をためらう場面が多いのではないかと指摘されていました。
この指摘はが正しいかどうかのデータはありませんが、「前の人と同じです」「考え中です」といった発言が多い現状と照らし合わせると、腹落ちするところがあります。

そしてこれは、大人の世界でも同じです。
会議の場でも、「自分の意見を持たない人」が存在してしまうのは、幼少期から「正解を答えること」が求められ、自分の意見を言う訓練が不足しているからかもしれません。
しかし、子どもであれば「性格」や「気質」で乗り切れたとしても、社会はそう甘くはありません。
向山こども園でも当然そうですが、給与をもらって会議に出席している以上、自分の意見が言えない・言わない人が、会議に出る資格はありません。
学校の優等生が社会の劣等生になるという方程式は、あながち間違っていないのかもとしれません。

「私はこう思う」を言う練習を

これまで、向山こども園ではサークルタイム(集まりの時間)に、今日遊んだことや思ったことをみんなの前で話す機会を、子どもたちが楽しみながら話せる範囲で、年中くらいから取り入れて行ってきました。
そのため、子どもたちは、自分の考えたことを人前で話す経験は、多少の差はあれ、どの子も行ってきています。
しかし、「準備したことを話すプレゼンテーション」と「出来事に対しての自分の意見を表明するコミュニケーション」は少し異なるものです。

子どもたちが自分の意見を言えるようになるには、普段から「あなたはどう思う?」と聞かれる経験が必要だと感じました。
もちろん、話し合いの場だけでなく、日常の遊びの中でも、「どっちを選びたい?」「どうしてそう思うの?」と問いかけることが大切なのかもしれません。

例えば、何かを選ぶ場面で「こっちがいい!」と言ったときに、「なんで?」と自然に聞いてみる。その理由が「だって好きだから」でも、「○○ちゃんが持っているから」でもとりあえずは構いません。「自分の意見を言う」経験を重ねることを、何度も繰り返していくことが大事なのではないかなと思っています。

また、意見を言ったときには、大人が「それいいね!」「なるほど、そういう考えもあるね」と受け止めることが重要です。
みんなの前で話してくれた時には、拍手をしたり、「ありがとう」と伝えたりすることで、発言することがポジティブな経験として残るように援助する必要もあるかなと思いました。

園の文化として育てていく

このような取り組みを定着させるためには、園全体として教育課程に位置付け、文化を育てていく必要があるように感じました。
年中の段階から、小グループでの話し合いの時間を設けることで、少人数の中で発言しやすい環境をつくったり、日常の遊びの中で「どうしたい?」と問いかける機会を増やし、自分の気持ちや考えを言葉にする習慣をつけたいなと思いました。

話し合いの場面では、単なる発表の場にするのではなく、意見交換の場として機能させることを意識してみたいところです。
一方的に「こんな遊びをしました」と伝えるだけではなく、「今の話を聞いてどう思った?」「あなたならどうする?」と問いかけ、子どもたちが考えを深められる場にしていく必要があります。

また、「考え中」「前の人と同じ」という言葉が出たときには、「どこが同じだと思ったの?」「何を考えているの?」と優しく問いかけることで、少しずつ自分の意見を持つ習慣を育てていくことができるように感じます。

日本人としてはなんとなくストレスがあるように感じるかもしれませんが、これからの時代、自分がどうしたいのか?がないと、そのうち「AIが言ったから」が行動の理由になる人が育ってしまうことになりかねません。
そんな未来がくると思うとぞっとします。

これからの保育の課題

今回の話し合いの場面を振り返り、今後の保育で意識していくべき課題が見えてきました。
まず、意見を言いやすい雰囲気をつくることが必要です。発言しやすい環境を整え、どんな意見でも大切に受け止めることで、子どもたちが安心して話せるようにしたいと思います。

次に、「あなたはどう思う?」と問いかける回数を増やすことが求められます。大人が意識的に質問をし、子ども自身が考える機会を増やすことで、自然と意見を持つ習慣が育まれます。

さらに、サークルタイムや話し合いの時間を見直し、発表の場ではなく、意見を交換する場にしてはどうかなと思っています。
話すこと自体が目的にならないよう、子ども同士が互いの考えを聞き、意見を深め合えるような場づくりを意識してみたいと考えています。

これからの社会で求められる力

AIの発展により、「正解を知っていること」だけでは価値を生み出せない時代になっています。
大切なのは、「私はこう考える」という主体的な意見を持ち、それを表現できる力です。

「AIの答えと同じです」と言うだけの人がいたとしたら、それは人間の存在意義がなくなってしまいます。だからこそ、幼児期から「自分はどう思うのか」を考え、言葉にする経験を積むことが重要なのです。
「あなたの意見を聞かせてくれてありがとう」という雰囲気をつくり、成否ではなく、自分の考えを持つことが大切なことだという意識を育てていきたいと思っています。

子どもたちが安心して自分の思いを話せる環境を整えながら、「私はこう思う」と言える力を育んでいきたいと思います。
これから、どのように具現化していくか模索をしていきたいと思いました。

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