見出し画像

子育てに理想を持たない方がいいわけ

理想は苦しみを生みだす。それは子育てでも同じ。

健全に親をやるには、「理想」を捨てた方がいいのかもしれない。


変えられること、変えられないこと

理想の未来を思い描くとき、そこには、

① 自分の力で変えられること
② 自分の力では変えられないこと

が混ざっている。

たとえば、天気、他人、過去。これらは全部、自分の力では変えられない。これに対して、自分、現在、未来。これらは努力次第で変えられる。

コントロールできないことにフォーカスして理想を描く。これは沈んだ心を作るレシピ。

理想があっても自分では何もできない。そんな受け身の存在をずっと続けていたら病んでしまう。少なくとも、生きていても楽しくないと思う。

だから、理想を持つときは、自分でコントロールできることにフォーカスする。ここまで的を絞った「理想」は、むしろ「ゴール」「目標」と呼ばれることが多い。

こどもは変えられない

これを大雑把に子育てに当てはめてみる。

① 自分の力で変えられること:環境、自分
② 自分の力では変えられないこと:こども

こどもは一人ひとり違う。あまりにも違う。ここが変えられない要素ならば、目指すべき子育てのかたちは、こどもの数だけあるということになる。

「子育てに正解はない」というのは、たぶんそういうこと。

目の前のこどもの気質や発達段階、これまでの育ち方。そういうことを全部ひっくるめて、やっとその子にとってのよい環境や関わり方が見えてくる。「良い」子育てメソッドは、平均値を取るとうまくいく確率が高いというだけ。「この子」に当てはまるかどうかは、また別の問題。

☯︎

無意識に理想を追っていた、離乳食時代のわたし

あれは数年前のこと、いつの間にか目標が理想にすり替わっていたことがある。

当時の私は、Baby-Led Weaning (BLW) という離乳食の進め方をしていた。大人が赤ちゃんに食べさせるのではなく、赤ちゃんが自分で食べる量やペースを決めるというもの。

生きものにとって「快」のはずの食べ物。なのに離乳食を嫌がる赤ちゃんは多い。これは絶対何かがおかしいぞと思い、良いやり方を探していて行き着いた方法だった。

Day1
蒸したニンジンを娘の前に並べてみる。興味深そうに眺め、つかみ、落とす。

Day2
蒸したブロッコリーを並べる。ガッとつかみ、口に入れ、出す。おもちゃを口に入れるのと同じらしい。

Day3
切ったアボカドを並べる。つるつる滑ってつかめず。

Day4
アボカドにオートミールをまぶして並べる。アボカドをつかみ、口に入れ、飲み込む。

こんな調子で一見順調に進んでいたのだけれど、なぜかある時から全然食べなくなった。出すものを変えても反応なし。しばらく様子を見て、スプーンでごはんをあげる方式も取り入れることに。そして彼女はとてもよく食べた。でも私の中には、なぜか敗北感が残った……。

「こどもが食べ物と幸せに出会える環境を作る」これが自分の目標だったはず。

でも、いつの間にか「こどもが自発的によく食べる」こういう理想に変わっていた。

やりきって、手放す

大人は時に非現実的な期待を抱く。変えられないこと、気長に待つしかないことが、すぐに変わると心のどこかで思う。もちろんそんな事は起きない。だから、苦しくなる。

マリア・モンテッソーリは言った。やれることを全てやったら「後は神に祈りましょう!」と。

できることをやり切ったら、後は手放す。問題を自分で握りしめるのをやめる。この姿勢が、大人の心を健やかに保つ。

そしてこどもの心を。

🌱

最後に:親のためのマントラ

変えられないものを受け入れる心を、
変えるべきものを変える勇気を、
そして、このふたつを見分ける力を、
与えてください。
(「ニーバーの祈り」より)

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日が良い日でありますように。

いいなと思ったら応援しよう!