自己肯定感とは自分を理解すること
みなさんこんにちは!
花粉がむずむず、嫌な時期到来ですね〜!
去年のスケジュール帳を見直すとちょうどこれくらいの時期からJHAに向けて急発進して撮影会を入れ始め頭ぱんぱんになっていたことを思い出しました。笑
今年もまた1月から少しづつコンテストに向けて走り始めています。
さて今日は「自己肯定感とはなんなのか」について自分なりにブログにしていきたいと思っています。
お客様との会話の中で
「新しくなにかを始めるときって怖くないですか?」という質問をお客様にいただくときがあります。
「うーん、あんまり怖くないです!少しわくわくします!」
と回答すると
「自己肯定感高いんですね〜!」
なんていう会話があったりして、
そうか私は自己肯定感高いのか!なんて思ったりする時があります。
でも、そもそも自己肯定感ってなんなんだろう。
とふと深堀してみたくなりました。
私が思うに、自己肯定感って結局は自分がどういう人間なのかを理解することなのかなぁと思ったりします。
自分の人生の棚卸し
実は去年一年かけて、ひっそり取り組んでいたことがありました。
それは私の30年分の人生の大きな大きな棚卸しです。
食生活、お金の使い方の整理から、
今まで生きてきて幼い時に辛かったことはどんなことで、
どんなときに私は嬉しくて、
どんなふうに乗り越えてきたのか。
私はお客様にどんなふうになってほしくて、
どんな思いでお客様と向き合っていきたいのか。
過去の自分と向き合うことは想像以上に大変で納得のいく執着地点まで1年ほど、かかったように思います。
でも過去の自分を振り返ってきて気づいたことは
いつもつまずく瞬間の流れが一緒で、
自分が立ち直る瞬間のパターンも一緒だったということ。
私の場合、
「言いたいことが言えなくなる」
↓
相手も私の考えていることがわからなくなる
「周りとぎくしゃくしはじめる」
↓
体調崩す
↓
手を差し伸べてくれる人が現れて
その人の言葉で救われて、
少しづつ自分を取り戻せるようになる
これが私の学生の時からも、そして大人になってからも引きずっていた自分の悪い流れのパターンです。
こうして自分を理解すると、環境のせいにもしなくなって、
自分が変わればまた過去の思い出の形も変わってきて、
自分を責めてばっかりだった過去の自分も許せるようになりました。
そして同時に、
辛い時、あぁもうだめかもと
思う瞬間に、私はいつもぐっと周りの人の手の差し伸べによって
ここまで歩んでこれたのだなぁと。
だからこそ、過去の私と同じように悩む人の話を美容室で聞くたび、
大丈夫だよ!きっと楽しい未来が待ってるよ!
って本気で思っているし、
そうなるための背中を押すということを
全力でしたいと思っています。
そして同時に体調を崩しがちだった自分が身体を整えることで、
身体も心にも活力を得られた経験から、
美容室で同時にケアサロンをオープンし、
身体も整えられる場所でありたいと強く願うようになったのだなぁと思ったりしました。
去年
「一皮向けたね!」
なんて昔の私を知る方々に言われたりしたのですが
それはこの棚卸しのおかげかも?なんて思ったりしました。
この自分を理解するということをしないまま
目標をたてたり
「自己肯定感をあげる本」
などを読むことは少し危険なようにも感じています。
自分を理解しないまま、走り出して、
自分じゃない誰かになろうとしたり、
またなにかにつまずいた時
「あぁやっぱり私はだめなんだ」
と思いがちだからです。
過去の私もそうでしたから。
結局自分はどういう人間かをわからないまま
やる気ばかりをだそうとしても
どうしても、難しいんですよね〜
長くは続かないんです。
やっぱり他人と自分を比べていなくて
「私は私」
として軸をもって生きている人はすごく魅力的にうつります。
SNSが多く復旧しているこの時代にとって、
他人と比べないということはもしかしたらものすごく大変な時代なのかもしれないけれど、
本当はフォロワー数なんて、
自分の影響力なんて、きっとどうでもよくて、
自分がどういう人間で
どういうときに幸せを感じて、
どうやって生きていきたくて、
どんな風に人に手を差し伸べていきたいのか。
ここを理解することで
自然と「自己肯定感」というものが満たされていくのかなぁなんて感じたりします。
今、講座の準備をしていく中で、私もまた自分の自己整理をさせてもらっているように感じています。
講座が終わった時に少しでもみんなの表情が明るくなることを想像しながら
資料作りに励んでいます。
あなたはどんな生き方がしたい?
私はやっぱり後悔しない人生がいいなぁ。
それではまたゆるりと更新しますね。
よい1日を。
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