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うつ病患者が「最強のふたり」を観る ~「文脈」を共有しない中距離のケアの距離感~

今回は映画「最強のふたり」についての感想を書いていく。


少し前から、youtubeのショート動画やTikTokで
「人生観が変わる」「価値観が変わる」と
紹介されている映画を観ることを始めており
これまでは「ショーシャンクの空に」「フォレスト・ガンプ/一期一会」
を取り扱った。

この映画は2011年に公開されたフランス映画で
公開当時はフランス国内で大ヒットし
フランス史上2番目の観客動員数を記録した。


世界中で4億2600万ドル以上の興行収入を上げ
非英語圏の映画としては歴代最高の興行成績を記録した。
IMDbでは8.5/10点、Rotten Tomatoesでは批評家から76%
観客から93%の高評価を得ている。


また、ゴールデングローブ賞では外国語映画賞にノミネートされ、
東京国際映画祭では東京グランプリ(最優秀作品賞)と
最優秀男優賞を受賞している。


この映画は、パラグライダー事故で首から下が麻痺した富豪フィリップと、彼の介護役として雇われた刑務所を出たばかりの
黒人青年ドリスの交流を描いた物語だ。
全く異なる背景を持つ2人は、当初は衝突するが
次第に互いを受け入れ、友情を育んでいくのが主なストーリー展開だ。


この映画で注目するのは
フィリップとドリスによる「文脈を共有しないケア」の距離感だ。


ドリスがフィリップに対して
「ケアしてあげる」といった上下関係は一切ない。
ドリスは「ケアが必要な人間」を
「ケア」という言葉で区別することはせず
首から下が麻痺で動かないだけの「ひとりの人間」として接している。


「ケア」という言葉で想起されるような
ケアするもの、されるもの、といった上下関係や区別が存在しないのだ。


ドリスは貧困層の黒人、フィリップは富裕層の白人だ。
生活背景も、触れてきた文化も、好んでいる音楽も違う。
なのに、この2人の相互作用による「ケア」はこれ以上なく相性がいい。


これは、なぜなのか。
それはドリスとフィリップが「中距離」の関係性にいるからだ。


ドリスはクラシック音楽を聴いたことがなく
フィリップはタバコを吸ったことがない。


この全くちがう2人の文脈が
「ケア」という行為を通じてアクシデント的に
お互いの文脈が接触することによって心境や行動に変化が生まれる。


これは
「ケアとは、ケアを受ける人のためにケアする人が懸命につくすこと」
のような近距離の関係や
「あくまで仕事としての一貫」という
遠距離の行為でもうまくいかなかっただろう。


ふたりが「最強」の関係性を構築できたのは
この中距離の関係性だったからだ。
この中距離の関係性という距離感は
現代の情報社会を生きるうえでヒントを与えてくれるかもしれない。


スマートフォンによる常時接続、SNS、ディスコードによる通話状態は、
人々をつねに近距離に置くことを強制する。


逆に、オンラインサロンや、オンラインイベントでは、
Zoom等のオンライン通話サービスによって形成されている場合が多く
遠距離の関係性だ。


人が、相手に対して規範・モラル・偏見を持つことなく接するには
この中距離の関係性がもっとも肝要ではないか。
現代社会には、この中距離の関係性が保てるコミュニケーションの場が
必要なのではないか。それがこの映画から見出したことだ。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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