見出し画像

(短編ふう)眉村卓『カルタゴの運命』と 見習い悪魔

不覚!

眉村卓にこんな作品があったとは!

眉村卓ファンを自認していた自分としては、不覚もいいところだった。
週末の買出しついでにぶらついたBOOK OFFで、眉村卓著『カルタゴの運命』を発見した。

しかも、ハンニバル!

おまけに、分厚い!

これから浸れる長い読書時間を思って、もう唾液腺が活性化した。

カルタゴの歴史も、好物なのだ。
ハンニバル・バルカの天才的軍略。戦場だけにに収まらない地中海世界の駆け引き。ローマ、カルタゴ、ヒスパニア、ゲルマン。ヌミディア、ギリシア、マケドニア。それに、シリア。

『カルタゴの運命』 は、ポエニ戦争の歴史を変えようとする時間旅行タイムトラベルの物語だった。

主人公は、正体不明の高次元生命体にスカウトされ、ポエニ戦争の時代でカルタゴの滅亡を防ごうと活動する。過去に干渉すれば歴史の流れは変わる。しかし、『カルタゴの運命』の世界では、時間には無数の支流が存在する。ひとつの事実が変化すると、まるで線路の分岐点で転轍機てんてつきを切り替えるように、歴史は別の方向へと進む。主人公は、その流れを変えるゲームに参加することになった。

高次元生命体は無数の歴史の流れを自在に行き来できる。彼らは、網目のように絡み合う過去・現在・未来・並行世界の全体を俯瞰し、どの時点の出来事にどう干渉すれば流れがどう変わるかを知覚できる。
たとえば、上空からボールを落としても、二次元世界の住人はそれが球体であることを理解できない。彼らにとって三次元の球体は、小さな円が突然現れ、次第に大きくなり、やがて小さく縮小して消えていく現象、としかとらえられない。それと同じように、三次元体には直線的にしかとらえられない時間の全体像を、高次元生命体は見渡すことができる。

この『カルタゴの運命』の世界観は、量子力学における「多世界解釈」の概念を彷彿とさせる。一つの測定結果が確定するたびに無数の世界が分岐し、それぞれが独立した現実となる。

―― 風邪を引いてしまった。
布団にくるまって読み進めるが、何せ分厚くて重い。横向きになって、掛布団かけぶとんふちを利用して少しでも楽に本を支えられるように工夫する。布団に隠れるような姿勢になって物語に耽ると、洞窟で焚火を囲み、長老の物語に目を光らせて興奮しているような原始の本能を感じてしまう。

物語は、進化論的には、サバイバル・シミュレーション能力の発達に寄与したと考えられる。主人公が困難や葛藤に直面し、それを乗り越える物語の構造は、環境への適応力や生存戦略の構想力を鍛える。
そう考えると、時間旅行ものはまさにサバイバル・シミュレーションの典型と言える。同じ時間を何度も繰り返し、最適の解を見つけていくループものは、サバイバル・シミュレーションのうってつけのテンプレートだ。異世界転生ものも、また、未知の環境に適応する能力を試すサバイバル・シミュレーションとして、同じテンプレートに沿っている。これらのジャンルが流行るのも、DNAに刻まれた進化のシナリオからくる必然なのかもしれない。

『カルタゴの運命』にも、サバイバル・シミュレーションの要素が詰まっている。しかし、どんなに抗おうとしても、歴史の大流は変わらない。物語の舞台は、ポエニ戦争を挟んだ紀元前261年から紀元前150年の111年間だが、その中で、一人の人間の人生はある出来事をきっかけに変わることがあっても、タイトルが示す国家としての『カルタゴの運命』は変わらない。無数の支流でかたちづくられる歴史の大河が111年間を経て帰着する最終結末はかわらないのだ。

―― 空想してしまう。――

天使学校の代表理事の反対により、悪魔学校図書室の修繕費用申請は却下された。
悪魔学校代表理事も敢えて抗弁しない。下からあがってきた要望を、とりあえず委員会に挙げただけなのだ。
「恋愛小説の蔵書はどのくらいあるの?」
キューピッド学校の理事が質問したのは、出席のアリバイを残したかったからに過ぎない。
「さあ、そういうカテゴリー分けは。。。」
悪魔学校理事がしどろもどろしているうちに、
「利用者がほとんどいないようではないか。」
と天使理事が畳みかけ、申請は却下された。
利用率の低い図書室の修繕に費用をあてる道理はない。
キューピッド理事は、同情するふりをして、仕方がない、とばかりに首を振ってみせた。
表向きの理由とは別に、天使の内心には、見習い悪魔が読書なんぞとんでもない、という思いがあった。
危険きわまりない。
むしろこちらの方が本音である。
「恋愛小説なら、うちからいつでも貸し出せますから。」
最初から断固通す意思はなかったとはいえ、悪魔理事は肩を落としている。それを慰めるように言うキューピッドを天使が鋭い眼光で睨んでいた。

教育委員会で修繕費用の申請が却下されていたその頃、見習い悪魔は、その議題の図書室にいた。陽だまりに守られるようにして、他に座るもののない閲覧テーブルで読書に耽っていた。時折、大気の入れ替わりが起こす強い風のうなりが聞こえる。しかし、一面の高い窓を通過してくる日差しは丸く、暖かいばかりだ。

「カルタゴの歴史SFですね。」
後ろから司書ドロイド覗いて言った。
少し前に読み終えて、巻末、参考図書一覧を見ていた。もっと知りたい欲求が湧いていたのだ。
「選択と結果の因果律を考える良い教材です。」
振り返ってドロイドを見上げる。
「カンネーの会戦の後、そのままローマ攻略には向かわず、周辺の同盟都市の攻略を優先したハンニバルの選択をどう思いましたか?」
ローマの攻略に時間をかけている内に背後から同盟都市に攻められたら、挟み撃ちになってしまう。
「そうですね。難しい選択でした。」
しかし、この選択は、本国から非難された。
「ハンニバルがイタリア半島で同盟都市の攻略に時間をかけている内に、地中海を囲む他の地域での勢力バランスが変わっていきました。」
カルタゴはヒスパニアを失う。
カルタゴ本国は、銀を産出するヒスパニアを重視して、ハンニバルに送るはずの増援をヒスパニアに送っていたが、天才スキピオに屈した。スキピオは、ザマの会戦でハンニバルをも破る。
「本国がヌミディアとの関係づくりに失敗して、ザマではヌミディア騎兵がローマ側についたからだよ。」
「おや。すっかりハンニバルびいきですね。」
敗戦後、ハンニバルは祖国の復興に尽力し、成し遂げる。
「なのに、最後は亡命先で死んじゃう。」

会話が長くなって司書ドロイドを見上げてる首が疲れてきた。
それを察して、ドロイドは椅子の背の高さまで姿勢を低くする。
「彼の最期をどう思いました?」
本国内の政争は醜い。
「では、第3次ポエニ戦争の結末はどう思いましたか?」
カルタゴは、ローマによってその痕跡さえ残さないように抹殺された。

全てが絡まった運命、だ。

「物語は、選択と結果の因果律を考える良い教材になります。サバイバル・シミュレーション能力を磨くのにとても適しています。それに、物語を共有することは、集団としてのサバイバル能力向上にもつながります。物語を通じた共通のサバイバル体験が、連携力を高め、ベクトルを揃えるのです。物語は、集団の絆を深めるのです。」

司書ドロイドは、それをメリットのように言ったが、見習い悪魔は、逆にそういう共通体験が、集団単位を丸ごと破滅に向かわせる要因になることもあるのではないか、と思った。

この時、委員会を終えた天使が帰路を歩きながら、自分のつま先を見つめて、悪魔に読書などさせるべきではない、と繰り返し考えていたのをふたり(悪魔+ドロイド)は知らない。

―了―

「見習い悪魔」が登場する掌編は他にもあります。併せてご覧いただけると世界観はわかりやすいと思います。お時間のある時、こちらもご一読いただけると嬉しいです。↓

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集