(短編ふう)オン バサラ タラマ キリク ソワカ
苦しくて、苦しくて。
うつむけた顔を両手で覆う。
あまりにも苦して、救いようがない。
上半身を折って膝の上で泣く。
苦しむ原因は無知(無明)にある。
人々は真実を知らず、煩悩や執着による業を積み、結果として苦しみの輪廻を繰り返す。
観音菩薩は、人々の苦しみを自分と切り離せない。
すべての苦しみがなくならない限り、わたし自身も完全に幸せになることはできない。
だれかを見捨てることは、自分自身を見捨てることと同じだからだ。
両手で顔を覆って泣き崩れた菩薩の身体は、無数の衆生の苦しみを受け止めきれず、とうとう砕け散った。
絶望の、暗黒の深淵に落ちるように収縮し、と、見る間にまばゆい光を宿し、爆発した。
爆発した光は、光の繭を形づくり、菩薩の身体は、その中で、蛹に宿された成虫のように静かに変容する。
一対の手が伸び、さらにまた一対が現れる。それは無限に続くように展開し、千本の手があらゆる方向へと広がっていく。その手のひらには、一つ一つに命を宿すような眼が開かれ、全てを見通す光が満ちていく。
蛹から羽ばたこうとする蝶の翅が繊細な模様を持って広がるように、千の手と眼が姿を成していく。
アダム・スミスは、1776年に著した「国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)」の中で、人々(個々の経済主体)がそれぞれに自己の利益を追求すれば、それは、市場での競争を通じて自ずと社会全体の利益につながると論じて、この調整メカニズムを「見えざる手」と呼んだ。
しかし、この「見えざる手」に、全てを救うことはかなわない。
直接的に関係のない人や社会にコストや利益を発生させる「外部性」については救えないかだ。
温室効果ガスを排出する企業や個人は、排出のコストを直接負担せず、第三者や未来世代がその影響を受けてきた。気温、海面の上昇、異常気象の増加により、農業、インフラ、生態系に広範な被害が発生している。
「見えざる手」はこうした被害を未然に救うことができない。
個人が教育を受けることで自身の収入や生活の質が向上するだけでなく、社会全体にも良い影響が生まれる。
逆に、「見えざる手」は、こうしたメリットの促進もできない。
高い教育水準は生産性の向上や犯罪の減少、健康改善をもたらす。しかし、教育の恩恵は広く享受できるためフリーライド(タダ乗り)が発生しやすく、個人任せでは十分に供給されない。政府の支援や公共教育の整備が必要なのだ。
2024年のノーベル経済学賞は、ダロン・アセモグル(Daron Acemoglu)、サイモン・ジョンソン(Simon Johnson)、ジェームズ・A・ロビンソン(James A. Robinson)の3氏に授与された。彼らは、豊かな国家と貧しい国家の違いはどこからくるのかを研究し、それが社会の制度によるところを明らかにした。
「包括的な制度(inclusive institutions)」が国を豊かに発展させる。
「包括的な制度」とは、すべての人々が経済や政治活動に公平に参加できる環境を整えた制度をいう。すべての人に平等に適用される法とルールが整備され、個人や企業は公平に市場競争に参加でき、その所有する財産は、法によって守られ、決して不当に奪われることがない。政府が自ずと国民全体の利益に関心をもって活動するように、多くの人の意思が政治的な意思決定に反映される仕組みが構築されている。こういう包括的な社会の仕組みがあってこそ、イノベーションが生まれ、長期的な経済成長を持続できる社会となる。
「見えざる手」だけでは救えない。
「包括的な手」が必要なのだ。
反対に「収奪的な制度」は、社会を貧困に停滞させる。
「収奪的な制度(extractive institutions)」では、法律は支配層の利益を守るために運用され、一部の人々や団体だけが経済的特権を享受する。一般の人々の財産は必ずしも保護されず、権力者によっていつ理不尽に奪われるか、わからない。こうした制度のもとでは人々が努力しても成果を奪われてしまうため、新しい技術やアイデアの創出はおこらない。格差が広がり、やがて収奪の余地もなくなり、抗議や紛争で社会は混乱し、時には政府も転覆する。
しかし、「収奪的な制度」の社会は転覆しても「包括的な制度」の社会に置き換わるわけではない。入れ替わった支配層が、自分たちにとって都合の良い「収奪的な制度」を続けてしまう。エリートの循環(Elite Cycle)が容易に続いてしまうのだ。
あまりにも苦して、救いようがない。
それでもわたしは救いたい。
千の手は、花びらのように広がり、苦しむ者すべてを抱き取るように世界を包んだ。
千の眼が、星々のように輝き、一瞬たりとも衆生の苦しみを見逃すまいと、決意を宿している。
蝶の羽ばたきが撒く鱗粉のように、慈悲の光が虹色の光輪を描く。
苦しむ全てのひとに降り注いでいる。
―了―
くりすたるるさんのこちらの記事、#手にまつわる記事に参加させていただきます。↓
トランプ次期米国大統領が、関税を上げると言っています。関税は死荷重の分、社会全体に非効率というのを、昔、経済の教科書で習いました。グラフで表される三角形部分が印象的で覚えています。ただ、完全競争市場が前提の話で、現実の物事はそう単純ではなく、自国民優先という考え方もわかります。そもそも、得た税の使い方が大切です。そんなことを感じている一方で、仏教史に興味がでてきたものの、菩薩の登場経緯がよくわからず、あちこち拾い読みしているうちに千手観音さまにちょっと感動しました。世界中に研究者がいて、社会をよくしようと日夜、研究にいそしんでいるのだな、と思うと、彼(女)らは一種、菩薩だな、とも思える今日この頃です。
仏教にもった興味の投稿もしていますので、お時間ある時、ご覧いただければ嬉しいです。↓