詩「国家は記憶を持てるか」

記憶の継承

国家とは終に
記憶を持ち得ないものなのだろうか
アウシュヴィッツで
あれほどの哀しみを経験した
人びとの国家が
ガザで無辜の人びとの命を奪う
自分たちが味わった苦しみを
他の人びとに味わわせる
それが国家というものだとしたら
日本がいつか原子爆弾を
どこかの国の人びとに使う日が
来ないとは言い切れない

だがもし国家が
記憶を持ち得たなら
戦争の加害も被害も痛みとなる
歴史などという身体の外にあって
ぱたりと頁を閉じると
消えてしまうものではなく
わが身の中にあって
消そうとしても消えない痛み
そんな記憶を
国家が持ち続けられたなら
少なくとも大義名分のもとに
無辜の人々の命を奪うことはあるまい

人間の記憶は
おそらくは進化の過程のなかで
記憶と呼べるものになった
ならば国家も
進化を続けながら
国家の記憶と呼べるものを
持つことはできないものだろうか

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