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連載小説『私の 母の 物語』五(34)
父の世代ならば、少なくとも人生の三分の一はそうしたゆったりと流れる時間の中に身を置いて生きていたはずである。
中学を卒業した父は、山脈を越えた町に下宿して高校に通った。自炊をしていた父はときどき米を取りに実家へ帰る。片道四時間ほどの道のりを歩き、一泊してまたあくる日下宿に戻るのだ。秋になると日暮れが早いから、昼過ぎになると家を出なければならない。いつも祖母が山脈を越す峠まで見送ってくれた。
峠にはお地蔵さまの祠があった。そのお地蔵さまの前で別れると、祖母は南に、父は北に道を下る。少し歩いて振り返ると、祖母もまた振り返って父を見ている。また少し歩いて振り返る。また祖母も振り返る。そうして二度、三度と振り返りながら歩くうちに、振り返ったときもう互いの顔が見えなくなるところに来る。その瞬間がたまらなくさびしかったという。
今も父の胸の中でそのときの時間はゆったりと流れていることであろう。
当時のような時間の流れに身を置くことはもう出来ない。かといって、わすれるひとである母が現代のあわただしい時間の流れに合わせて生きるのはむずかしい。しかし、時間の流れは変えられないまでも、あわただしい時間の中にちょっとした《間》を作ることは可能だった。ただし、それには《時計の時間》よりも《こころの時間》が必要だった。
そのことは塾で子どもたちと接するときにも当てはまる。この仕事には、こころの時間が必要である。
ある女の子は、筆入れから鉛筆を出すと一度筆入れの蓋を閉める。そして文字を書くと鉛筆をまた筆入れにしまう。間違うとまた蓋を開けて消しゴムを出す。蓋を閉める。蓋を開けて消しゴムをしまう。また蓋を閉める。また蓋を開けて鉛筆を出す。一事が万事で、何をするにもこんな調子である。あまりに時間がかかって学習が前に進まないので、急がせると、今度は動作が乱雑になって鉛筆や消しゴムを床に落とす。床に落ちた鉛筆や消しゴムを探すのにまた時間がかかる。こうしてちょっとしたプリント一枚を解くだけで一コマ八十分の授業が終わってしまう。
国語辞典を使えない男の子がいる。まず五十音順が頭に入っていない。例えば『無鉄砲』と引かせる。最初の「む」は何行かと尋ねても答えられない。マ行だと教えて、「ま~も」のところを開かせる。『むしかご』や『むしめがね』などがあるページが出てきた。ここまではいい。
「いま、『む』の次に『し』のつくことばが並んでいるね。調べることばは『むてっぽう』だから次の文字は『て』だ。じゃあ、『て』は五十音順で『し』よりもまえ? うしろ?」
男の子は自信たっぷりに、
「まえ!」
「ううん、うしろだよ。だから、もう少し後ろのページを探してみよう」
と云うが早いか、その子はものすごいスピードでページを前に繰り、たちまちサ行あたりまでいく。
「ちがう、ちがう! うしろのページはこっちだよ」
焦れてきたわたしは『むてっぽう』のページを開き、『むつまじい』あたりを指を押さえ、
「ほら、『む』の次に『つ』がきた。『て』は『つ』の次だから、そろそろ『むてっぽう』が出てくるよ」
と、もう数語で男の子が『むてっぽう』にたどり着ける段取りをして、その子が「あった!」と声をあげるのを期待した。ところが、その子の目は見事に『むてっぽう』を通りこして、『むなしい』までジャンプする。
「ない!」
またものすごいスピードでページは繰られ、たちまちラ行に達し、『らくだい』『らくたん』のページが開かれた。
「さっきのページにあったよ。戻ってたしかめてみよう」
と云うと、男の子はあわててページを戻そうとして、今度は紙が破れた。(続く)