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【日本史】吉原遊女の営業メールならぬ「営業恋文」

現代のキャバクラやホストクラブでも営業の連絡をしますよね?

「お店に会いに来てほしい」「シャンパンおろして」とかね。

江戸時代の吉原遊女もお客さんに営業の手紙を送っていたんです!

驚き〜〜〜。

今回は吉原遊女が客へ送っていた手紙、
「営業恋文」について紹介します。

では早速行きましょう。

◎吉原遊女の手紙「営業恋文」

吉原遊女が客の心捉えて離さないために最も活用したツールが手紙である。

自分の時間を削り、客に手紙を一枚一枚書き、送った。

遊女の手書きなのは、もちろんであるが、
香をたきしめたり、白粉の匂いを紙に移したり、天紅といって紙の上端を遊女の使う紅で色をつけたりと、遊女は手紙を書くことにも、
客の心を離さない工夫をしていた。


簡単に営業恋文とでもいえばイメージしやすいだろう。


どういう時に手紙を送ったの?

吉原には紋日という日があり、その日は揚代が倍となる吉原特有のしきたりがあった。

紋日には必ず客を取る必要があり、紋日と知らずに登楼した客は思わぬ散財を強いられるが、遊女は馴染みの客に紋日に来てもらえるように、その日の遊興を依頼する手紙も送っていた。

これこそ完全に現代でいう営業LINE
「締め日だから、お店来てよ~」っていうね。
「会いたいな~」って感じで。

そして、揚代が2倍になるわけですから、その日売り上げないと借金は減らないし。

逆にその日に客が来ないと、借金も増えるわけです。遊女は前借金として売られてきているので。

(揚代:遊女と遊ぶ代金)


どんな手紙を送っていたの?

どういう内容の手紙を送っていたのか。
簡単に言えば恋文、ラブレター的なものであるが、、、

客層に合わせて内容を変えており、恋文の手引書も存在した。

長松軒『遊女案文』(扇屋利助[ほか1名]、寛政8年) 国立国会図書館デジタルコレクション


上の図は遊女が客に向けて書く恋文の手引書『遊女案文』という本で、その目次のページである。

右ページから順に「馴染に成たる客へ遣文」「年寄客に遣る文の様」「二度の客へ遣るふみ」「同心得」「馴染の客へ遣る文」「同心得」「しばしこぬ客へ遣る文」と書かれている。

客の年齢や遊郭へ足を運んだ回数に合わせて、遊女は送る内容を変化させていたことがわかる。


『遊女案文』の違うページも見てみましょう。

長松軒『遊女案文』(扇屋利助[ほか1名]、寛政8年) 国立国会図書館デジタルコレクション


恋文の例文の後に「心得」もご丁寧に書かれている。これは手紙を書く際の指南で、客によって異なる手紙でのアドバイスである。

「馴染に成たる客へ遣る文」の心得では、「良い人や粋な男、金持ち、色々な人がいるけど、自分の器量に慢心して油断していると、人にとれてしまいますよ~」とのこと。


◎文使い

吉原には吉原遊女が書いた手紙を客に届ける文使いという仕事があった。女は吉原を出ることが出来なかったため、文使いに手紙を託し、客に手紙を送っていた。

山東京山 渓斎英泉 『北里花雪白無垢 5巻』(岩戸屋喜三郎、1822年)国立国会図書館デジタルコレクション


右ページの下にいる男性が、文使い。
文使いは誰にでもできる仕事ではなかった。

読み書きができるのは当然、江戸の地理を把握する必要もある。複数の手紙を届けなければいけないので、管理能力と効率性を求められた。

手紙を渡すのに「吉原の○○さんからでございます」と大きな声で言えない家もあり、機転を利かせることも大事であった。

そのため、誰にでもできる仕事ではなかったのだ。


そんなところかしら。

今回は吉原遊女が客に送っていた営業恋文について紹介しました。


営業とはいえ、遊女の素敵な香りのする手紙やラブレターが送られてきたら悪い気はしない。客によって内容を変えるのも、さすがとしか言いようがありません。

そして、江戸も令和も営業方法はさほど変わらないのです。歴史っておもしろい。

あ!あと、インスタライブで江戸時代の吉原遊女に関する講義のような?(講義って言ったら烏滸がましい)お話会も開催しようと思いますので、興味がある方はインスタチェックしていただけると嬉しいです!!!

今回はこのあたりで。


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