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【日本史】非合法な遊女町「岡場所」とは
やっほー。瑠奈でーす。
金曜日お疲れ様で~~す!
今回は日本史シリーズ。
江戸時代、吉原遊廓が幕府公認の遊廓としてにぎわっておりましたが、それに対し、幕府非公認の色町が存在していたことをご存知ですか?
今回は幕府非公認の遊女町「岡場所」について紹介します。
岡場所とは
江戸には、吉原遊廓以外にも多くの遊女町が存在した。
それは「岡場所」と言われ、無許可で売春業を営んでいた。
吉原遊廓が幕府公認なのに対し、「岡場所」は幕府非公認というわけだ。
また、吉原遊廓の遊女は幕府公認の遊女のため公娼とされるが、岡場所で働く遊女は非公認のため私娼となる。
時代によって数の変動はあるものの、天保(1830~1844年)以前の江戸市中には40~80ヵ所も岡場所があったという。
幕府は岡場所を許していたの?
岡場所は違法なので、当然ながら取締りの対象。しかし、幕府は見て見ぬふりをしていた。吉原で遊ぶには、かなりの費用がかかり、一般庶民は利用できないことも多く、立地が良いわけでもない。
一方、岡場所は吉原に比べて格段と安く、江戸市中のいたるところにあり、多くの庶民や下級武士も通っていた。
そして、驚きなのが、幕府は吉原だけでなく、深川などの岡場所からも税金を徴収していた。これじゃあ幕府公認じゃん。
岡場所は幕府にとって金のなる木でもあった。
吉原遊廓の敵
岡場所が江戸市中のいたるところにあれば、客も岡場所へ流れてしまう。
吉原遊廓も黙ってはいない。そのため、吉原よすの各町の名主が町奉行所に訴状を出すこともあった。
幕府は岡場所を黙認していたとしたが、岡場所の刈込み、一斉検挙を行うこともあった。これを「けいどう」(警動、怪動)と称したが、あまり効果はなかったとされる。
しかし、天保の改革の際に行われた「けいどう」は相当なもので、一時江戸市中の岡場所は一掃された。検挙された岡場所の遊女たちは、「吉原送り」とされ、吉原で働くことになった。
どこに岡場所があったの?
江戸にあった代表的な岡場所は、
・深川
・上野
・根津
・音羽(文京区)
・赤坂
などなど。
中でも「深川」は人気で、吉原に次ぐ繁栄ぶりだった。深川の中でも七ヵ所に分かれているのだが、1837年(天保8)の頃には、この七場所合わせて、遊女472人、芸者261人もいたと言われる。
岡場所によっても、さまざまな特色があり、「深川芸者」という芸者も活躍し始めた。この辺の話はまた今度書こうかな!
今回は吉原遊廓以外にも、幕府非公認の色町があったんだよ~ということを紹介させていただきました。
今日はこの辺で!
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