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【日本史】尼になった吉原遊女!?「佐香穂」という遊女について

遊女関連の本を色々読み返していたら、
「佐香穂」という遊女が
ちょうど読んでいたページに登場して

「佐香穂」のことを思い出したので


今回は「佐香穂」という吉原遊女について紹介します!

◎尼になった吉原遊女「佐香穂」とは

「佐香穂」のプロフィール

まずは佐香穂さんのプロフィールでも書きましょうかね。

名前:佐香穂(さかほ)
お店:元吉原の角町、並木源左衛門抱えの遊女
出身地:鎌倉
ランク:格子
恋人:有
佐香穂の恋人は、西国の武士で、吉原に来る時は「梅」と名乗っていた。
佐香穂は80歳過ぎまで生きたとか。

★元吉原:明暦の大火前の吉原遊廓のこと。明暦の大火で場所をお引越ししたので。
★格子:太夫の次に高いランクなので、最高に近いです


尼になった「佐香穂」

1645年(正保2)の2月、佐香穂は突然髪を切り、小雨の降る夜、吉原を抜け出し、町奉行・朝倉石見守の御役所へ向かった。

佐香穂は、仏門へ入りたいと訴えた。


(仏門?!って感じですが、なぜ出家すると言い始めたのか、理由を後で書きますね。)


「ついに気持ちが収まらず、髪を切ってここまで来てしまった」という佐香穂を朝倉は保護して、佐香穂のお店である並木源左衛門の元に引き渡した。

佐香穂の意思は固く、抱えの源左衛門にも訴えたところ、「佐香穂は素直な性格で、これまでよく頑張ってくれたから、年季明けまであと一年あるが、暇を出そう」と佐香穂の熱意を買い、貞閑の法名で出家することを認めた。



なぜ尼になろうと思ったのか?

佐香穂が発心した理由は、佐香穂の恋心が深く関係している。

佐香穂の恋人であった「梅」は佐香穂に「本国へ帰る要件が出来た。また来る。」と固く再会を誓う。
しかし、夏が過ぎ、秋になって….

殉死していたのだ。

梅は生存の内に佐香穂に宛てた手紙があり、
それが2月の初めに佐香穂の元へ届いた。


そこには遺品と一首、歌が詠まれていた。

かつむすび かつ消えかへる うたかたの
あはれはかなき 世のちぎり哉

かつ結びかつ消えかえる=一方では結ばれ、また片方では消える

うたかたの=水の上に浮かぶ泡沫のこと、はかないものの例え

あはれはかなき=あっけない、はかない

世の契りかな=この世での男女の約束だろうか


契は男女の約束とかを意味するので、今世では2人が添い遂げることはできないとわかっていたんでしょうね。

はかない、あっけないって言ってるし。


吉原の遊女と大家の武士が結ばれるのは現実的に難しい
とされてきましたから。


佐香穂はこの歌を詠んで、
この恋を成就させるためにも、
梅を弔うためにも、尼になること決心した。


仏門に入った佐果歩は、鎌倉で余生を過ごし、80歳過ぎまで生きたとさ。


おしまい。


他に尼になった遊女はいたのか?

有名な遊女で仏門に入った女性はいたとされているが、吉原の遊女として苦界を抜け出し、尼になったのは佐香穂が最初。


なかなかこんなことは許されないと思います。


佐香穂のこのエピソードは、庄司勝富『洞房語園』(享保5年)という本に載っていますよ~~ん。


院生の時、主査の先生に『洞房語園』の佐香穂の話を原文のまま読まされたのを思い出します。


なんて書いてあるか分からなさすぎて、先生に「もうわからん!!」って授業で言い放ちました(笑)

先生も「これくらい読めないと~」みたいな感じであきれてましたけど。(笑)


今回はこの辺で。

以上!



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母がバツ2の女子大学院生。瑠奈
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