身体障害者手帳の取得
書類を書ける先生がいない
障害年金を受給していましたが、身体障害者手帳も取得したいと考えていました。
身体障害者手帳の必要書類は、都や県から指定医として認定されている医師だけが記載できるものです。
大体何の病状で申請していいのかも分からないし、半分以上挫折しかかっていました。
慢性疲労症候群を診てくれている医師が、神奈川県の指定医師をご紹介くださいました。
チャンスです。しかしながら、病状が進み神奈川県まで移動したら動けなくなります。病院に近いホテルを取って3泊4日の日程で動く事が決まりました。
区役所で書類をもらえない
1度目は、病気の詳細を相談して書類をもらおうと思いました。
結果、医師ではないから分からない。担当医に相談してくださいと帰されました。
2度目は、書類を書いてくれる神奈川県の指定医師が決まった事や、肢体不自由用の書類が欲しいと伝えやっと貰えました。念の為、もう1部くださいとお願いし合計2部もらいました。
なんだか不服そうでした。書類を渡すとペナルティでもあるのかしらと思ったぐらい。
なんででしょうね?
今でも不思議です。
3泊4日の身体障害者手帳取得への旅
神奈川県は近いですが、なかなか行く事はありませんでした。だから、パートナーとの旅行の様で少し楽しみでもあったのです。
その楽しさも1時間くらいで地獄の苦しみに変わっていきました。あの時「今すぐに横になりたい」と思いました。もう電車の床でいいから横になりたかったです。
ホテルで横になれた時「天国だ!」
そう思いました。
次の日は診察日。
果たしてどうなったでしょうか?
診察日
ホテルから病院まで電車で向かい、パートナーにガイドしてもらいながら電動車椅子を動かしていました。
歩道が狭く、かなり歩きにくかったのを覚えています。そして、病院自体も電動車椅子では入り難く「ここは車でくる病院なんだなぁ」と思いました。
診察はスムーズでした。
予定時間より前に到着したにも関わらず、すぐに先生が来てくれてスタート。
看護師さん6人くらいで、私をベッドに寝かせます。(デブですみません)
血圧を「痛いよね、ごめんね」と言われて、測ってもらいました。なんだか気を遣ってもらいお姫様気分。
次に、握力計を持たされました。
一生懸命に力を入れます。
元々握力は、右手40位あったので心配してなかったんです。
それがビックリ!
右手1、左手0でした。
上肢機能障害とされました。
ここのところペットボトルを取り落としたり、蓋が閉められない理由がやっとわかりました。
ショックでした。
あと、足の検査で両下肢機能障害とされています。これは電動車椅子に乗っていたので仕方ないかと思いました。
診察が終わり、ホテルにて
激痛と疲れや痺れなどが私を襲います。
うとうとと寝ては呻いて起き、また眠る事を繰り返しました。
パートナーはさぞかし心配した事だと思います。
申し訳ない…。
ご飯は、只管に松屋系列のトンカツ屋さんでササミ丼みたいのを買ってきてもらい食べてました。
辛い体に染み入る美味しいご飯でした。
回復に1日半を費やしなんとか帰路に着きました。
帰ってから提出まで
障害福祉担当窓口に、「交付申請書」、「身体障害者診断書・意見書」、写真を提出し申請しました。
この際に印鑑が必要になることもあります。
また、今ではマイナンバーも必要になるようですね。
提出から審査が始まり、障害等級が決定します。
およそ1ヶ月~4ヶ月で手帳を受け取れます。
私は3カ月くらいだったと記憶しています。
心配だった事
障害年金の等級は1級なのに、身体障害者手帳の等級が2級になった事でした。
年金も2級まで下がるかもしれないと、考えていたからです。
生活ができなくなる可能性があると焦りました。
が、現在も身体障害者手帳は2級のまま。
障害年金は1級でいただいています。
心配は杞憂だった様です。(今のところ)
終わりに
今は慢性疲労症候群で身体障害者手帳を取ると4〜6級がいいところと聞いていますので、混乱の過渡期に申し込んで今があるんだなぁと勢いに乗れたことに感謝しつつ、前例を作れなれなかった事を悔やんでいます。
今主にこんなサービスを受けています。
・収入による医療費の免除
・タクシー券の交付
・介護サービスとの繋がり
・訪問診療
・理学療法士さんのリハビリ
とても感謝しています。
筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)、線維筋痛症の患者としては最高のサービスを受けられています。これも頑張ってくださった先生方のおかげです。
ありがとうございます。本当に感謝しています。