ミラクルシティコザとコザが燃えた日
惹かれない訳がないこのタイトル、両方観てきました。
きっと偶然なんだろうけど、同じ日、同じ場所の二つのフィクション。多くのテーマ、キーワードが重なりまくる。
ウチナンチュ、米兵、ベトナム戦争、沖縄戦、犯罪に巻き込まれる弱者、音楽、家族…
ミラクルシティコザは笑いも混ぜながら重たいテーマを大衆化し、今を生きる人たちの関係性も描いている。今のコザには、ファンキーなオジィたちも、ほぼニートで音楽の道を目指す20代もいるし、タコスがうまいoceanもある。嘘みたいだけど開発計画もある(あんな四角い箱じゃないけど…)。
嘘みたいなホントの話が散りばめられ、当時を生きた人たちには懐かしく、そうでない人たちにはエンタメとして受け止められている。多分、風刺的側面もある。今、コザにいる私にとっては、笑えるし、泣けるし、うちあたいする(チクチクと痛い)ところもある。
一方、コザが燃えた日。演者の最初の一言で、そこは1970年のコザ市にトリップ。違和感のない中部訛り。ストーリーの全てが誰かの実話。hanaの場所もゲート通りのあの辺だなと頭に浮かぶ。理不尽さを攻撃的な感情でぶつけるのではなく、許容と諦めと優しさと悲しさと後悔が渦巻く中、目の前の人を想い、必死に生きているコザの人がそこにはいた。きっと、舞台の中にいたハルオやアキオは私の周りにいる。たぶんナナコも。
持っている小さなタオルがぐちゃぐちゃになりまで涙がとまらなかった。
情報量の多い2つの作品が同時期に多くの人にお披露目されたのは、本当に偶然なんだろうけど、運命的に思えて仕方ない。
でも、これは過去の話。この時代がなければ、今のコザはないけれど、本当のコザのまちはもっともっと複雑で多面的で、面倒臭くて、人間臭くて、奥深い。そして愛にあふれている。
ミラクルシティコザは全国で公開中です。この映画は、ほとんど地産映画です。下手したら50%以上コザ産です。だから、きっと多くの人がわからないかもしれない、ギリギリセーフの部分や、小バカにしている描写もダメ出しも、他人に言われると腹が立つことも、受け止められるんだと思います。
コザの特性として、言葉にできないエネルギーを発します。これを感じることができる人はコザを受け入れられることができる人です。
hana 1970コザが燃えた日
もう公演は終わってますが、たくさんの動画や記事、電子台本の販売などいろんなページにHPからアクセスできます。お客さんの感想の中に、物語を地でいくコザの人からのものもあり、読み応えありました。こういう感想があるのは、この舞台をとても感度の高い人がとても丁寧に作り上げたもので、静かな熱量を役者さんをはじめ全ての人が受け止めて、観ている私たちに伝えてくれたんだと思います。
最後に、役者さんって本当にすごいな。もちろん、全てのスタッフ・関係者の皆さんも。
コザを描いてくれてありがとうございました。