スッタモンダヴォーズ 超重要アースデイ
「できない・・思考から離れる瞑想なんて私にはできないわ」
『花子はすぐできないという』
「・・ハ!無意識に”できない”と決めつけていた!?」
『おまえは何者なのだ?』
「な、何者って・・私は私」
『その自我を外してもらう。なぜなら、すでに調和されていた世界だったと気づくからだ。すでにすべては愛されていたと。すべてはソレでしかなかったと。完全なる至福。その中心から溢れるものによって。ソレと同じものが身体や身体の外側にも広がっている』
「鏡(心)の穢れを落とせということ?」
『そうだ。自我を外せば心が浄められる。観念を外せば不要な学びは起きぬ。その浄化された心とは思考を通さぬ聖心だ。一瞥の体験者は理解できよう。いくつかのパターンがあるがその体験は”すべてはひとつであり繋がっている”という知識をもたらす』
「現世の意味ってことね。観念とはカルマともいえる」
『察しがよい。”今ここ”しか無い。記憶、思考、それらはやってくる。プログラムだ。過去から今、今から未来もすべて決められており、それらは本当のあなたではない。だが、カルマと呼ばれている観念を完全に解き放つのもまた”今ここ”である。それを選ぶのは誰か?・・あなただ。まだ自己が実在の真理であることを知らないあなただ』
「お父さん、私は花子よ!」
『ひとりしかいない部屋でその名前に意味があるのだろうか?』
「・・!?」
『分離はない。どこにも。宇宙はひとつしかない』
「私の宇宙ってこと?」
『それは自我からの視点であろう。いくつも宇宙があるのではなく、いくつも自我がありまるで分離しているかのように観えているだけであり、心は世界にひとつしかない。一者』
「・・・」
『実在を思い出すなら在るがいいだろう。一者に目覚めるなら探求するがいい。だが、いつまでも探求していては辿り着けないだろう。同時にこうも云おう。”知的探求には終わりがない、それは花子をまったく自由にはしない”と知りながら知識を深め続けるもいいだろう。また、すべて満たされたまま生きるなら在りながらがいいだろう。なぜならそれ以外は意味がないと完全に認識するから』
花子は、ジョニーや弟のボビーを身籠っていた頃を思い出していた。完全完璧の疑似体験ともいえるソレ。完全に自己充足し満たされたソレ。
『このスケベイダーの話しは真剣に聞くんじゃないぞ♡なぜなら、原初から今ここにおいても花子は実在なのだから』
「!・・真剣に聞くなって、お父さんの話しは全部ガ、ガラクタの内容だと?」
『ある者にはガラクタであり、またある者には何か意味があるのかもしれない。それを私は知らない。私はモンモンカードと愛しか知らないのだ』
「やっぱりカードじゃん!💢」
『ははは。冗談、冗談。あまり真剣になるでない😝』
あなたは何もせずただ在る。
ただ、ただ在り続ける。
思考や想念、感情や自我が余計に現れるかもしれない。
「ほれほれ、自我が存在するだろう」
「思考こそ本当のあなただろう」
「想念を飛ばしてくる他者が存在するだろう」などと。
それでも、あなたは全てを手放してただ在る。
やがて、痺れではなく実在そのものを感じ始める。
あなたと実在はひとつになる。
そこに”私”と考えるものはいない。
そこには意識だけ、理解しかない。
至福が訪れる。
あなたは至福を自覚するだろう。
それでもそれでもあなたはただ在る。
意識、至福、存在、愛。
それだけが完全に満ちている。
しだいに何もかも消え、平和。気づきだけ。
完全なる無。
完全なる有。
ゼロ。
概念化できるものは何もない。
そしてあなたは、別次元の静寂に入るだろう。
在る。
大丈夫だ。
すぐに在りながら地球ライフを送れるから。
全イチのまま。
愛そのもののままに。
「じゃ、じゃあ何をやってもプログラム・・。死んだらどうなるの?」
『本当の花子は死ぬ存在ではない。輪廻転生をしている者ではないからね。真実の世界においては生死という概念は存在しない。教える者も学ぶ者も存在しない』
「え・・。じゃあ人生に意味はないの?それとも自分とは何かを知ることに意味があるの?」
『どちらも正解だ。意味とは花子が付与する意味以外に存在しない。人間は真っ白なキャンバスに観念や信念という絵の具を使い自由に描くことができる。しかし、唯一の真実は実在そのものだ。よって、その他如何なるものにも価値はない。在る以外は霊界も現象界も幻想だ。しかし、すべてを神の現れとするならそうだろう。神の子を自覚していようがしていまいが』
「・・・」
『いくら頭で考えても、知識を深め、知的探求を続けても真の理解は得られない。ソレがソレ自身に目覚める。聖なる自己認識』
「目覚めに興味ない私はどうすれば」
『安心することだ』
「え」
『花子はプログラムの思考でも現実世界で傷ついている者でも、死を恐れている者でも何かの行為をしている者でもないからだ。それらは本当の花子ではない』
「それを伝えるためにだけに、スケベなモンモンカードを収集しながらも真理に?」
『私の目的はモンモンカードだけだ。なぜなら真理はどこにもいかない。ゆえにすべては愛と奇跡の冗談という偉大な言葉があるのだ』
「なんだ。じゃあ、プログラムの役割を選んでも、何をしててもいいんじゃない」
『・・花子。おそれを抱いているだろう?』
「ドキッ!👀💦」
『すぐそこにある真理に戻れとは云わぬ。それでも在ることによって、そのおそれや災いから解き放たれるのなら、知らず知らずのうちに掴んでいるその存在しないものを手放してよいのだぞ』
「手放す・・。赦す・・」
『身体は本当の花子ではなく幻想であるが、同じく幻想の星回りと連動している。その身体は地球の細胞であるからな』
「俗にいう3次元?」
『心も別次元であるが、穢れが落ちれば別次元が現れるというカラクリだ。観念を落とすほど、少しずつ真理に近づく』
「まさか、病気の原因は・・」
『思いだ。その意識が現れたものが現象における病気とされているものである』
「固まる・・物質化・・現象界・・」
『真理に至れば、ソレが現象にも現れ、人々の姿かたちは美しさそのものとなる。だが、現象において現れるのは先の話しだ。理。雨が降り風が起き、大地や気温の変化は起こる。それと同じくプログラムされたものは完璧だ。完璧さを知らぬ自我だけが、不完全な世界だと思い込み、その身体にまで不完全をきたしている』
「すべて完璧だって?」
『理解が至っていないだけだよ。世界にひとつしかない心(鏡)が現象化している。現世の本質は何も変わらぬ。ただ観る者の観方が変化している』
「まさに変化だけの世界」
『花子の中心が映し出している。気に入らないなら、観念を塗り替えればいい。だが忘れるな。本当の花子は完全完璧である。それは変化する世界にはまったく干渉していない。また同一化しないトキ、全イチとなるトキ、そこに個人は存在しない。超えよ、心さえも』
「心を超えるとは、現象も霊界も?💦」
『ミスゴ氏の例えであれば、超えたところが神界であろう。だが、本当の我々の姿はすでにソレなのだ』
プログラムされたものと、本当のあなた。
あなたではないものと、実在。
その明確な違いを改めて認識させていただきました。やりとりの最中、心地良い波動でした。
「ん?それにしてもえらい長いな。・・あー、そういうことか!プログラムと実在の愛の違いを明確にせよ、と。まさに文字で示されれば理解るとはこのこと♡」
ふう氏に中心から感謝いたします👏
ちょっと可愛らしい女性かな?とおもっておりましたら、本人から『おっさんです』と。いえいえ、いずれにせよ神の子でしょう👼
男女の別という、そのような次元のお話しではございません👏✨
無境界の愛は思考も現実世界も超えたところですから。
お歌は、ふう氏…でなくリリコ氏でした🤣🎶
「そんなのやってられない。わたしはボビーの就職準備で忙しいんだから!」
『いや、花子にはリミッターを外してもらう。なぜならもう書かれているからだ』
「・・カード集めでもやってれば」
『人間に自由意志はない。私がカード集め大好きなのは決まっている。それと同じく、在る以外に花子が本当の自由になる術はない。理。それにジョニーやボビー、その子孫たちの暮らす未来に争いや不安などないほうがよいであろう?中心につながる者はすべてを想う者だ。それとも、花子は自我を残すかね?』
「・・ハ!!」
『ははは。とはいえ、どちらを選んでもよい。プログラムを本当の自分ではないと完全に理解して観るもよし。また在るもよし。役になりきるもよし。すべてよし。問題はどこにもなく、すべてはそのままで愛なのだから』