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排外思想
「韓国なんて最低よ!あの国はダメ。みんな頭がおかしいの!」
普段、虫も殺さないような心優しい祖母は、韓国の話題になった途端に豹変する。
テレビのニュースで国際問題を取り扱った時、
何気なく韓国ドラマの話をした時、
祖母の地雷を踏んだ途端、韓国大批判大会が始まってしまうのだ。
幼い頃は、適当に聞き流していたが、大学生になってからは、祖母の嫌韓に対して、とてつもない不快感を抱くようになった。
私は、学生の半数が留学生を占める国際色豊かな大学に通っている。
留学生の中で最も多く割合を占めているのは、韓国人である。
そのため、韓国人の友達とグループワークをしたり、一緒にご飯を作ったり、定期的に連絡を取ったりしている。
“韓国人だから”と特別な扱いや感情を抱くことなく、ただの友達として接している。
だからこそ、祖母が何の根拠もなく、韓国をただ批判する度に、私は大切な韓国人の友達を、けなされたような気がして、とても悔しく、悲しい気持ちになるのだ。
なぜ、顔も知らない人達に対して、そこまで嫌悪感を抱くことが出来るのだろう。
“嫌韓”のような排外思想を持つ人々は、“愛国主義者”として讃えられているという現実がある。
物事は、常に多面的である。
行き過ぎたナショナリズムは、祖母のような排外思想へと繋がってしまうのだ。
そして、厄介なことに、その加減は本人にしか分からない。他人が何を言おうと、彼らは聞く耳を持たなくなってしまう。
そんな行き過ぎたナショナリズムや、排外思想で傷つく人を減らすためには、どうしたら良いのだろうか。
それは、顔の見える友達を作ることに限る。
目に見えない“韓国人”から、“〇〇さん”のように個人的な結びつきを作る。
人と人のつながりを作り、対話を増やすことで、
偏見を減らし、知らない人を無闇に批判しなくなるのではないだろうか。
そして、それを率先的に出来るのは我々のような若者世代である。
韓国人の友達がいたり、ドラマや音楽を通じて、韓国を身近に感じている。
私達で、次のナショナリズムを作るのだ。