小学生の私が出会った「白骨の御文章」
こんにちは。ガーデプランナーのhacoです。先日、祖母を天国へ見送りました。
小学校6年生の息子も、納棺、通夜式、お葬式と参列し、多分自分の身近な人(曽祖母)を見送るったのは、初めての経験だったと思います。
小学生の私と祖父との別れ
思い返せば、私もちょうど息子くらいの歳に父方の祖父を見送る経験をしました。今では珍しい祖父の自宅での葬儀でした。
暑い夏のことでした。
その後、どれくらい続いたでしょうか、週に一度、祖父の実家に集まってのお参りがあり、その時にはお坊さんではなく、父の叔父がお経を読みました。
そのお経を読んでいる姿を見て、私も大叔父に並んで一緒にお経を読むようになえいました。
とは言え、その時だけやってみただけで、以降はそういった機会もなくあの夏だけの出来事でした。
白骨の御文章との出会い
私の実家は浄土真宗本願寺派という宗派に属しています。
お経の一番最後に、白骨の御文章を読みます。
お坊さんがお経を上げられたのちに、法話をされ、その後に読まれるのも御文章です。
実は、この御文章も大叔父との読経の後にも必ず読んでいました。
そして、繰り返し読む間に、小学生の私の中で「人が死ぬ」ということについて、なんとなく腑に落ちたところがあったのです。
念の為。
私は信心深いわけでもなく、お寺に毎月通うようなこともしていません。気が向いた時に実家のお仏壇にお参りをし、お盆やお正月の時にお墓参りに行くくらいです。
白骨の御文章に書かれていること
お経は呪文のようで全く意味がわかりませんが、御文章は古文で書かれているので、何が書いてあるのか耳で聞いていてもある程度理解をすることができます。
この御文章に書かれていることが、私の人生観の根っこの方に残っているのです。
小学生だった当時の私が受け取ったのはこういった感じのことです。
あの夏に、繰り返し繰り返し御文章を読んだ私は、その後に大切な友人をなくした時、大阪の大学時代ずっと可愛がってもらった大阪の叔母が亡くなった時、母方の祖父を亡くした時、と、度々この「白骨の御文章」に触れる機会がありました。
その度に思うのです。
そうか、そうだよな。
人はいつか死ぬのだと、そして慌ただしい葬儀ののち、あっという間に荼毘に付されて白骨のみが残るのだ。と。
今回の祖母の葬儀も慌ただしく済み、お骨になった祖母が自宅へ帰ってきました。
御文章に書かれていた通りで、それは約30年前の祖父の葬儀の時とも何も変わりませんでした。
こんなに世の中は進歩しているのに。
そして、この御文章が書かれたもっと昔も、それは変わっていないのだと思うと、これからも、どれだけ医学が進歩して命が延びようとも、最後は皆、白骨になるのです。
白骨の御文章をよりわかりやすく現代語にしてあるものを見つけましたので、よかったら読んでみてください。
白骨の御文章から学んだこと
「白骨の御文章」には、人の人生は浮草のようなものだと、皆誰もが死に向かって生きていること、それは年齢は関係ないのだと書かれてあります。
「だから後生の一大事を解決できる仏は阿弥陀仏しかないのだから、阿弥陀仏の本願を聞いて、いつ死んでも極楽参り間違いなしの身にしていただきなさいよ・」と、最後は結ばれているのですが、ここまではまだ達してはいませんね;
悲しみの先に
身近な人を残した悲しみの先には、それぞれ一人一人違った想いが残るのだと思います。それは私では経験したことのない深い悲しみをご経験される方もいらっしゃると思います。
私もこれからまだ亡くなった方を見送る機会があるでしょうし、その時々で悲しみの先の新たな感情に出会うかもしれません。
そしてまたその時々に、この「白骨の御文章」を聞く機会があればまた新たな感情と共に「あ、そうか。」と思うのでしょう。
地域や宗派によっても送り方はさまざまです。
そして、詳しくはありませんが「死」に対する考え方は宗教やその宗派によっても違います。
ですので、私がこういったことを書くことで、気分を害する方がいらっしゃるかもしれませんが、私の感じたままを書かせてもらいました。
ただ、小学生でこの「白骨の御文章」と出会った私は、心のどこかで「人の一生の一番最後はこういうことなのだ」と、ほんの少しだけ分かったようなふりをして、それがふりだったとしても、この御文章に触れていて良かったかな。と思っています。
まとめー「死」から学ぶこと
先日、お坊さんの法話の中でその方が死んで初めて教えてもらうことがある。」というような事をおっしゃっていました。
そう、「死」から学ぶこと。確かにあるなあ。とそれも腑に落ちたお話でした。
大切な方を亡くされてまだ悲しみの中にいらっしゃるも大勢いらっしゃるでしょう。
その方達には、私がかけられる言葉もなく、ただ現実的なことを書いているだけなのだと、非力に感じます。
だけど、生きている私たちだからこそ、その方の悲しみに生きて寄り添っていけたらな。とも思うのです。
さて、今日はここまでです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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