食べるとは何なのかがわかったかもしれない日
少し前のことです。会社から10分ほど歩いたところにある、小さな料理屋さんで遅めのランチを食べました。カウンターのみで、夜はお酒と料理、昼はランチ営業をしている、おばあさんがやっているお店です。
ランチは少し歩いてでもいろんなお店を巡って、その日の気分で美味しいものを食べるのを楽しみにしています。
その日は、遅めの時間だったこともあり、いつも通りがかりに気になりながらも、ちょっと入りづらいなと思っていたお店に行くチャンスのような気がしました。
のれんをくぐり、店に入ると自分の他に客が一人と、カウンター越しのおばあさんの3人です。店の中はしんとしていて、もう一人の客がみそ汁をすする音しかしない空気感にちょっと緊張します。初めてということもあり、メニューがどこにあるのかもわからず、緊張を悟られないようにゆっくりと店内を見まわしパッと目に入った、後ろの壁に書いてあった牛めし定食をお願いしました。
おばあさんがまな板で何かを切る音、鍋の沸騰する音、食器がカチャカチャとぶつかる音を聞きながら、さりげなく店の中を観察します。
しばらくして、みそ汁や漬け物、小鉢などが出てきて、それらをつまみながら、牛めしができ上がるのを待ちます。
どれも美味しいのですが、このとき、何とも言えない不思議な感覚がわきあがってくるのを感じました。美味しいとか好きな味とかではなく、懐かしい味や手作りの味とかでもない感覚です。
そして、牛めし。
失礼ながら、たまに食べるチェーン店の牛丼をイメージしていたのでちょっと面くらいつつ、「そうか、これが牛めしなんだ」と思いながら、糸こんにゃくから食べ始めました。
想像するよりもあつあつのご飯としっかりと味のついた牛肉を口に運び、付け合わせのマカロニサラダや切り干し大根を食べ、みそ汁をすすり、漬け物をかじり、またご飯を頬張っていると、突然、「食べる」とはこういうことなんだ、という今まで考えたこともない何かに心がしめつけられます。
その時、頭の中に浮かんでいたのは、吉本ばななの「キッチン」の中で、みかげが雄一にカツ丼を届けて食べさせるシーン。そして、ジブリの作品の中で何度となく描かれる食事のシーン。
食べることは生きることなんだ。元気を出して生きていかないといけないんだ。みたいなことを思いながら、牛めしを食べていたような気がします。
なぜ、みかげはカツ丼を届けずにいられなかったのか。なぜ、ジブリの作品では食事のシーンが描かれるのか。その理由が自分の中で理解できた瞬間でした。
あとから思い返すと、この頃、いろんなことが重なってものすごくバイタリティーを失いつつあったタイミングでした。目先のこともそうだし、先々のことについても、少し見えにくくなっていました。
毎日しんどいとか、不安でしかたないとか、そんなことはまったく感じていなかったんだけど、無意識にのうちにバイタリティーが下がっていた、そんな時期でした。
そんな折にふと立ち寄ったお店で食べた牛めしが、今まで読んだ本や映画の記憶を呼び覚ますトリガーとなり、自分なりに食べることの意味を理解し、思いがけずエネルギーを取り戻すという不思議な体験をしたという話でした。
これはまさに啐啄の機だったんだなあと思います。
そして、おばあさんがつくる手作りの牛めしだからこその体験だったのでしょうね。
これを書いていて思い出したのですが、サマーウォーズでも、おばあちゃんがこんなことを言っていましたね。
本を読んだり、映画を見たりすることは、単なる娯楽というだけではなく、ふとした瞬間に、そこに込められたメッセージを何年もあとに知ることもあるんだなあと思うとおもしろいですね。