三善晃・谷川俊太郎の合唱曲「生きる」のテンポへの実感について
指定難病で50日くらい入院し、退院まであと100日くらいかかる状況の正月に、学生時代に演奏した合唱の音源を聴いていた。
三善晃の合唱曲「生きる」(詞:谷川俊太郎)は、1分間に58回のテンポで演奏するよう楽譜にあり、1分間に60回刻まれる現実の時より少し遅い。手が届きそうで、絶対届かないものを目の前に歩き続ける演奏が意図されており、詩の内容も相まって、長期入院中に演奏音源を聴くと思うことがあった。
年末も正月も入院して全てがスローモーな今のサマを思うと、1分間=60で生きてる外の人より、今の自分は四分音符=58で、生きているに手が届きそうで絶対届いてない実感があるし、入院生活は確かに非日常だがいまだに非現実感があり、生きているのかよくわからん。
薬で身体と精子の遺伝子を破壊しながら世代をへた未来をすてて個体としては健やかに生きようと入院しているはずだが。谷川俊太郎の「生きる」の詩は「生きているということ」からはじまり「くしゃみをすること」「いまどこかで産声があがること」とつづく。どちらも今できない体だし。
そんな状況で三善晃の意図により作られた合唱曲としての谷川俊太郎の「生きる」を演奏した過去を1/2の病院のベッドで聴いて思い出したのは良いことだった。また演奏したいものですね。ハードルが高すぎるけど。「生きているということ」「それはのどがかわくということ」。
「鴎」(詞:三好達治、作曲:木下牧子)もやりたいね。
鴎は「ついに自由は彼らのものだ」から始まる歌で、いつでも歌いたくなるね
三好達治、木下牧子の合唱曲
あとは、煙、少年、終曲のある、「見よ、かの蒼空に」(詞石川啄木、:作曲:信長貴富)
あとは、「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」(詞:宮沢賢治、作曲:千原英喜
おわり。