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111. 目標は明確に口に出した方が良い。周りにコミットする事で自分を追い込んで行けるから〜孫正義〜

みなさんこんにちは。

今回は、ソフトバンクグループの代表取締役会長兼社長の孫正義さんの格言について紹介していきます。


孫正義とは

孫正義さんは佐賀県鳥栖市の集落に4人兄弟の次男として生まれました。

豚や羊と一緒に生活する貧しい生活でしたが、一時期は父親の密造酒製造販売や消費者金融、パチンコ店を数十店舗を所有し、高級車も複数所有する裕福な時期もあったそうです。


小さい時はおばあちゃんっ子でよく可愛がってもらっていました。

ただおばあちゃんが14歳の時に日本に渡ってきた韓国人というのを気にして、物心がついた時に大嫌いになったそうです。


そんなおばあちゃんを避けるようになった時のこと、父が吐血をして入院しました。

1歳上のお兄さんは高校を中退して働き、家計をサポートしたそうです。


この家族の危機にどうにかして這い上がらないといけない、どうやって這いあがろうか、と考えた末に、事業家になろうと決めたそうです。

いじいじぐずぐずしていた中学生の時に「龍馬がゆく」を読んで、腹を括ったそうです。


そして、父親が倒れてもなお、家族を支えるため、そして自分が悩んできた国籍や人種に悩んでいる人たちに孫正義の名でみんな人間は一緒だと証明すると誓ったそうです。

それから米国カリフォルニア州に4週間の語学留学、1974年に久留米大学附設高等学校を中退、2月にホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校に入学、セラモンテ高等学校2年に編入、3・4年を飛び級し、翌年1975年にホーリー・ネームズ・カレッジに入学しました。

1977年にカリフォルニア大学に編入し、
1979年にシャープに売り込んだ自動翻訳機で得た資金1億円を元手に米国で「Unison World」を設立しました。

1980年に日本に帰国し、1981年、経営総合研究所との共同出資で「日本ソフトバンク」を設立しました。

「お金じゃない、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに貢献できたら幸せだ。
どこか名前も知らない小さな女の子に『ありがとう』と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」

と今も思っているそうです。


目標は明確に口に出した方が良い。周りにコミットする事で自分を追い込んで行けるから

孫正義さんは、元々は貧しい家庭に生まれ、韓国人という祖母のことも物心ついた時には気にしていたようです。

そんなタイミングで父が入院し、家計を支えるために兄も学校を中退し、働くようになります。

母も一生懸命働いている中、自分が這い上がらないといけないと考え、事業家になることを決めました。

周りには、父親が入院しているのに、自分は父を置いてアメリカに行くのかと、それはエゴだと言われたそうです。

その中でも、家族を支えたいからと、同じように悩んでいる人に証明すると誓って行ったからこそ、なんとしてでも成功させてやると事業を立ち上げ、成功させてきたんだと思います。

家族と離れているからこそ、早く成功して守らなければいけないと思い、努力をしてきたのだと思います。


僕も地元に親を残して東京に出てきているので、親を早く楽させてあげたいなと思っています。

一人息子で大事に育ててきてもらったからこそ、次は自分が社会人として稼いで、両親と仲間達で海外旅行に行きたいという夢もあります。

そのためにも、今はできることをガムシャラにやるだけだなとも思っているので、孫さんのいう通り、目標を明確に口に出して周りにコミットするようにします。


最後に

今回は、ソフトバンクグループの代表取締役会長兼社長の孫正義さんの格言についてご紹介してきました。

貧乏な時代を経験し、どうしても家族を守る必要がある、同じように人種などで苦しんでいる人たちの鏡にあると決めて、実際に事業家としても成功されています。

そんな時こそ目標を周りにもコミットして、絶対に成し遂げてやると決めてきたことが伺えます。

年齢や人種など関係なく、今からと決めて動いていくことが、自分の目標を達成する一番の近道なんでしょうね。


それではまたどこかで。

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