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戦争とは何か?

戦後75年を迎えます。映画「この世界の片隅に」を観た方は多いのではないでしょうか。私は観たとき、正直、倒れそうなくらいの衝撃を受けました。私は、戦後の生まれで戦争を知りません。しかし、自分の人生の中で同調できる部分が多かったので、余計に衝撃を受けたのだと思います。他人事ではなく・・。
 私は虐待問題についてのコラムを書いていることが多いのですが、どうしても今の時代に伝えたかった内容であり、また戦時中を生きのびてきた方々からみれば、私の被虐待体験など大したことがないと思われますが、自分の中で非常に同調する部分が大きかったので書かせていただきました。この映画の感想です。戦争とは何か、を教えてくれました。

この世界の


自分の愛する人、居場所、大事だった夢、生きていく希望、日々の小さな幸せ・・何もかもが奪われる。それが、戦争だと思いました。そして、どれだけ奪われても、誰も責任を取ってくれないのです。誰にも訴えられない悔しさ。この苦しさは、誰に訴えればいいのか、なぜ大事なものを奪われたのか、愛する人は、いったい何のために死んでいったのか全く分からない・・・。そんな人々の想いに、倒れそうなくらいの衝撃を受ける映画でした。100年先より、永遠に伝えてほしい映画です。
 私は、広島県広島市に昔、2年間、住んでいたことがあります。この映画の舞台の呉市の方とも知り合いになりました。正直な感想を言うと、広島は戦後75年経っても、原爆の影響からか、人々の心の荒れた地だと思いました。いじめも非常に多い土地柄でした。以下は、広島に住んでいた頃の原爆を体験した老夫婦の物語です。

私が住んでいたアパートの隣には、かなり高齢の老夫婦が、ふたり暮らしをしていました。おばあさんは、もう高齢で目が見えず、おじいさんと、何とか二人で支えあって生きていました。動物が好きな老夫婦で、よく私の愛玩犬を連れて行っては、大変、喜び、心の優しい老夫婦でした。何度も通っているうちに、ある日、こんな話を老夫婦から聞かされました。 
原爆が投下された8月6日、この老夫婦も広島に住んでいたそうです。被爆地からは、少し離れた地点にいたため、一命をとりとめたものの、当時、中学生だった息子さんは、被爆の影響で、後遺症に苦しんだという話です。 毎日、頭が痛い!と転げまわっていましたが、不幸にも、国が定めた支援の適応外地域にいたため、医療の支援を受けれなかったというのです。他の被爆者と同じく原爆の被害者なのに国から「支援対象外」にされたのです。 その息子さんは、こう遺書を書き残し、自殺したそうです。

「お父さん、お母さん、ぼくは、頭の痛みが取れません。なので、勉強もできず、大人になっても、まともな職にも就けない。だから、死を選びます」。両親に、そう遺書を書いて、自殺したそうです。 
この老夫婦は、75年の間、どんな想いで生きてきたのでしょう。多くを語ることのない、老夫婦のひとつの物語は、全く別の時代を生きる現代の自分たちと、決して無縁ではない気がしたのです。
時代がどれだけ変わろうと、世の中は静謐であってもらいたいと思います。多くの人々の願いです。また、虐待サバイバーの支援も、同じ被害者なのに、国の線引き支援で、支援対象外となる被害者を生み出してはならないと思い、私は活動をしていおります。今後とも応援、どうぞよろしくお願い致します。

虐待の後遺症については、以下の書籍に詳しく描いています。



虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!