サバイバーミッションは絶対悪か?
サバイバーミッションとは、トラウマから生き延びた人が、トラウマを抱えた他の人を助けることを自分の使命とし、それに囚われることと言われ、多くのトラウマ・サバイバーがサバイバーミッションに陥ることは指摘されている。
私はかつてサバイバーミッションに囚われていた時期がある。しかし、サバイバーミッションという言葉に出合い、自分も当事者としてサバイバーミッションに陥っている自覚ができてから、サバイバーミッションに囚われて自分を苦しめることを止めた。この言葉や解説した書籍に出合えて本当に良かったと感謝している。
しかし、私はサバイバーミッションが絶対悪だとは思っていない。自分を苦しめるまでサバイバーミッションに囚われることは間違いだけど、自分を楽しく充実した人生にしてくれるサバイバーミッションの〈在り方〉は、善いものだと思う。
過去にやってみて、私にとって直接支援は、非常に苦しいものだった。しかし、活動のやり方を文を書き〈啓発活動〉のみに変えてから、サバイバーミッションの性質は私の中で悪から善に変化した。
自分もサバイバーミッションの活動で自分が楽しく幸せであり、読者にも全てでないにしろプラスの影響を与えているならば、サバイバーミッションは自分のためにも他人のためにもなっていると思う。
拙著「わたし、虐待サバイバー」(ブックマン社)の中に〈当事者はキャリアです〉と書いているが、過去の歴史を見ても当事者が立ち上がり、社会や法律を大きく変えてきた事例はたくさんある。そこからもサバイバーミッションが絶対悪とは言えないことが分かる。
私はサバイバーミッションが自身の中に宿っていることを自覚しながら、〈共存〉する道を選んだ。誰かを恨んだり、怒りに思う感情を人間誰しも全て排除できないように、サバイバーミッションも完全に追い出すことはできないからだ。
その代わり〈共存〉するためには、サバイバーミッションに自身が喰われるやり方ではなく、自身が活かされるやり方を探したのだ。
サバイバーミッションは絶対悪ではない、というのが私の出した答えである。サバイバーミッションを宿していることを自覚し、そいつを「居ていいよ」と受け入れ、自身もそいつに喰われるのではなく〈共存〉する道を探して共存することができれば、サバイバーミッションを宿す当事者として、サバイバーミッションは絶対悪ではないと主張したい。
サバイバーミッションは、宿した者が悪にも善にも変化させられる。
※虐待の後遺症(複雑性PTSDや愛着障害、解離性同一性障害など)については、以下の書籍に詳しく描いています。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。