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自分の書くものに自信がない、書くのがこわいときは。


最近あるフォロワーさんから、「コンテストの選考を通過してから、書くのが急にこわくなってしまった。もっと自信を持てばいいとわかっているのに」といった内容(勝手に要約させてもらいました)のメッセージをいただきました。これに関してわたしはものすごく気持ちがわかるというか、ちょうど最近同じようなことで悩んで自分なりのひとつの答えに行き着いていたところだったので、今日はそのことについて書いてみようと思います。




「自分の書くものに自信がない」「書くのがこわい」こういう気持ちに、わたしはときどき陥る。

特にきっかけなく漠然とそう思うこともあれば、あまりにも上手いプロの作品を読んだ直後やコンテストに落ちたとき、また反対に今回のフォロワーさんのように人から評価してもらえたとき(コンテストで結果が出たり、仕事で高い評価をもらえたり、noteの記事が跳ねたりしたあと)にその気持ちに襲われることもある。つまり、いいときもそうでないときも結構ずっと自信がない。

ちょうどわたしは昨年、あるジャンルのコンテストで自分にとってはあまりにも大きな、身に余る賞をいただき、運がよかったとしか思えずこわくなり、そんな中さらに受賞者として作品作りに励まなければならなくなって、プレッシャーの海に放り出されてしまった。うれしさより、圧倒的にこわさだった。実力や努力以上の結果をいただいてしまった、これからは受賞者として見られてしまう、下手なものは出せない、失敗できなくなる。わたしは自己満足ではなくて、人に届けるために書いているはずなのに、たくさんの人に読んで欲しいはずなのに、誰にも読んでほしくない、こわい。おいおい何のために応募したんだよ、なんだけど、こわいものはこわい。ちょうどこの受賞後にほかのコンテストでこてんぱんにされたこともあって、余計にこわくなった。祝福の言葉をもらうたび、たのしみにしてますねと期待してもらうたび、わたしはそういうんじゃないんですよ、と部屋の隅に隠れたくなった。

なんとか自信を持ちたい、このこわさから抜け出したいと思ったわたしは、昔から応援してくれている人に相談したりした。「まぐれじゃないよ!実力だよ!」って言ってもらえば、お世辞でもいいから「昔から才能あったよ!」とでも言ってもらえれば、ちょっとは自信がつくんじゃないかと期待して。でも、それはほとんど効果がなかった。自分の過去の作品を読み返してみるということもしてみたけど、これもあまり意味がなかった。

だけど、どんなにぐじぐじ言ったって前へ進み続けるしかない状態にわたしは置かれた。締め切りが迫ってくるのだ。自信はなくてもやるしかないという状況になって、ひとつわかったことがある。

それは、「書くものに自信がない」「書くのがこわい」を越えていくには、また新しいものを書くしかないのだということだった。


これはあくまでわたしの場合なのだけど、自信を過去やこれまでの作品に求めようとすると、こわさや不安は増す一方だった。考え方を変えたり、誰かになぐさめてもらうことで自信を得ようとしても無理だった。でも、新しいものを書く、新しい作品を作り続ける、その真っ只中に身を置いているときは一瞬不安から逃れることができたし、一日を終え、一週間を終え、わずかながらにでも手応えを得ることができるのだった。

自信は過去や実績が作ってくれるものなのだとずっと思っていた。でも、どうやらわたしの場合はちょっと違うらしい。書き続けて、言葉を探し続けて、ひとつひとつ形にしていく、そのもがいている過程の中にいるときの手触りこそが、いろんな意味で未熟な自分をちょっぴり強くしてくれるのかもしれない。数ヶ月もがいてきた中で、いや今まさにもがいている中で、そう感じている。



ねえ、こわいですよね。わたしもこわい。自信はない。でも、だからわたしは今日も書き続けようと思っています。そうすることでしか、自分を助けてあげられないような気がしているのです。今回わたしに気持ちを話してくださったフォロワーさんが、自分なりのその気持ちの越え方を見つけられますように。応援しています。

おわり

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