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本音
最近試験を受けるために休みの日は図書館に行くことが多い。
そこで見つけたよく目にする本を手に取った。
「むらさきのスカートの女」
表紙に紫が使われているわけでもなく、
謎に2人の女性が布を被さっているイラストがプリントされている。
巷で面白いと有名で何度か目にしていたのでこれを機に買って読んでみることにした。
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日本の日常をリアルに描いた本だと思った。
そこにある日常には、生きづらさ、日本の特徴が落とし込まれている気がしてスッと感情移入する事ができた。
人々は本心を隠しながら、それでいて本音をちらつかせている。
この言葉が最初に刺さった。
私がよく考えていたことだから。
その本音を導き出し、寄り添うのは至難の業だなと。でもそこに寄り添う事ができれば本当の信頼につながるなと思っている。
家父長制社会である日本では女性の居場所を得にくい。女性が劣った存在としてみなされる社会では、女性たちの間にも序列が生まれやすい。語り手が「自らを騙りから排除し」ながら、作中にはしっかり存在している矛盾に魅了された。
むらさきのスカートの女が働く職場では、女性の割合が多い。そこを仕切るチーフは男性。その男性と女性の関係性がまさに日本を描いている。
挨拶の言い回しは、表面通りの意味の奥に、相手に何事かを強いる力を秘めている。あるシステムにおける立場をわきまえる意思があると表明するための社会的言語である。
挨拶は大事!とよく言われるが、その所以が言語化されたものだと思った。
「強いる力」
社会で集団行動をする際にまとめたり従わせたりしないといけない場面がある。そこでは身をわきまえる何かを身につける必要がある社会。
人間が言葉を支配しているのか、それとも、言葉が人間をとらえているのか。言葉を用いながらそれでいて、言葉にとらわれずにいることは可能なのか。このこともまた、作品に込められた問いの一つである。
この言葉はすごい深いと思った。
私の中のどこかにある感情が分かりやすく書かれているような気がした。
言葉だけでは言い表せないものを伝えたいときに、言葉に支配されたくないなと思う。感情を伝えたい時もある。それをうまく表現できる表現者になりたい。
最近読んだ本の感想でした。