書いて話して書いた夏 | 莉琴
今年が節目の年になることはわかっていた。同時に精神的にも身体的にも物理的にも、もうありとあらゆる面で余裕がなくなることも明白だったから、始まる前は正直リレーエッセイへの参加は難しくなってしまうのではと危惧していた。自分が提案したくせにと歯痒さと申し訳なさを感じていたが、今も執筆を継続できてほっとしている。
書いているから元気なのか、元気だから書いているのか。
自分でも意外なほど、今年のわたしは元気だった。富士急の高飛車に乗り続けているような怒涛の日々ゆえ無表情で虚空を見つめてしまうときもある。それでも内面を丁寧にすくい上げ、文字に落とし込む時間がわたしを個人に引き戻してくれるように感じられる。
リレーエッセイ執筆に際して、ノートに構成案を書いたり、ゼロから直接スマホへ打ち込んだり、いろいろ試すうちにプロはどのようにされているのか気になってきた。
するとすぐに商業出版されている2名の作家のかたとそれぞれ1対1でゆっくりお話する機会に恵まれた。
そのうちの一人には数年前のトークイベントでご質問させていただいたことがあった。
趣味が料理でも写真でも「料理家になるの?」「プロを目指してるの?」とは聞かれないのに、文章を書くことが好きと言うと「作家先生になるの?笑」と言われてしまう。書いても誰にも読まれない、反応もない、求められてもいない。それでも書きたい。書き続けることに意味はあるのか、とわたしは尋ねた。
今思えば、ひとり細々と続ける趣味に対して背中を押してほしいがゆえの問いだったと思う。
そのかたは「まず、意味がなければ続けるに値しないと思わせてしまう世の中でごめんって感じなんですが…」と前置きした上で、たくさんの理由とともに書くことを続けてくださいと仰った。
そのやりとりを経て書き続けて辿り着けた現状をお伝えすると、とても喜んでくださった。あわせて、執筆スタイルや作家生活の実情などをお伺いすることができた。
もう一人の作家のかたも「莉琴さんがそういう場に参加していること自体がうれしい。どうか文章を書き続けてください」とまっすぐ目を見て伝えてくださった。
お二人との会話によって意欲はブーストされ、その後はまるでひとり夏期講習のようにたくさん書いた。
リレーエッセイ、文章教室の卒業生との発表会はもちろん、リレーエッセイの当番以外にも自主的にメンバーのエッセイを受けて執筆する個人noteを始めた。
そして、あとから見たらかけがえのないものになることは明白なこの毎日を留めおけるように日記コミュニティにも参加し始めて日々を書き残した。
そうしてわたしの夏は過ぎ、年初からを振り返った8月31日には充実感のかたまりと化した。
「もう今日が今年の大晦日でも悔いなし」
1年が16ヶ月あるかのように濃密な今年も残り3ヶ月となった。どう締め括ろうか。
ご自愛しつつ、まだまだ書いてゆきたい。
目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。