
超オススメ映画「聖なるイチジクの種」~たかがヒジャブで命を落とす無念が今も~
イランの政権から目を付けられ、それこそ命懸けで映画制作を続けるモハマド・ラスロフ監督が本作で取り上げるのは、たかか布切れ一枚で、家庭がズタズタに切り裂かれる現実を寓意的に描く。イスラムでは必須の要求で当たり前かもしれませんが、本作のセリフにも「ヒジャブ着けないだけであり得ない・・・」のセリフが登場するから、私の感覚も違ってはいない。

直接的には2022年9月19日のニュースに基づく。イランの首都テヘランで、マサ・アミニさん(22)は13日、頭髪を覆うスカーフを適切に着けていなかったとして道徳警察に逮捕された。目撃者によると、アミニさんは警察車両の中で殴られ、その後、意識不明に陥り、アミニさんは16日に亡くなった。この事件がきっかけで、実際に抗議行動が起きるも、徹底的に弾圧される。まさにこの抗議の模様の実際映像が本作にも挿入される。頭を撃ち抜かれた死体がそのまま画面に登場する衝撃。マサさんの面影もそのまま映し出される。
この悲劇が本作の中で取り入れられ、テレビ映像も当時のものをそのまま使い、登場人物が不安にかられる描写がポイント。道徳警察による検挙を受けて、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための国家の下働きをするのが公僕が本作の主役。禿げ頭なれど実直で、昇進も順当で大理石をふんだんに使用したコンドミニアムに何不自由なく住む。絵にかいたような妻と2人の美しい娘の4人の家庭が舞台となる。現状の暮らしを維持するためには国民の反感をかう政権に寄り添うしかない。当然に彼の仕事柄、活動家達から個人攻撃の対象となってしまう。これが本作のシチュエーション。その上で、役所から護身用の銃を貸与されるも、それが忽然となくなって・・さあ大変ってお話。

イランの政治をウィキから引用すると、憲法では同時にイスラム教シーア派を国教と定め、キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教の市民は被選挙権などを一部制限される二級市民として、バハイ教徒・無神論者などは、国内での生活自体を認められていない。政治と宗教が相いれない原則をつくづく思い知る。女性に対する制約もまた、私達の理解を超えた理不尽の域。本作は、それらを糾弾するのではなく、国家の仕組みを一家4人の関係性に落とし込んで描き、世界に知ってもらうのが役割。
急進的な思想に染まる2人の娘を非難しつつも、母として2人を包み込む包容力で理不尽をのみ込む母親が素晴らしい。法律だ宗教だの前に根源的な産みの母が最優先なのは、当然。父親の仕事は政権に近いため娘達にも何をしいてるのか秘密って凄さ。そうこうするうちに抗議デモに参加した娘の友人が血まみれとなって家に運び込まれ、国家の縮図が家庭にすっぽりとハメられる。国家の為はひいては神のために、紛失した銃をモチーフにして、妻及び娘を疑い出した段階から、温厚な父親が秘密警察さながらの恐怖政治に一変する。
緩やかな前半と比し、後半は別の映画化と思うようにトーンが異なってゆく。疑心暗鬼が何を産むのか、サスペンス色が増し、周囲の何気ない日常の視線が一挙に監視に見えてしまう不幸。カーチェイスをしてまで監視を逃れ、ついには家族内で銃を向け合う狂気にまで突き進む。母親の有り様との対比が強烈で、ジレンマの極致のままクライマックスへ突入してしまう。言うまでもなく実に不毛なまま絶望的地獄絵図となる。
もとより父親の苦悩は判るものの、娘を監禁までするのね。肝心の次女の心理が今一つ不明確なのが玉に傷、よけいに父親をエスカレートさせてしまっているとしか思えない。これまでいい暮らしが出来たのも誰のお陰と思っているのか? と世の父親の嘆きが聞こえてくる。
宗教は違えど、情報収集にテレビよりインターネットってところが痛く沁みます。ビデオカメラに封印された仲睦ましい一家の笑顔の映像が、悲劇を強調してしまう。どこからどう見ても人間の道を外れた現実をイチジクの種に例え、テヘラン市内を隠しカメラでロケーションの心意気を讃えるべきでしょう。アフガニスタンではもっと酷い状況とか。国際世論に訴えるしか術がない事を、理解したいものです。冬はともかく、クソ暑い日本の夏でもイスラムの女性は頭をすっぽりと覆っていらっしゃるのを見かける昨今。変えたい人々が多ければそれを受け入れ改革する柔軟性が試されている。