発達障害の“特性”から学べること
Eric Clapton - SIGNE
α. ADHD(注意欠如・多動性障害)
*集中力がない(不注意)
*落ち着きがない / 順番待ちができない(多動・衝動)
β. ASD(自閉スペクトラム症)
*コミュニケーションの欠陥
1. 言語・知的遅れが無い…アスペルガータイプ
2. 言語・知的遅れが有る…カナータイプ
*興味や行動が限定的かつ反復的
【阿】 左に草履、右に下駄
近年、テレビなどのメディアで取り上げられたことにより『発達障害』という言葉が広まっています。発達障害とは診断されていないのですが、似たような症状を持つ「発達障害グレーゾーン」や「境界知能」などの言葉も見かけますね。
これらを見分けるのは素人には無理ですし、対応できる場合もありますが状況によっては難しいこともあるでしょう。加えて、発達障害に酷似した症状のある『愛着障害』もあります。愛着障害は、専門医でさえ誤診していることがあるので、そりゃ素人には分からなくて当然です。
関連する書籍がたくさん出ていますが、それらを読んでいくと「あれ? この特性って見たことあるな」「もしかして、あの人はこれだったのか…?」など、気づくことが多々あります。もちろん、私は専門医ではありませんから断定はできませんが、それでも彼らに対応・理解するときの参考になります。
さまざまな発達障害がありますが、中でもADHDとASDの2つは他のものに比べて、比較的知れ渡っている印象です。そして、これらの『特性』を知っていくと仕事に応用できる部分があると思いました。仕事の中でも育成・思考法・改革にそのまま使えるんじゃないかなと感じたのです。
ただ、いまだに『発達障害』に関して、「そんなものはない!」と存在を否定したり、「母親の責任だ!」と一方的に原因を決めつけたりする人もいるようです。古い考え方に固執しているようですが、以前と比べて解明されてきたものもありますので、考え方をアップデートしてほしいものですね。
アップデートといえば最近、素粒子物理学の分野で『Zボゾンの質量が大きすぎる』との実験結果が出たそうです。理論が予想する結果とはズレていたのです。つまり、素粒子物理学の根幹をなす《標準模型》が間違っている可能性が出てきました。今まで正解だと考えられていたことが覆ることになるかもしれませんね。そして、『覆る』ことは科学に限らず起こることです。
地動説を主張したガリレオ・ガリレイは、地動説は正しかったのですが、『潮の満ち引き』に関しては「地球の自転と公転によるものだ」と間違えましたね。のちに、これは《万有引力》が原因で起こることをつきとめたのがアイザック・ニュートンです。
潮の満ち引きは《月の引力》によって起こります。地上から”月の入り”を見ると「そう見える」ので勘違いしてしまいますが、
月が、海に沈んでいく のではなく、
海が、月に落ちていく のです。
実際は『逆』ですね。まぁ《月の引力》はそこまで強くないので、海が丸ごと月に”昇っていく”ことはありませんから安心してください。
社会では『理不尽なこと』がたくさんあります。発達障害の人に限らず、自分の考えが伝わらなかったり、どれだけ努力しても思うような結果が出ず、悔しい思いをすることもあるでしょう。そんな辛いことや悲しいことがあった夜に月を見上げるのは、あながち間違いではないかもしれません。
さて、それではそろそろ本題にいきしょう。
それは、『落ちていく』のか『昇っていく』のか…
(なお、本記事における医学的な間違いは、筆者の誤読・誤解釈によるものですので、すべて自己責任です)
Donny Hathaway - What's Going On
I. 『順番』 と 『同時』
人は生きていく上でさまざまなことを脳で情報処理しています。言語理解・知覚推理・作動記憶などがありますが、その中に『処理速度』と言われるものがあります。
『処理速度』は、スピード・正確さ・時間管理などの要素とともに【継次処理】と【同時処理】の2つの情報処理の仕方があります。
【継次処理】…1つずつ順番に進めていく
【同時処理】…複数のことを同時に進めていく
2つの情報処理の仕方を別の言い方で表すと、
【継次処理】…シングルタスク・直列思考(≒ロジカルシンキング)
【同時処理】…マルチタスク・並列思考(≒ラテラルシンキング)
このように言い換えることもできます。そして、障害と結びつけると、
【継次処理】…ADHDの人が苦手とする
【同時処理】…ASDの人が苦手とする
もう少しいきましょう。
【継次処理】…新人や、初めてやる仕事はこちらのやり方
【同時処理】…慣れた人は、こちらのやり方
こんな感じです。
どんな仕事でも『速度』を求められます。その速度を表すときに《最速》と《最短》の2つの視点があります。
【継次処理】は、《最短》でやるわけにはいきません。それは順番を抜かすことになりますので、順番を守ってやる継次処理では《最速》を使うことが仕事の速度を上げることになります。
反対に【同時処理】は、《最速》なんてものは必要ありません。なぜなら同時処理の時点ですでに《最短》だからです。すでに《最短》とは、仕事の速度はすでに上がった状態だということです。
『カレーの調理』で例えるなら、調理の工程に「食材を切る」ことと「お湯を沸かす」ことがありますが、この2つを同時に行うことを同時処理=マルチタスクと言います。そして、それは可能です。食材を切りだす前に水をはった鍋をコンロにかけとけばいいのですから。《最短》ですね。
しかし、調理の速度を上げたいからと、食材を切らずに沸いてもいない鍋にぶちこむことは《最速》でも《最短》でもなく、ただの“暴挙”です。
食材を切る速度を上げることは《最速》にはつながっていますが、お湯が沸くまで一定の時間がありますので、焦る必要はありません。つまり、《最速》と言えど周りの状況を見て、周りの速度に合わせることも大事なのです。(←これがリズムになるで)
巷で「仕事は最短最速で!!」と言っている人たちを見かけることがありますが、その人たちは《最速》と《最短》の区別がついているのか? その仕事は《最速》と《最短》を合わせる必要がある仕事なのか? など、ホントに理解して言っているのでしょうか。疑問に感じることがありますね。
お湯が沸いていないのに、食材だけ速く切ったところで何の意味もないのです。
速度と同じくらい重要な要素に『正確さ』があります。この2つは反比例するかのように、相反するところがあります。そこが反比例しないためにいろんな"改善"をしていきますが、新人にはなかなか難しいことです。たくさん試行錯誤して改善した人たちが、慣れた人たちです。先輩や上司ですね。
ADHDとASDの特性として、
ADHD…スピードはあるが、正確さに欠けることがある
ASD…正確で丁寧だが、スピードがない
このようになっています。まるでジグソーパズルみたいですね。(←凸凹やな)
【継次処理】には《最速》がいりますが、速度を上げると『正確さ』が失われることがありますので、ADHDの人が苦手とするのも頷けます。かといって、ASDの人だと"スピードがない"ので、《最速》は出せないかもしれません。が、ASDの人には“興味や行動が限定的かつ反復的”という特性があります。この特性を生かすと、仕事の範囲さえ決めてあげれば、少しずつでも速くなっていく可能性があるのです。実際、ASDの人は『過集中』の状態になることが多いようです。反対に、ADHDの人は『集中できない』ことが多いので、やはり継次処理には向かないかもしれませんね。
先述したように【同時処理】には《最速》はいりません。《最短》の時点で十分速いのですが、それは『マルチタスク』でもありますので、ASDの人は苦手です。ASDの人がマルチタスクをすると、途端に特性の良いところである『正確さ』が失われてしまうのは“気が散ってしまう”からでしょう。
『同時処理に最速はいらない』とは、正確さが無くなるまで速くする必要はないということです。であるならば、ADHDの人であれば可能かもしれません。『集中できない=注意力散漫』を言い換えるなら、『常に気が散っている状態』です。つまり、気が散っている状態が『普通の状態』なのです。それなら、ADHDの人は同時処理が向いていますね。
少し付け加えておくと、速度を表す《最速》と《最短》には、それぞれに対し2つの要素があります。
最速… 身体速度 と 思考速度
最短… 直線距離 と 曲線距離
《最短》は、『平面上』であれば2点を結ぶ直線より曲線の方が長くなってしまうのは自明ですが、『立体』であればその限りではありません。「地図」が良い例ですね。図面上で直線を結び、その航路を辿っても《最短》にはなりません。《最短》で行くには曲線の航路を辿ることです。つまり、直線は最短とは限らないってことです。最短で行きたいなら、直線(手順を抜かす)よりも曲線(手順を守る)の方が速いことがあるのです。
《最速》は、具体的には何を言っているのでしょうか? 速度には『走る・飛ぶ・泳ぐ速さ』『切る速さ』『組み立てる速さ』などがあります。これらの速度を出すときには《人間の速度》と《機械の速度》の2つがあります。どちらの速度のことを言っているのでしょうか。
『身体速度』は、人間や動物が自分の体を使って出せる速度です。もちろん個体差があるので、みんなが同じ速度を出せるわけではありません。個々に合った速度になりますので、バラバラになります。TIMEは同じにはなりませんが、RHYTHMなら合わせられるかもしれません。(←これ!これやで!)
『思考速度』は頭の回転速度や変換速度などがあります。そして、思考速度を最大にして具現化したものが【機械】です。機械はTIMEもRHYTHMも合わせられるのですが、どこか“単調”な印象になりますね。抑揚がありません。
機械的な作業が得意で好きな人もいれば、TIMEは遅くなっても他人とRHYTHMを合わせてやる作業が好きな人もいます。自分はどうなのか、相手はどうなのか、ADHDとASDに『向き不向き』があるなら、常人にも『向き不向き』があります。それらを見極めてください。
『思考速度』は脳科学的に言うと、さらに《電気的伝導》と《化学的伝達》の2つに分けられます。これらの速度は性質が違いますし、場所によっても変わってきますが、最大でも毎秒120mです。頭の回転が速い人を指して「光の速さだ!」と喩えることがありますが、光速は毎秒300,000,000mですので、それと比べると思考速度ははるかに遅いのです。音速が毎秒340mですからそれよりも遅いですね。1/3強くらいです。
脳の速度…120m/s
音の速度…340m/s
光の速度…300,000,000m/s
実は、思考速度はそんなに速くないってことです。
発達障害の方は、考えをまとめるのが苦手だったり、定形発達(常人)に比べて遅かったりすることを気にするようですが、常人でもそんなに速くないのですよ。単純な『速さ』を気にするよりも、どんな思考パターンが自分には向いているのかを意識してみてください。
思考パターンといえば、人間は【思考回路】を使いますが、機械は【電気回路】を使います。電気回路には、
い. OR回路(並列回路)
ろ. AND回路(直列回路)
は. NOT回路(反転回路)
この3つがあります。数学者クロード・シャノンが発明したものですが、シャノンは自分の発明が、同じ数学者ジョージ・ブールの『ブールの数の世界』の法則と同じであることに気づきました。そして、『ブールの数の世界』の元になったのが、ブール自身が生み出した『集合』と『論理』を合わせた学問、すなわち【数理論理学】です。(←「AならばB」ってやつや)
ブールの論文はシャノンの発明から遡ること100年ですから、いかに学問の進化には時間がかかるかが分かるでしょう。
補足ですが、通常の数の世界では『たし算・ひき算・かけ算・わり算』の4つがあります。四則演算ですね。同じように『ブールの数の世界』にも演算があり、それは『たし算・かけ算・補元』の3つです。ひき算とわり算がなくなり、代わりに“補元”と呼ばれる演算が加わっているのがおもしろいですね。
話しを続けましょう。
ここで、人間の作り出した【電気回路】に3つの回路があるなら、人間の脳そのものにも同じような回路があるのでは…? と考えてしまいます。というのも、例えば『耳の構造』なんですが、楽器の『ピアノ』と同じ構造をしています。正確には大脳皮質にある第一次聴覚中枢ですね。細胞が周波数に従って並んでいるのです。ここで大事なことは、
ピアノ(原因)と同じ構造の耳(結果)になっている のではなく、
耳(原因)と同じ構造のピアノ(結果)になっている のです。
ピアノは人間よりも後に生まれています。人間が作ったものですから当然ですね。そしてその『人間が作るもの』は意外と"最初から持っているもの"なのかもしれません。
人それぞれ得手不得手がありますので、苦手な『思考回路』があるのは当然です。中にはOR回路(並列)もAND回路(直列)も苦手な人もいるでしょう。であれば、NOT回路(反転)を使えばいいのです。反転、すなわち『逆』ですね。「作業を逆にしたら無茶苦茶になるだろ!」と思われたかもしれませんが、ここで言う『逆』とは鏡写しのこと、"右利きと左利き"のことです。
右利きの動きではなく、左利きの動きでやってみてはどうでしょうか。
“左利き”である私にとって、『右利き用の世界』では苦労したこともたくさんあります。動作が『逆』になりますから、覚えるときに頭の中で一回反転するので、右利きの人よりは時間がかかります。
ただ、そんな中で「あれ? なんでこれ、『逆』になってんだろ? 右利きの人がやるのなら、この形はやりにくいんじゃないのかな?」と思うこともありました。つまり、世の中にはなぜか、右利きの人が”やりにくい形になっていることがある”のです。
そこで出てくるのがNOT回路(反転回路)なんですよ。常人の中にも、診断されていないだけで発達障害の傾向がある人がいるのかもしれません。こういう言い方をすると「発達障害の人は思考回路がNOT回路になっているってことか?」と思うでしょうが、私はその可能性があると考えています。ただ、これは最初にも言いましたが、私は専門医ではないので『素人の戯言』だと捉えてもらってかまいません。が、こんな視点もあるのです。
OR回路(並列)やAND回路(直列)に何か問題があるから、無意識にNOT回路(反転)を使っている…使わざるをえない…と言い換えることもできますね。
レオナルド・ダ・ヴィンチの【鏡文字】は当初、難解な暗号だと捉えられ、誰も解けないものでしたが、鏡に写すだけで誰でも読めるものになりました。あらゆる可能性を探すことが、問題解決につながっていきます。
さて、だいぶ話が逸れましたかね。元に戻しつつ次にいきましょう。
Spice Girls - 2 Become 1
II. TIME and RHYTHM
TIME は相手と競うもの…競争
RHYTHM は相手と合わせるもの…協奏
仕事は速度を求められるため、ついつい《タイムを競う》ようなやり方をしてしまうときがあります。一緒に働いている人を勝手に競争相手にしたり、クライアントに頼まれた期日を守るために、「もっと速くやらなきゃ!」なんて考え方になっている人も多いのではないでしょうか。
ただ、これだと《タイムを競う》ことばかりに気がいってしまい、もう1つの仕事の仕方である《リズムを合わせる》ことが疎かになってしまうのです。
仕事の仕方には、
p. 競争 = タイムを競う
q. 協奏 = リズムを合わせる
の2つがあるってことです。
速度を表すときに『km/時』などと表記しますが、リズムの速度である“テンポ”を表すときは『BPM』という単位を使います。BPMとは『Beats Per Minute』の略称で、文字通り「1分毎の拍数」です。速度の表記に合わせるなら『Beats/分』です。まぁこんな表記はしませんが。
・速度=距離÷時間
・テンポ=拍数÷時間
どちらも“時間で割る”ことをしています。ただ、『距離』は目に見えるので分かりやすいのですが、『拍数』が見えないんですよ。「メトロノーム」や「手を叩く」ことで表すこともありますが、拍数の本質は《周期的なパルスの個数》であり、例えるなら『1秒間に何回揺れるか』で表す音程(ヘルツ)のことだと思ってもらえれば…もっと分からなくなってきますね、やめましょう。(←この説明って確かに難しいな)
さて、テンポを合わせることは、リズムを合わせることです。他人と同じテンポでやることによりリズムが合い、アンサンブル(協奏)になります。仕事でそれを成立させるには、競争しててもダメなんです。競争では「自分だけが速ければそれでいい」と考えてしまいます。『競う』のですから当然といえば当然ですが、自分だけが速くても『協奏』にはなりません。
「俺について来れないやつはいらん!!」とか言ってしまう上司は、『競争』ばかりに意識がいってしまい『協奏』を考えていないかもしれません。反対に「自分のペースだけでやりたい!!」と文句を言う部下も、さっさとその場を去ればいいと思います。(←どっちも『自分のことだけ』やな)
そして、仕事には競争よりも協奏の方が大切になる場合があるのです。
前述しましたが、ADHDとASDではまったく性質が違います。『真逆』だと言ってもいいくらいですね。競争で"走る速さ"と"泳ぐ速さ"を比べることがないのは、2つの速さはまったく性質が違うからです。性質が違うのですから、比べても仕方ありません。『競争しても意味がない』のです。
しかし、仕事はやらなければなりません。そのとき、大切になってくる考え方が『協奏』なのです。
まさに【オーケストラ】が良い例なんですが、演奏者同士で、例えば『ヴァイオリンとフルートで競争している』なんて見たことありますか? 演奏上の『演出』としてやることはあるかもしれませんが、オーケストラは『協奏』によって成り立っています。ヴァイオリンとフルート、まったく性質が違う楽器同士が共存していますね。
弦楽器同士を見ても、ヴァイオリンが4〜8つの音を出しているとき、チェロは1〜2つの音しか出していないこともあります。楽器毎の音の数が違うのに演奏が合っているのは『リズムが合っている』からです。音の数が違うのは、ヴァイオリンとチェロではまったく性質が違う(=役割が違う)からですが、リズムさえ合っていれば問題にはなりません。仕事で言うなら、
α. 短時間で終わるけど、複数の作業をやる(ADHD型、注意力散漫)
β. 1つしかできないけど、時間のかかる作業をやる(ASD型、過集中)
と、捉え直しても構いません。
α は四分音符や八分音符、β は二分音符や全音符です。
指揮者をマネージャー、演奏者をプレイヤーとして見てもいいのですが、指揮者は全ての楽器の音を聴きつつ(複数のこと)、1つの音楽になるように導いていく(1つのこと)必要があります。つまり、「複➡︎単」の方向に考えます。反対に、演奏者は自分の音(1つのこと)はもちろん、他の演奏者の音を聴き、指揮者の動きまで見ながら(複数のこと)演奏します。つまり「複⬅︎単」の方向に考えます。
ベクトルの向きが違うだけで、両者とも"複と単"の2つを意識していますね。この2つの視点を同時に用いることを《イーグル・アイ(第三の目)》と言います。『全体』と『部分』を同時に認識しなくてはなりません。(←『視野の拡張』やな)
クラシック出身者はいわゆる『頭のいい人』が多いのですが、クラシック音楽を演奏することそのものが、脳の成長を促しているからです。
そして、まったく同じとまではいきませんが、"似たような成長"を促す仕事があります。クラシックでは『楽譜』を必要としますが、その仕事では楽譜は必ずしも必要ではありません。むしろ、場合によっては楽譜が邪魔になることすらあります。その話はまたあとでするとして、話を戻しましょう。(←『学習の転移』って言うで)
「あれもこれも」となってしまうADHDは、やろうとしていることを「1つに”つなげる”にはどうすればいいのか?(収束)」を考えるといいかもしれません。
「これしかやらない」となってしまうASDは、それをやりつつ「他のことと”つながる”ためにはどうすればいいのか?(発散)」を考えるといいでしょう。
どちらの場合でも頭の中が「やることがいっぱい!」となっているのかもしれませんね。情報を一時的に記憶しておく脳の部分を『ワーキングメモリ』と言いますが、そこがいっぱいになっているのでしょう。であれば、やることを”紙に書き出す”ことをオススメします。意外とやることが少ない、もしくは簡単なことばかりなんてことがあるので。
「やることがいっぱい!」と思ってしまうのは、ワーキングメモリがいっぱいになっているだけってことですね。
ただ、やはり向き不向き、得手不得手がありますので、無理やりやる必要はありません。が、まったくやらないのもいけませんね。いろんなことが気になるADHDも、集中してやる必要がある作業を経験することが大事ですし、1つのことしかできないASDも、いろんなことを同時にする作業を経験することが大事です。
というのも、人は総じて”自分が経験していないことは分からない”からです。それを行うとき、行う人がどんな考え方をするのか、どんな気持ちになるのか、こういったことを知るには経験することが一番良いのです。
そして、経験して分かったなら、相手に対して”思いやり”を持つことができるようになります。協奏において”相手の立場に立って考える”ことはとても大事なことですよ。
音楽でよく用いられるのは、メジャー・キー(長調)とマイナー・キー(短調)ですが、実はこの2つは7つあるモードのうちの2つのモードに過ぎないのです。
【チャーチ・モード(教会旋法)】との名称で呼ばれますが、モードは
1. イオニアン(メジャー)
2. ドリアン
3. フリジアン
4. リディアン
5. ミクソリディアン
6. エオリアン(マイナー)
7. ロクリアン
と、7つあります。
長調と短調はそれぞれ、イオニアン・モードとエオリアン・モードになります。ほとんどのPOPSがこの2つのモードで作曲されますので、他のモードは知らない人もいるでしょう。(←ロボライダーとバイオライダーみたいなもんやな)
アレンジ(編曲)で『サブドミナントマイナー』と言われるコード(和音)がよく使われます。聞いたことがある人もいるかもしれませんが、実はサブドミナントマイナーは《モーダル・インターチェンジ》の1つに過ぎません。モーダル・インターチェンジとは、他のモードからコードを借りてくることです。サブドミナント"マイナー"は、『エオリアン(マイナー)モードから借りてきたコード』だから、サブドミナント"マイナー"と言われているのです。
サブドミナントマイナーならば、モーダル・インターチェンジである。(真)
モーダル・インターチェンジならば、サブドミナントマイナーである。(偽)
ってことです。前者が『命題』、後者がその『逆』ですね。ここでは命題は成り立ちますが、その逆は成り立ちません。
ADHDとASDが真逆の性質を持つように、メジャー・キーとマイナー・キーも真逆の性質を持ちます。そして、発達障害はこの2つだけではないように、音楽もこの2つのモードだけではありません。7つのモードは『7色の虹』みたいですね。
ヴァイオリンは別名『フィドル』と言い、民族音楽で演奏されるときにそう呼ばれます。クラシックではヴァイオリン、民族音楽ではフィドル。チェロより低い音程を担当するコントラバスは、ジャズでは『ウッドベース』と呼ばれます。同じ楽器なのに名称が変わるのがおもしろいですね。
ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロは、《ヴァイオリン属》ですが、コントラバスは「ヴィオローネ」という古楽器が源流になり、《ヴィオール属》とされ、《ヴァイオリン属》と区別することもあります。
音楽で『7』といえば、《7thコード(セブンスコード)》を思い浮かべる人も多いでしょう。
クラシックでは、メジャー・キーではメジャー・スケール(長音階)、マイナー・キーではマイナー・スケール(短音階)を使います。短音階は長音階と比べて、例えば『ミ』の音が半音下がっています。ですので、メジャー・キーの中でマイナー・スケールを使うことはできません。音同士がぶつかり合って、濁ってしまうからです。
ところが、メジャー・キーなのに長音階の『ミ』と、短音階の『♭ミ』を同時に使える音楽が存在します。両方とも使っていいのです。
『メジャー・キーの中でマイナ・スケールを使うことはできない』と決めたのは誰でしょう? これを決めたのは、音同士がぶつかり合って濁ってしまうことが『嫌いな人たち』です。ということは、濁ることが嫌いではない人たちは『両方使ってもいい』と判断したんですね。
そして、今では世界中で演奏されています。もちろん、日本でもたくさんの人が演奏していますね。昭和世代ほど好きかもしれません。
その音楽は、黒人奴隷が生み出した【Blues】です。
ブルースでは『 I 7th (トニックセブンス、またはワンセブンス)』というコードを使うところが、クラシックと大きく違うところです。クラシックではトニックセブンスは使いません。
ここで「トニックセブンス(I 7th)とドミナントセブンス(V 7th)は、何が違うんだろ?」と思われた方もいるかもしれませんが、これは『ファンクション(機能)が違う』のです。I 7thもV 7thも『7thコード』なのですが、ファンクションの違いにより区別できます。その区別の説明は長くなりますので、ここでは割愛しますね。
7thコードには『トライトーン』と呼ばれる不協和音が含まれています。コード(和音)にもかかわらず、すでに《濁っている》のです。調和や協和を表すはずの和音が《濁っている》のは、ちょっと不思議に思う方もいるかもしれません。
加えて、その濁っている和音を『トニックコード』として使っているんですね。本来、トニックコード(主和音)とは"最も安定する和音"であり、『始動』と『帰結』を表しますが、安定どころか濁っているので《不安定》を表します。
つまり、始動でも帰結でもなく『経過』を表しているのですよ。(←『真ん中』やで)
『経過』を表すコードが、始動と帰結を表すはずのトニックコードとして成立している音楽が、ブルースなのです。長音階と短音階の『真逆』の2つが同時に使えるのは、ADHDとASDの『真逆』の性質が同時に共存できることに似ていますね。
会社組織ではダイバーシティが推奨されていることもあり、そんな環境が理想ですが、そのためには『つなぎ』の役割を果たす人が必須です。"7thコードのような人"がいるといいですね。
「私を『人間扱い』してくれたのは、アフリカと日本だけだ」
とある黒人ミュージシャンの言葉です。私が若い頃に知り、誰が言ったのかまでは覚えていませんが、なんとなく今まで心に残っている言葉です。
ブルースほど明確ではないにしろ、日本の雅楽も『メジャーかマイナーか分からない』ところがありますね。むしろ、だからこそ、日本でブルースが広まったと言えるかもしれません。
ところで、日本に限らず組織では『少数精鋭』が標榜されることがありますが、これは危険な兆候(サイン)のことがあります。というのも、その状態はどちらかに振り切った状態と捉えることができるからです。全員が『同じ楽器を演奏している』のです。5人いれば、5人全員がヴァイオリンを演奏する、あるいは5人全員がチェロを演奏することと同義ですので、これではオーケストラにはなりません。UNISONはできますが、真の意味でのCHORUSができません。実に由々しき事態と言えるでしょう。
先ほどまで「競争がダメなんだな」と思われるような論調でしたが、そうではありません。競争することで【個性の輪郭】が浮かび上がることを忘れてはいけませんね。
【個性の輪郭】とは、自分は何が得意で何が苦手かを『外化(目に見える形)』すること、そして、それを客観的に知ることです。(←これが重要なんやで)
"全員が同じ楽器を演奏する"ことと似たような現象で、小学校の徒競走において『みんなで手をつないで一緒にゴールする』ことがありますが、いやいや、子どもは工場の『量産型製品』ではないのですから、走る速さに差があって当然なんですよ。差があるから、別々の楽器として育っていき、個性豊かな社会になっていくのです。
『平等』と『個性』は相反するものではなく、《調和》するものです。
『差』と言えば、人の意見は《肯定的》なものと《否定的》なものに分けられます。誰しも自分を肯定する意見が好きで、否定する意見は聞きたくないものです。しかし、だからといって肯定する意見や、否定する意見でも"身内"の意見ばかり聞いていると、脳の成長において重要な【メタ認知】が起きなくなります。(←これやで!)
【メタ認知】とは、自分自身を客観的に視ることです。これを会得するには、どうしても『他人の視点』からの意見が必要なのです。友人や知人などのいわゆる"身内"の意見ではダメなんですね。肯定にしろ否定にしろ、赤の他人の意見こそ客観的視点を持つ練習になります。
ここでちょっと困ったことが起こりますね。それは、
個性を大事にする。
↓
客観的視点より、主観的視点を重視する。
↓
【メタ認知】の成長が遅れる。
と、つながっていきます。個性を大事にすることはいいことなのですが、それにより脳の成長が遅れてしまうのです。
人は、【メタ認知】により自身の行動の間違いに気づくことができ、自分で修正することができるようになりますので、【メタ認知】ができないと気づくことも修正することもできません。
結果、あらゆる『改善』をしなくなり、成長(進化)が止まってしまうのです。
意見を聞くときは、《肯定か否定か》だけではなく、《身内か他人か》も意識するといいでしょう。(←軸は1つより複数の方がええで)
子どもの目線から言えば、足が遅いことは『この世の終わり』のように感じられるかもしれませんが、遅いなら遅いでヴィオラやチェロ、コントラバスがありますので心配しないでください。オーケストラにおいてこれらの楽器は、極めて重要な役割を果たしていますよ。まぁ音楽を聴かない、演奏しない人には一生分からないでしょうが。(←子どもが思ってるほど、大人の世界は『狭くない』ってことや)
『清濁併せ吞む』ことも、大事なことです。
黒人奴隷は、主に農業をしていました。食用だけではなく、人間や他の動物にとっても『植物』は必要不可欠なものですね。
Creedence Clearwater Revival - Have You Ever Seen The Rain
III. 『分断』 と 『分担』
ADHDとASDは性質が違います(相違点)が、こと『人間関係』においては似たような結果になります。両者とも人付き合いが苦手・不得手(共通点)なのです。上手に人間関係を構築することができないようですが、両者では『原因』となることに違いがあります。
ADHDは、自分のことばかり喋ってしまい、相手の話を聞かない(聞けない)ことや、話が『飛び飛び』になってしまい相手に伝わらないことがあります。
ASDは、自分の興味があることに集中してしまうので、興味のないことに極端に無関心になり、相手の話を無視してしまうことがあります。(←両者が話すと壊滅的な会話になるな)
『原因』となることは全然違いますが、同じような『結果』を生み出しますね。ただ、これらの行動は発達障害だけに見られるものではなく、定形発達(常人)の人であってもやってしまうことがあります。
常人であれば「喋りすぎてるな」と感じたとき、すぐに軌道修正するのですが、発達障害の人はこの『軌道修正』が苦手なのでしょう。バランスを取ることができないんだと思います。自分の意思が伝わらないだけで、組織が『分断』するなんてこともあり得ますので、なんとか伝えたいものです。
ADHDの話が『飛び飛び』になるのは、《思考の整理整頓》ができないことによるものだと思われます。日本の文化である起承転結や序破急など、『原因から結果』に向かっていく形での構築が難しいのでしょう。
であるならば、いっそのこと『逆』にしてみてはどうでしょうか。"逆にする"とは、行動のことではなく『思考経路(思考パターン)』のことです。
原因から結果に向かっていく思考 が苦手なのであれば、
結果から原因に向かっていく思考 をすればいいのです。
「そんな思考なんてできるわけがない!」と思いました? いや、できますよ。というか、その思考経路でできた『言語』まであります。一見、《時間を逆行》するかのように感じられるので不可能と考えがちですが、時間の逆行が不可能なのは現実世界であって、思考経路ではありません。頭の中でなら【逆行する思考経路】を構築することは十分可能です。
それは学生時代に誰もが習いましたね。できるようになったかどうかは別にして、少なくともその『言語』に触れたことはあります。
その言語は『英語』です。
中学校、今では小学校や、早いと保育園から習っていますね。まぁ、昔から日本人は"英語が上達しない"ことでも有名ですが。(←上達しない『原因』が分かるかもやで)
簡単な例を上げると、
日本語…私は 勉強が 好きではない。
英語…I don't like to study.
日本語では『好きではない』と結論を後に言うのですが、英語では『don't like』と結論を先に言います。つまり、日本語の起承転結型とは『逆』の形になっていますね。
よくビジネスの世界では「結論を先に言え」と言われることがありますが、まさに英語そのものの特性をそのまま使っているのですよ。言語と文化は切っても切り離せない関係にあるので、日本は起承転結型(原因→結果)の言語である日本語が母国語ですから、結論先行型(結果→原因)の英語がなかなか浸透しないのも肯けます。
時系列が、日本語は『順行』、英語は『逆行』になるので、《原因と結果が逆転している》と感じる方もいるかもしれませんね。
ここで思い出してください。ADHDの人は”継次処理が苦手”でしたね。ということは、『順番づけが苦手』なんです。ただ、"仕事"においては、順番づけが苦手とはいえ大事なことは必ず伝える必要があります。大事なこと=要点、つまり『結論』です。『結論』を先に伝えるようにし、「なぜ、そうしたのか?」は後から説明する《英語の思考経路》で話すといいかもしれません。
他にも日本語と英語の違いでは、『主語の存在』があります。
日本語では、主語を必ずしも必要としませんが、英語では必ず必要になります。主語のない英語は成り立たないんですよ。これは英語が流暢に話せる人ほど試してほしいことなのですが、「日本語のように主語無しで英会話をしてください」と言われたら、途端に喋れなくなりませんか? 喋れたとしてもなんとなく「喋りにくいな」と感じるのではないでしょうか。
喋りにくい原因は『主語がない』からです。
そして、この『必ず主語を必要とする特性』が仕事上では、ものすごく大事なこととして作用します。その作用とは、この仕事は”誰の仕事なのか”がはっきりすることです。
主語が『I』か『You』か、『He』か『She』か『They』か『We』かで、誰の仕事なのかはっきり分かりますね。そして、”はっきりする”とは『仕事の範囲が決まる』ことです。すると、ASDの人にとって"本領が発揮できる状態"になります。
先述しましたが、ASDの人は“興味や行動が限定的かつ反復的”という特性があります。誰の仕事なのかがはっきりし、範囲が決まれば水を得た魚となり、本来の力を出せるでしょう。
結論から先に話す英語は、音楽で例えるなら“サビから始まる曲”と言えるかもしれません。1980〜1990年代くらいでしょうか、この形の音楽が流行っていました。その当時から「サビから始まるのは邪道だ」なんて声もありましたが、音楽に『邪道』なんてものがあるのでしょうか。邪道があるなら《正道》があるはずですが、音楽においての正道とはどの音楽のことを言うのでしょう? (←『背理法』やな)
まさか『クラシック』だなんて言いませんよね。クラシックの源流を辿ると、ヨーロッパの地方音楽(民族音楽)にたどり着きます。遡れば遡るほど無数に枝分かれしていくのです。いろんな地方音楽を統合したものがクラシックと呼ばれるようになったのです。
日本の音楽は雅楽ですので、その立場から言えばクラシックも立派な『邪道』ですよ。雅楽、クラシック、ガムラン、ボサノヴァ…世界にはいろんな音楽があり、全て“地方音楽”です。正道の音楽ではありません。
だいたい、クラシックでの【教会音楽】では昔、“サビだけの曲”だってたくさんあったじゃないですか。Aメロもイントロも何もない、文字通り“サビだけの曲”です。
思考経路を逆にして結論から伝え、範囲をはっきり決めるADHDが指揮を取り、範囲の定まった仕事をASDが専門的に正確にこなしていく。
このような形のチーム(オーケストラ)もおもしろいと思います。が、いかんせん両者は真逆がゆえに衝突しがちですね。性能の良い歯車も『潤滑油』がなければギギギッと不快な音色を奏でることになります。
余談ですが、鉱物や化学合成のイメージの強い潤滑油は、《植物》由来のものもあり、食品工場などで使われる機械に使用されています。“人の身体に無害”だからでしょうね。
両者は、野球の『ピッチャーとキャッチャー』のような関係と見てもおもしろいと思います。まぁ仲がいいことが前提ですが。
いつからか、野球ではピッチャーだけが花形として報道で取り上げられるようになっていますが、【バッテリー】は一人ではできません。ピッチャーが好成績を出せるのは、キャッチャーがいるからです。それなら、ピッチャーと同じくらい取り上げられても良いと思いますよ。(←ホームズとワトソンみたいにな)
昭和時代、特に高校野球では「野球は一人タレントで勝敗が決まる」みたいに言われていて、”飛び抜けて優秀な選手が一人いればいい”との考え方もありました。しかし、時代は変わりましたし、何より一人で勝てるほど社会は甘くありません。
相棒となるキャッチャーがいたり、チームメイトがいるから安心して全力を出すことができ、好成績を残せるのです。
ピッチャーにしろキャッチャーにしろ、他のポジションにしろ、その仕事を任せられた(=分担された)のであれば、『主体性』を持って取り組むことが重要ですが、英語の思考経路は結論を先に言いますので、”主体性を持つ”ということが無意識に形成されやすいのです。「自分の出した結論はこれです」と最初に言うのですから、主体性があり自己肯定感のある人でなければできませんからね。
主体性が育っているから、結論を先に言う のではなく、
結論を先に言うから、主体性が育っていく のです。
日本人の感覚からすれば”不自然”に感じるかもしれませんね。まぁ「原因と結果は、簡単に”逆”になるんだな」くらいに捉えておいてください。
メジャーリーグでは大谷選手が活躍したり、日本でも若い世代の佐々木投手の完全試合などがあり、これからが楽しみですが、ぜひ、松川捕手にも注目してほしいですね。そういえば、松川捕手は、とある審判と佐々木投手がモメそうになったときに”仲裁”に入っていました。本来、仲裁こそ『大人の審判』の役目なのに、”子供に学ぶ”とはこのことですね。残念ながらスポーツに限らず社会には未熟な大人がいるようです。
日本語では主語がなく『あいまい=(はっきりしない)』になってしまうことは、本来は相手だけの責任にしないために機能するものです。「自分の責任だ」と考えてしまいやすい人を救うために『あいまい』な表現が用いられていたのですが、今では"責任をなすりつけるため"に機能しているようです。『あいまい』にしておけば、「自分の責任だ」と考える人ほど不利になり、そう考えない人ほど有利になりますから。
常人でも、モヤモヤした状態では仕事に手がつかないこともありますし、発達障害の人には伝わらないこともありますので、いろんなことを『はっきりする』ことも大事なことですよ。
はっきりする…濁らない…『分担』
はっきりしない…濁る…『分断』
彼方を立てれば此方が立たず…《濁点》があるかないかで随分様相が変わってきますが、どちらも必要なんですよ。ボヤけた視界のままでは航海はできません。しかし、ボヤけた視界の中で見えるものもあるのです。
『分断する(濁る)』ことで、何かが見えるようになるかもしれませんね。(←『分離』ならええんやで)
Acoustic Alchemy - The Velvet Swing
Coffee Break
さて、後半にいく前に一息つきましょう。
今回、ADHDとASDを『真逆』として扱いましたが、子どもの頃にASDと診断を受けた人が、大人になってからADHDと診断されることもあるそうです。そのくらい『共通点』も多いのですね。
(見分けがつかない…『闇夜に烏、雪に鷺』みたいなね。
ADHDはマルチタスクが得意ってわけやないで。
《継次処理が苦手 ≠ 同時処理が得意》ってことや。ノットイコールやで。
むしろ苦手みたいよ)
なんか、”集合”の『裏が偽』みたいになっていますね。
詳しく知りたい方は、記事最後に参考書籍を載せていますので、そちらを読んでください。
"葉っぱの切り絵"を芸術作品として発表して活動されている方がいるのですが、SNSで確認する限りADHDと診断されているようです。しかし、作品から想像される制作中の『集中力』はASDのもののように感じられます。
(こら、素人が判断したらあかんで。
やっぱ専門家の話を直接聞く方が間違いが少なくなるしね。
やき、会社の『健康診断』と同じような感じで『精神鑑定』を
する制度がほしいわけや。そしたら毎年確認できるし、
『原因』もはっきり分かって対処しやすいやろ)
会社で『精神鑑定』の制度を設けるのであれば、健康診断とは別の方法でやるしかないでしょう。理由は、精神に関しての専門医や専門機関の『数』が圧倒的に少ないからです。”物理的に不可能”ですね。
(『分身の術』が使えたらええけど、現実は甘くないな)
自治体の『心の相談窓口』などと連携できれば、あるいは可能かもしれませんね〜。
(アンサンブルかぁ…大事なことやけど
この国にできるんかな)
国・会社・医療機関・自治体のオーケストラ…そういえば『令和』を英語にすると【Beautiful Harmony】といいますね。
(美しい調和どころか悲惨な出来事ばっかや…)
健康診断で『身体の健康』を診るなら、『心の健康』も診るとバランスが取れますね。『カウンセリングを受ける』だけでもいいんですけどね。
(日本人はカウンセリング受けることに
抵抗があるけど、アメリカでは常識みたいやしな。
よく映画で『カウンセリングを受けるシーン』が
あるけど、あれはそれくらい"普通"のことやからやで)
普通や常識は『時代』によって変わっていきます。過去と未来、一方だけを見るだけじゃダメですね。
(みんな、並列と直列は考えるんやけど、
『反転』を考えんのよね。んで、反転には
右利き/左利きみたいな『空間の反転』と、
日本語/英語みたいな『時系列の反転』が
あるき、両方考えんとあかん)
『反転』と言われると、哲学者プラトンとアリストテレスの『対比』を思い浮かべますね。プラトンが作った学校を”アカデミア”、アリストテレスが作った学校を”リュケイオン”と言います。
(二人は師弟関係にあったけど、思想は
『真逆』やったんやで)
理想を追い求めるプラトンに対し、現実を直視するアリストテレス。理論による探究を重視するプラトンに対し、実践による経験に比重を置くアリストテレス。
(「必然にこそ価値がある」とするプラトンと、
「偶然も受け入れよう」とするアリストテレスや)
「政治は科学だ」と言うプラトンに対し、「政治は芸術だ」と返すアリストテレス。理論に基づく”正解”に向かうことを求めるプラトンに対し、実践から得た”正解”を元に進んでいくことを望むアリストテレス。
(理論に基づく”正解”に向かう → 理論で”終点”を決める
実戦から得た”正解”を元に進んでいく → 実践で”始点”を決める)
順行でも逆行でもなく、言うなれば【対行】ですかね。
(それができれば”メルテムの予測”も可能になるかもな)
理論で予測できる未来ばかり見ていた日本は、理論が通用しなくなった途端、壊滅状態になっています。今の日本にはアリストテレスの『実践に比重を置く』思想が必要ですよ。
(アリストテレスは『天動説』で間違えたから
”間違った人”ってイメージがあるけど、思想的には
日本に近いものがあると思うで)
物事を、本で勉強したり頭の中で考えたりすることを『知る』と言い、実際に身体を使ってやってみて得られる経験のことを『識る』と言います。そして、両方合わせたものを【知識】と呼ぶのです。
(比翼連理…片方の翼だけやと
飛べるわけもないよな)
【対行】を、植物の『樹』に置き換えてみましょう。樹は下から根・幹・枝の順になっています。それぞれを”複と単”の2つで考えてみると、
根…複
幹…単
枝…複
このようになっていますね。そして、言うまでもありませんが樹は、根から栄養を吸収して、幹を経て、枝に行き渡らせます。その結果、葉や花、実をつけることができるのです。
(『葉』は光合成をするから”吸収”と”結実”の『両方』やな)
ならば、こう表すこともできます。
根…原因
幹…経過
枝…結果
プラトンは『複数の物事から、ただ一つの真理(イデア)』を求めましたが、ということは【根→幹】の流れ、もしくは【幹←枝】の流れを見ていたとも言えます。”複→単”のベクトルです。
反対に、アリストテレスは『一つの出来事から、複数の結果(未来)を予測する、または、複数の原因(過去)を探る』ことに比重をおきました。つまり、【幹→枝】、もしくは【根←幹】の流れを見ていたと言えますね。こちらは”複←単”のベクトルになります。
(どっちも『同じこと』を言うとるよな)
会社において、『利益を上げる』ことは後輩より先輩、部下より上司の方が優っているでしょう。ただ、『利益を上げる』とは、樹に置き換えるなら『栄養を吸収する』ことと同義です。
であるならば、先輩や上司は『根』であるはずです。
(あるいは、花でも実でもない『葉』なんやで。
ちなみに、樹と樹の葉が重なり合わないように、
お互いに譲り合って成長することでできる模様を
『クラウンシャイネス(Crown Shyness)』って言って
直訳は”恥ずかしがり屋の道化師”やで)
ちょっとちょっと! ”恥ずかしがり屋の樹冠”でしょう。『道化師』はCROWNじゃなくて、CLOWNです。
(あ、いや、ここはなんかポイエティークに訳した方がええかな〜と)
なんですか、それ…。
まぁ、訳のセンスは横に置いて付け加えておくと、クラウンシャイネスの模様は『水脈』の様にも見えますね。
話を戻しましょう。
まだまだ利益を上げられない(=栄養を吸収できない)後輩や部下に、『根の役割』を任せることは心許ないでしょう。しかし、”いつまでも”というわけにはいきません。後輩や部下の成長に伴い、その役割を任せることが大事です。
(いつかは…やな)
永遠に生きられればいいのですが、残念ながら地球の生命はその様には作られていないのです。どんな生命にも『果て』があります。『果』と書くくらいですから、この言葉の意味は”終わり”を表します。が、その反面、《実り》をも表しています。
(”終わり”やなくて”始まり”やで)
『幹(単)』と『葉(複)』。
幹は、地面の下の無数の根から吸収した栄養を一つにまとめ、上にある無数の枝に送る役目があります。
葉は、空の上から降ってくる陽の光を吸収し、エネルギーに変える役目があります。
両方を一人でやるのは”荷が重い”と、感じる方も多いのではないでしょうか。
樹が、実をつけ、花を咲かせるのは、両方の力が合わさっているからです。両方の力が合わさっているから、『次の時代』が生まれてくるのです。
まだまだ自分では輝けない”子ども”なら、誰かが照らしてあげる必要もあるでしょう。太陽に照らされる『月』の様にです。
(月は”自分自身では輝けない”ってね)
そして、大人と子どもで『役割分担』をすると、
大人…照らす人
子ども…照らされる人
と、なりますね。
大人でも照らされて輝くことはできますが、それはそれ以上の大人に照らされているからです。間違っても『子どもが大人を照らしている』わけではありません。
(『逆』やな)
この世はいろんなことが『逆』になってしまっていますね〜。
それでは、そろそろ後半へどうぞ。
(はいはい、いきますよ〜)
Hindley Street Country Club - BEST OF MY LOVE (the EMOTIONS)
【吽】 草の庵 と 花の城
さてと、こっからはもっとざっくばらんな感じでいきたいなと。真面目な話も好きなんやけど、格式貼ったのは性に合わんのかな〜…そういうわけでもないと思うんやけどね、自分では。
ただ、必要以上に大袈裟になっとることがあるんやないかとね。烏帽子を着せるというか、そのせいで肝心のことがどんどん疎かになっていっとるような…主観やけどね。
この前、どっかの会社が『底辺の仕事』みたいなタイトルの記事か何かを書いて問題になっとって、その中に”飲食店”があったけど、間違いではないけど間違いやな。(←どうやらそれを書いた人は何も分かっていないようですね)
個性を大事に教育したいのであれば、『一緒にゴール』はあかん。"平等"を隠れ蓑にした、ただの個性の消失になっとる。”差があることを無くしたい”って考え方はいいと思うのよ。やけど、その”使いどころ”がおかしいのよね。そこやない。
他人と『差があること』で負けることはあるけど、それによって『方向が定まる』ことがあるき、何でもかんでも差を無くせばいいってもんやないで。
気の合う人ばかりの環境やと、【メタ認知】が発達しなくなるし。周りをイエスマンだらけにすると、どんどん”腐っていく”やろ。やから、《バランス》が重要なんですね〜。
音楽は、場所を選ばない。楽器がなくてもステージ上やなくても、音楽を奏でることはできるんやで。
α. Green Dolphin
例えば、『Characteristic Position(特性の位置)=CP』みたいな指標を作ってさ、それは数値で表すんやなくて、『色』で表す。数値ってどうしても”優劣”を決めてしまうところがあるけど、色には優劣はないやん。まぁ好き嫌いはあるけど、「赤より橙の方が劣っている!」とかぬかすヤツには「じゃあ、りんごよりミカンの方が劣っているってことか? ニュートンが生まれたのは『おばあちゃんがいたから』なんだが?」とでも返せばええやろ。
んで、【虹】の配列を使って、仮に『赤=ADHD方向』『紫=ASD方向』みたいにして、
検査の結果、自分の評価が「黄色」の部分に来てたら『ややADHDの傾向がある』とか、「藍色」の部分やったら『かなりASDの傾向がある』とかね。
赤・橙・黃・緑・青・藍 ・紫って、はっきりしてるところは分かりやすいけど大事なのは『・』の部分ね。ここが《つなぎ》になる。二八蕎麦の小麦粉のようなイメージよ。(←7thコードです)
あと、IQ(知能指数)って指標があるけど、実は知能指数は元々『発達検査』をするためのものやったんや。フランスのアルフレッド・ビネーらがやり始めたものが、世界に広まるうちに『IQ(Intelligence Quotient)』に変わったのや。
やったら、『Developmental Quotient(発達指数)=DQ』みたいな指標を作ってもいいかもね。んで、それはIQみたいに「IQ 120」とか数値で表すんやなくて、色で表す。「DQ light green」みたいにね。(←「天空の花嫁」までは知っていますが、やったことはないです)
ちなみに『知能』ってものの定義は、はっきりとはできてないみたいよ。やからIQテストをしても、厳密には「何を測っているのか分からない」ところがあるらしいで。ただ、定義できてることもいくつかあって、『抽象思考』とか『環境適応力』とかあるけど、その中に【経験から学習する能力】ってのがあるで。
『知能』の定義をするときに、心理学者らに「知能とは何か?」って問いを投げたみたいやけど、遺伝学者のポール・ナースが「生命とは何か?」って本を出したり、同じタイトルで物理学者のエルヴィン・シュレディンガーも出版してたり(こっちが本元)、専門家になればなるほど『よく分からない』ことがあるんやろな。
個人で評価するだけやなくて、『チーム全体』とか『部署全体』とかでもやれば「このチーム(部署)にはこういう傾向があるのか」って分かるやん。傾向が分かれば”対策”が打てる。《傾向と対策》、懐かしいね〜。
チームや部署が抱える問題の『原因』にたどり着きやすくなるかもしらんし。
真ん中の人は『緑』やから、緑の人は普通・基準になる。やき、緑の評価を受ける人が増えれば増えるほど『安定する』ってこと。やって《普通》なんやから。緑の人を増やす施策をして「緑化です」とか「SDGs活動です」って言っとけばええんや。”継続”には【普通の人の力】って大事よ。
2019年に『ホワイト企業創生論〜陽気発する処、金石も亦透る〜』って本を出版して、その時はまだ発達障害関連の本は1冊も読んだことがなかったんやけど(←というか『読書』をしませんでしたね)、この中で
って書いてるところがあるんやけど、今回扱ったADHDとASDの話と似たようなところがあるやん。捉え方は違うけど、これを書いてるときはそもそも『発達障害』なんてものは一切考えてなかったわけよ。出版したあと1年以上経ってから、先ず『発達障害グレーゾーン』ってものを知って、本を読むと「うわ、めっちゃ知ってるわ、この行動」ってなったのよね。
んで、そのあと『愛着障害』を知って「これや!!!」ってなったわけや。愛着障害はまさにドンピシャ!って感じやったね。俺が考えたり思ったりしたことが、そのまま書かれてたな〜。確信したけどね。(←素人でしょう)
Grover Washington Jr. - Just the Two of Us (feat. Bill Withers)
β. Red River
発展してない社会より近代化した社会の方が、発達障害の人が増えるみたいやけど、その原因がまだ分かってないみたいね。精神科医の岡田尊司さんが言うように『発達障害に見える愛着障害』なのかもしれんし…岡田さんは著書の中で、子どもが愛着障害になる原因として1960年代からのアメリカで起きた《女性の社会進出》に着目してたね。幼少期に母親がいないことが、思ってるより子供のダメージになるってことや。
まぁこれを言うと、昭和世代=昭和ゾンビどもは、「ほら!やっぱり『母親』に原因があるんや!」とか言うかもしれんけど、岡田さんは『父親の愛情によって愛着障害が改善・緩和される症例』も取り上げ取ったで。
なんでもかんでも『他人のせい』にしたらええってもんでもないやろ。仮に『母親の愛情不足で、子どもが愛着障害になる』のであれば、その不足してるところを父親の愛情で補えばええだけの話やで。(←捕手ならぬ『補手』ですね)
《近代化》っていろんなことに『特化した社会』よね。料理なら料理、建築なら建築、医療なら医療、コンサルならコンサル…って具合に『それだけに特化』するやんか。
その『特化』ってのがADHDやASDの『特性』に似てる、あるいは『特性』があるから『特化』していく…くるくる回る感じか。ん〜とね、
社会を近代化するには、特化した能力が要る。
発達障害は、能力が特化することがある。
その特化した能力が、社会を近代化させる。
近代化した社会が、能力を特化させ、新たな発達障害も生み出す。
特化した人(発達障害含む)が、社会を近代化(=さらに発展)させる。
近代化した社会が…ここから無限ループ…かな、多分。
思考法の『アブダクション(仮説演繹法)』になるのかな、これわ。(←アブダクションはシャーロック・ホームズの得意技ですね)
あのね、言いたいことは、『問題を解決する』ことばかりに気を取られすぎて、問題が『起きる原因を解決する』ことをやってないかもしれんってことや。点Pが動かなければ、その問題そのものが無くなるやんか。それなら、点Pを動かさなきゃええだけの話やろ。(←数学の問題でよくあります)
だいたい、『ADHD向きの職業』とか『ASD向きの職業』がある時点で、「ん? なんかおかしいな…?」とか思わんかね。つまり、
P. 発達障害が、職業を生み出す
Q. 職業が、発達障害を生み出す
この2つは、どちらも成り立つのや。おばあちゃんちに、いつもミカンがあったのはなぜなのか? (←こういうのが『昭和』ですね)
精神科医の岩波明さんが、ADHDの人に向いてる職業の1つとして『出張などが多い営業』の仕事を上げとったけど、ということは、元々健常者でもその仕事をやっていくことによりADHD(のような状態)になっていくのやで。(←原因と結果の『逆転現象』です)
ADHDとASDで左右を使った1つの『軸(x軸)』を表して、その人の特性を表すようにしたけど、『軸』は増やせるやんか。例えば、上下の軸(y軸)を、
上 第一ヴァイオリン
↑ 第二ヴァイオリン
中 ヴィオラ
↓ チェロ
下 コントラバス
みたいに分けて、『性格の適所』を調べるとか、前後の軸(z軸)を、
過去 ← 現在 → 未来
保守 継承/変換 改革
みたいにして、『思考の指向性』を見てみる…とかね。
x.y.z軸の『立体』で評価するとおもしろいのよね〜。これやと8つの空間に分かれた立方体になるけど、イメージとしては【球】の方がええかな。ほとんどの人がその球の内部に指定されるんやけど、たま〜に外部に指定されるようなヤツがおったりね。外部に指定される評価をされても気にせんでええで。それ『月』ってことやから。
球からあまりにも遠い位置の評価をされたら「自分、太陽なんで」とか言っとけばええのや。(←「M78星雲から来ました」もいいですね)
x軸…発達の特性(ADHD/ASD)
y軸…性格の適所(弦楽器)
z軸…思考の指向性(時代)
みたいな感じか〜。
y軸とz軸はまぁ他のでもいいし、各々で考えてみてちょ。要は、『数値以外』で評価する基準がいるのよ。数値以外なら”A~E”みたいなアルファベットならいいのかとか言うやつがおるやろうけど、違う、そうじゃない。(←鈴木雅之さん)
個人は「点」で表示されるけど、5人チームなら点を結んで立体パズルのピースになる。ピースの形を変えるなら人を入れ替えても良いけど、『軸』を他のと入れ替えると、まったく違う形のピースになったりね。そうなると、合わさる場所も変わってくる=アレンジの幅が広がる…楽しいね〜。
人事の仕事を指して「パズルを解く」って例えてる人がいたけど、いくらなんでも具現化されてないパズルは解けんに決まっとるやん。ジグソーパズルも立体パズルも『形があるから解ける』わけで、形がないならそりゃ解けんわな。
CPやDQみたいに【可視化】すると解きやすくなる=仕事がしやすくなると思うけどね。
ARETHA FRANKLIN - Rock Steady
γ. Blue Wind
店舗に立ったことがないSV(スーパー・バイザー)や、マネージャーの仕事を知らないマネージャーとかに出会ってきたけど、昭和世代の人たちって、ホワイトカラー・本社勤務ってものに『憧れ』みたいなものを抱いてるというか、そういう価値観を持ってる人がいて、その立場や役職に就くことが『優秀さの証し』になってるのよ。
でも、実際にその立場の人たちに会うと、現場のことを全然知らない・分からないって人も多いのよね。なぜ日本がダメになったのか、すごくよく分かる。テレビで見ただけやど『怒鳴りまくるSV(某寿司屋)』は「はいはい、知ってるそういうタイプ」って感じやったな。ホンマにどこにでもおるな。すぐカッとなる人は『男の更年期障害』の可能性もあるで。更年期障害は女性だけがなるもんやないのよ。
怒鳴りまくる人って、端から見てると『女々しい』というか『泣き喚く赤ちゃん』みたいに見えるよな。癇癪を起こした5歳児かな。大声を出すことを気合いとか『男らしい』とか勘違いしてんのかね、あれわ。『女々しい』だけやで。男やったら黙って仕事せぇよ。
近代化につれて『世界戦争』が増えていったし、今もわりと近くでやっとるけど、それって、あらゆることに特化した結果、考え方や感じ方まで『一方通行』になってしまって、最終的に『両極端同士がぶつかる』ことが原因になってんじゃないのかね。
社会が進化すると発達障害が増えることを理由に、発展を邪魔するなら分かるところもあるけど、そうやないやん。単に「新しいものはダメだ!!」みたいなさ。それは意味不明よね。んで、もし発展することが戦争や発達障害につながっていくのであれば、そこだけを止めればええやん。つまり、『緑の人』を増やせばええ。
会社では成果を上げる人たちをハイパフォーマー、成果を上げない人たちをローパフォーマーって言うけど、『緑の人』ってのはその真ん中の人たち。ハイでもローでもない、ミドルパフォーマーたち。ミドル…ミドリュ…ミドリ…グリーングリーン〜あおぞらに〜は〜ことりがうた〜い〜🎵(←ありましたね、こんな歌)
「日本ではGAFAMのような企業が生まれない」っていうけど、単に『潰しただけ』なんちゃうの。詳しい経緯は知らんけどlivedoorが潰されなければ、GAFAMみたいになってたのかな〜とか思うで。
特定の方向に行き過ぎると、反対の方向に行ってる人だけやなくて、真ん中の人も『不要』になる。真ん中(緑)の人が「つなぎ・橋渡し」の役目を果たせればいいけど、つなぐことこそ【最も難しい】ことなんよね。パズルのピースは簡単には合わないのよ。なんなら最も『現場での経験知』が必要な立場や。
火と水を混ぜようとしても、必ずどちらかが消滅する。消滅と言えばマトリフ最強の魔法、極大消滅呪文・メドローアを思い出すね。
企業や国が衰退するのは、中におる人が一方に偏り過ぎた結果、反対方向と『真ん中』まで排斥することが原因になってんやないのか。『特化』って思ってる以上に危険なんやで。
本社では「リストラだ!」とか言ってるくせに、現場では「人手不足だ!」ってなってるのは、結局『中層が多すぎる』ってことなんやろな。中層が多くてもちゃんと教えたりすることができればええんやけど、何も知らないか、知ってる指導のやり方は『怒鳴り散らす』ことだけ。店舗に対して「人件費を減らせ!」って言う前に、先ずは本社の人件費を減らせばええやん。なんも仕事してないんやから、アルバイトの高校生より"生産性がない"わけやし。
どっかのチェーン店で早朝のワンオペしてて亡くなった従業員がおったけど、人が足りんのなら本社に引きこもってる奴らを店舗(現場)に出せばええだけの話やろ。まぁ絶対出ないやろうけど。
現場が上げた売り上げを現場に還元するなら分かるけど、それを使って外部のコンサル入れて自分らでは何も考えんかったり、中層のリカレントだかアンラーニングだかの『お勉強会』のために使うって、予算の使い方おかしいやんか。『お勉強会』で習うことは全部【現場が基本】になっとるから、現場をやれば身に付くことやのに「現場なんてイヤ!」みたいになっとるやん。
コンサルを否定してんやなくて、主体となる企業そのものにやる気がないならどうしようもないって話よ。楽器を演奏するのも、指揮を取るのも『本人にやる気がある』ことが大前提よね。頼んで「あとは全部やっといて〜」って考えじゃあかんわな。
音楽理論は、
音を『出す前』から決まってるもの ではなく、
音を『出した後』に決まっていったもの なんやで。
「外で遊んでばっかいないで、勉強しなさい!」が成り立つなら、
「勉強ばっかしていないで、外で遊びなさい!」も成り立つのや。
なんか、会社が《古代ギリシャ社会》みたいになっとるよな。
古代ギリシャでは、仕事は『労働階級=奴隷』がやることで、そうやない人たちは『お勉強』してたみたいよ。現場の人に労働させて本社の人は勉強する今の会社の形そのままやん。タレスとかヘラクレイトスにでもなったつもりか。(←『万物は流転する』ですね)
まぁ、当時の勉強してる人たちは『戦争』が起こると真っ先に行かないかんかったみたいやけど。海外から日本の会社を見ると”異常”にしか見えんやろな。
歳のいったおばちゃんらが動かない足をひきづりながら働いてんのに、まだまだ動ける男どもが本社に完全に引きこもっとるからな。現場をやれば、勉強で習うようなことは全て身につくのに。(←敬老の精神も何もないですね)
ただ、『どんな現場でもいいか』と言われると、そういうわけでもないで。喚き声や怒鳴り声しか聞こえなかったり、掃除も整頓もできてないような現場では学べることは何もないね。そういう現場は多いけどね、特に飲食店では基礎中の基礎すらできてない(=教えられてない)とこもよーさんあるし。上手く回ってる店では怒鳴り声や泣き声やなくて【歌声】が聴こえる…まぁ分かんねーか…
経験したことないから勉強するのは分かるけど、『実践』を伴わない勉強は内容がどんなに良いことでもただの『机上の空論』で終わってしまうで。誰かに対して「なんでできてないんだ!」とか言ってしまう人には「鏡を見てくれ」とだけ言っとくわ。
本来、『中層』ってのは《つなげるため》に必要なものなんやけど、経験してきた限り《分断するため》に機能しとるよな。現場の問題をまったく本社に報告しない管理職は、分かっていようがいまいがそういうことやで。まぁ、本社に対応(解決)能力がないってのもあるんやろうけどね。捉え方として、
本社…表舞台
現場(店舗)…裏方
ってなっとるとあかんな。『逆』や、それ。現場(店舗)のことを裏方だと思ってるから、その場にいる人たちが好き勝手やり始めるわけよ。裏なんて誰も見てないって考えるから。
現場(店舗)が、本社を支える のではなく、
本社が、現場(店舗)を支える んやで。
なにより、飲食店(現場)には『お客さん』がおるわけよね。お客さんがおる場所が裏方なわけないやん。こっちが表舞台に決まっとるわ。本来、仕事を『本社』と『現場』に分けることは《分離》であって、《分断》ではないのよ。
《分離》すると、問題の原因が見えやすくなる。ここで問題、
《分離》と《分断》の違いを述べよ。
説明できる? 仕事しない中層の人たちに聞いとるのや。(←大きな問題は小さく分割しましょう)
一応言っとくけど『緑の人』と『中層の人』は全然違うものやで。『緑の人』ってのは能力が真ん中で、良識や人情を知ってる人のこと。『中層の人』は能力や人情があろうがなかろうが、《立場だけ中層にいる人》のこと。中層だらけの社会って、【腹だけ出てるおっさん】みたいよね。そりゃ没落するわ。(←ウェストを引き締めましょうね)
日本は『職人文化』やけど、やからこそ何かの能力に『特化する』ことを否定はしないのよ。やけど、その特化した能力を使って『他の誰かを否定する』ことは絶対に許さんで。
昔の人ほど『根性論』を標榜するけどさ、やから「私が根性出したからできたんだ!!」とか言うやんか。でも、あなたがそれをできたのは、
あなたが、根性を出したから ではなく、
周りの人が、適切な行動を取ったから やで。(Enough Is Enough!!! ですね)
『根性や気合いでは、障害は治らない』のや。
ちなみに”太陽の色”って、ほとんどの人が黄・橙・赤をイメージすると思うけど、本当の色は『緑』なんや。太陽の『黄色』と、空の『青色』を足すと『緑』になる。それが太陽の本当の色よ。
Paul Rodgers & Neal Schon - Little Wing
δ. Purple Haze
ずいぶん前から社会の目的が『現状維持』なんよな。「失われた30年」って言うけど、30年って『平成時代まるごと』やんか。平成にいろんなもんが潰された。新しいものもあったのに、「出る杭は打たれる」どころか『出る杭は潰す』って考えでみんなやられた、昭和ゾンビたちに。
日本共創プラットフォーム代表取締役社長冨山和彦さんも「昭和型ゾンビ企業を延命させる必要はない」って主旨のことを言ってたしね。冨山さんの言ってることすべてが理解できるわけやないし、賛同するわけでもないけど、冨山さんの世代から見ても昭和世代は『邪魔』なんやろね。
俺が飲食店で働いてても「これって50年前のやり方ですよね」って思うこともあったし、とにかく”時代を進めたくない人たち”がおるんやな。でもさすがに昭和ゾンビたちも力が尽きてきたみたいよ。ゾンビでも永遠には動けないらしい。
昭和ゾンビを、これ以上先の時代には行かせない。というか、行けんやろ。令和の時代に生きる子たちは、思う存分自由に生きてほしいね。
植物(緑)が生きるには、陽(火)も雨(水)も必要なのや。
「雑草という名の草はない」
昭和天皇が残した言葉やけど、元々は牧野富太郎(植物学者)の言葉よね。もう十分じゃないっすか? 昭和世代が伝えたかったことは、ちゃんと伝わってるよ。伝わり過ぎててむしろ『足かせ』になっとるんや。(←『過ぎたるは及ばざるが如し』です)
昭和時代は戦後の復興もあって、「欧米のやり方を取り入れろ!」って形で発展していったけど、数学最高峰のフィールズ賞受賞者になった広中平祐さんが、向こうでは「日本の真似をしろ!」ってなってたと言ってたね〜。1980年代の頃かね。多分、宮本武蔵の『五輪書』のことやと思う。広中さんは『あきらめることの大切さ』についても言及しとったで。
終戦してからアメリカに「追いつけ、追い越せ」で復興したのは分かる。んで、1980~90年代が最高潮で中層がどんどん増えて腹だけ出てるおっさんみたいになって、現場に出たくない人たちが本社に引きこもるようになって、現場の人手不足で生産性が下がりまくって没落して、今またアメリカに「追いつけ、追い越せ」ってなっとるやん。そうなったのは、平成を潰したからやないのか。
『歴史は繰り返す』って言葉があるけど、それって単に”次の時代を潰しただけ”やろ。次の時代を潰したら、そりゃ、時代が進まなくなる=同じ時代を繰り返すことになるに決まっとるやん。
《中層に適した社会》で中層が多いのは分かるけど、そういう社会にするためのものが平成に出てきたところを潰されたから、中層に行った人たちがすることなくなって、現場では人手が足りなくなって共倒れ状態よね。
昭和時代はとにかく「早く速く疾く!!!」みたいな”速さだけ”を求めとったやんか。いわば『最速ギア』の性能だけで勝負するみたいなさ。やけど、これからは『変速ギア』が大事になってくるんやないかね。最速ギアは文字通り、1番速いものしか認めないって感じやけど、変速ギアは「あらゆる速度に合わせます」ってことやから、アンサンブルがしやすいのよね。
そういや『ギア5(フィフス)』って、心臓の鼓動が”リズム”を刻んでたよな。
幸い、若い世代には有望なのが育ってるのが救いやな。学生の作った会社の社内公用語が英語のとことかあるみたいやし(←シャープではありませんよ)、歳は俺の2つ上の人やけど、坂田幸樹さんって人が『アジャイル仕事術』って本を出してて、まだ概要くらいしか見てないけど多分、イメージでいうと『サッカー』、音楽の演奏でいう『アドリブ』、音楽のジャンルでいうなら『フリージャズ』のことやろね。フリージャズに楽譜は必要な〜い。アジャイルは”機敏”って意味やけど、身体速度やなくて思考速度の方やな、多分。
思考速度と言っても単純な”速さ”のことやなくて、並列・直列・反転回路を、自由自在に切り替えていくこと。水平方向と垂直方向、それを丸ごとひっくり返したりね。
水平方向…ラテラルシンキング
垂直方向…ロジカルシンキング
ロジカルシンキングは、理路整然と考えるから分かりやすいけど、それは”順番を守る”ことでもあるから、まどろっこしいと思われたりする。一枚の書類に5個も10個も『はんこが要る』のは、ロジカルシンキングの悪い例ですな。
ラテラルシンキングは、マルチタスクと同じように"同時進行"で考えていくところがあるけど、『段階』がないから理論的に見えない。能力が高い人ほどマルチタスクをするけど、そのせいでロジカルシンキングができない、もしくは苦手なんやで。
前者は『上下関係・規律・順位』とかと関わりがあって、後者は『平等・共存・調和』と関わりがある。どんな場合にどちらの考え方を用いるのが良識的なのかを考えるといいかもね。
んで、”良識的な思考”をする時に役立つのが『反転回路』やで。(←相手の立場に立って考えましょう)
IT業界特有なのかな? やたら『横文字』を使う人が多いけど、相手が”知らない言葉”って、それだけで相手の脳にダメージを与えるで。本文の音楽の説明の中でモーダル・インターチェンジって出てきたとき、ちょっと「うぐ..!」ってなったやろ。アレンジの初歩やけど『ディセプティブ・レゾリューション(偽終止)』とか、もはや「言いたいだけ」みたいになるからな〜。(←発音してみると口の中がちょっと『気持ちいい』ですよ)
まぁターゲットの読者はそれで分かる人ばっかなんやろけどね。
冨山さんが言ってた『空中戦』ってのは、おそらくイーグル・アイ(第三の目)を使ったハイコンテクストな頭脳戦のことやね。実践(現場)をやれば身につくで〜。(←『対行思考』です)
俺は英語は全然できんけど(←勉強しなさい)、英語そのものが”逆算(逆行)思考”になっとるき、結果から遡って『原因』をつきとめる練習になる。英語を話すときの思考経路が”逆算”なんやで。
あと、”逆算”って、実は小学校のときに習ってんのよね。単純な足し算引き算でもあったけど、『つるかめ算』がそうなんやで〜。これって『小学校版連立方程式』のイメージがあるけど、『問題そのもの』が逆算の形になってるのよ。つるかめ算って「足が合計何本あります。それぞれの…」って形で出題されるけど、ってことは『結果が先に分かってる』ってことや。『合計』が出とるんやから。
天動説では星の運行を『周転円』とか『エカント』みたいな複雑というか、余計なものを使って説明してたのに、地動説になったら簡単に説明できるようになったやんか。(←『鏡写し』ですね)
日本に比べて発展してる国はまだまだ少ないとはいえ、いくらなんでも油断しすぎやろ。亀の歩みは遅くても、先に行ってるウサギが30年も止まっとったら、そりゃいつかは追い抜かれるに決まっとるやん。海外で「日本で働きたい」なんて声は、だいぶ少なくなってるみたいよ。自国で働くより日本の方がレベルが低いからやろね。
高い金出して自分の国よりレベルが低い国に来て、奴隷制度みたいな働き方を望む人なんておらんわな。
ネットでチラッと見ただけで真偽は確認してないけど、平成天皇は平成時代のことを『つなぐ時代』って言ってたってのを見たことがある。真に受けて解釈するなら、平成はファシリテーター(橋渡し)やコンバーター(変換器)の役割ってことやろな。
昭和が伝えたかったことは、
い. 自分が使ったものは、自分で片付けなさい
ろ. できるところまでは、自分でやりなさい
は. 間違えてもいいから、自分でやってみなさい
こういうことやで。まぁ要は、昭和世代の人たちの伝え方が下手すぎるんよな。不器用か。(←高倉健さん)
この3つって実はずっと前、子どもの頃にみんな習ってんだよね。どこかで忘れてしまっただけで。
最後に、まともな『飲食店』で学べることを述べておこうかね。自分の経験からやからキッチンでの作業がメインになるけど、
・オーダーを作ることで『確実性』が身につく。1つ1つの料理を正確に作ることは、商品を扱うどんな仕事にも求められること。
・お客さんによって頼むものが違うし、同じお客さんでもいつも同じやないから、オーダーの順番は毎日変わる。よって、『臨機応変』に『自己判断』で作っていく必要がある。(←音楽でいうなら『楽譜がない』状態ですね)
・ミスをしたとき、「どうやって補うか」を考えることで『応用力』や『瞬発力』が鍛えられ、リカバーできないなら素直にお客さんに謝ることで『誠実さ』を養うことになる。
・自分の行動を決めるときに、他の人の動きを見ることで『視野の拡張』と、ホールとの『連携』をする思考経路が鍛えられる。
自己判断力・確実性・臨機応変・思考の瞬発力・応用力・連携・誠実….etc
こういうものを身につける練習になるのや。んで、これらは【音楽演奏】にも通じることやで。
譜面通りに弾くことは『確実性』、LIVEでのハプニングに対応するには『臨機応変』や『瞬発力』がいる。ハプニングってのは機材トラブルで音が出ないとか、猫が乱入してくるとか。(←実際、オーケストラの公演でありましたね)
他の人の音を聴くことは『視野の拡張』であり、アンサンブルは『連携』やろ。
【飲食店の仕事】は、オーケストラやジャズバンドがやる【音楽演奏】に流用できる。これを心理学では『学習の転移』って言うで。数学では単に『応用』と言われるね。(←同じものを別の名称で呼んでいます)
んで、転移には『近転移』と『遠転移』の2つがある。
数学で、基本問題をやってから、応用問題にいくことが『近転移』
飲食店の仕事の考え方を、音楽演奏に応用させることが『遠転移』
最近、「数学をやろう!」って風向きがあるけど、その目的は《抽象思考を身につけるため》なんよな。でも、単に「数学をやって抽象思考を身につけよう」だけやと「抽象思考を身につけて何ができるようになるんや?」ってなるやろ。
抽象思考ができるようになると、さっきから言うとる【転移】ができるようになるのや。抽象思考ってのは『枠組み/骨組み』のこと。ジグソーパズルの1つ1つのピースの形であり、それらを組み合わせたときの全体の形でもある。(←『部分』と『全体』です)
枠組み…外から見たときの形
骨組み…内にあるものの形
ってことや。
数学の基本問題から応用問題へいくことは、同じジャンル=数学の内でやることやから、比較的分かりやすいのよ。ここが抽象思考の『第一関門』やな。やけど、まったく違うジャンルの【飲食店の仕事】と【音楽演奏】が結びつくには、“現場での経験が必須”なんやで。
『皿洗い』だけを取り上げてみても整理整頓・優先順位・逆算の練習になる。皿洗いでは食器を、
A. 水を溜めたシンクにぐちゃぐちゃに入れていく…直線作業(順番を抜かす)
B. 食器ごとに分けて重ねていく…曲線作業(順番を守る)
この2つのやり方がある。
営業が回転してない店とか汚い店は A のやり方でやってることが多い。「洗い物は速くやらなきゃ!」と思って A のやり方をしてしまうんやろうけど、実は B のやり方の方が速いのよね。速いというか"理に適ってる"のや。(←直線より曲線の方が速いのです)
B のやり方そのものが”整理整頓の練習”になっとるやろ。んで、溜まっていく食器の数から、調理場では「どの食器が足りなくなっているのか?」を”逆算する練習”になってて、その食器から優先的に洗うことで”優先順位の練習”になっとるやん。(←発達障害の『症状を緩和する練習』にもなります)
これらってどんな仕事でも基礎になっとることや。
A やと、ぐちゃぐちゃやから整理整頓の練習どころか"ぐちゃぐちゃにする練習"よね。足りなくなってる食器なんか分かるわけないし、だからどの食器から優先的に洗うのかも分からんよな。
結果、『余計な時間』がかかるし、『余計な指示待ち』をせないかんなる。
『余計な指示待ち』ってのは、どの食器が足りないのか分からないから、自分では判断ができなくて、誰かに「この食器洗って!」って言われるまで行動できないのよね。
料理の世界ではダメなことをした奴に「皿洗いからやり直せ!」って言うけど、ちゃんと意味があるんやで。
【底辺の仕事】と言われる飲食店で、《音楽演奏の練習》ができるとは思わんかったやろ。音楽の練習だけやなくて、いろんな仕事への応用が効くのよね。んで、『確実性』『臨機応変』『応用力』なんかは、今、中層が必死になってお勉強しとることなんや。誰が稼いだ金でやっとんねんってなるわな、そりゃ。
中層から上層にかけて、いわゆる”高度な思考法”を身につけようとしとるけど、基礎ができてないのに身につくわけないのよね。んで、基礎を身につけたいなら『現場をやれ』ってことよ。頭の良さを否定したいんやなくて、その頭の良さをさらに進化させる方法が現場には転がっとるって話やで。
底辺の仕事=誰でもできる仕事…か。散々な言われようやけど、その『誰でもできる仕事』さえできない奴らが、社会の上層におるのが問題の真因やな。
まったく、世界広しと言えど、こんなに世話の焼ける【国】もなかなかないと思うけどね。やれやれ….
エンディングは、久石 譲さんの『Summer』です。お互いの、
得意なところを否定し合う世界 ではなく、
苦手なところを補い合う世界 になりますように。
(七夕 天の川の畔より)
ではでは、いい夏を〜🍎🐝🍃🌸🍊
*参考書籍*
・生命とは何か エルヴィン・シュレディンガー 岩波文庫
・夏の夜の夢/あらし シェイクスピア 新潮文庫
・メタ認知 三宮真智子 中公新書ラクレ
・回避性愛着障害 岡田尊司 光文社新書
・自閉スペクトラム症 岡田尊司 幻冬舎新書
・天才と発達障害 岩波明 文春新書
・誤解だらけの発達障害 岩波明 宝島社新書
・2025年日本経済再生戦略 冨山和彦/成毛眞 SB新書
・物理学の野望 冨島佑允 光文社新書
・世界の見方が変わる「数学」入門 桜井進 河出文庫
・遺言。 養老孟司 新潮新書
・音楽する脳 大黒達也 朝日新書
・思考実験 科学が生まれるとき 榛葉豊 講談社ブルーバックス
・宇宙人と出会う前に読む本 高水裕一 講談社ブルーバックス
・学問の発見 広中平祐 講談社ブルーバックス
拙著
・ホワイト企業創生論 〜陽気発する処、金石も亦透る〜
・ブラック企業殲滅論 ~『親と月夜はいつもよい』 助けてお母さん!~
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