短編小説:バブル期の海外:留学挑戦と他力本願
「ね~。稲葉さん。南オーストラリア大学には行かないんですかあ~」
また始まった。
交換留学の面接を一か月後に控えた今頃になっても、サークルの後輩の茂木若菜は私がどこの大学の留学試験を受けるかを訊ねてくる。漏れ聞こえてくる情報では、茂木は私と同じ大学に留学で行きたがっているという。
「違うよー。シドニー大学だよー」
私は答えた。
「でもお~。留学課では稲葉先輩が南オーストラリア大学に行くって言ってるよ~」
情報が駄々洩れになっている様だった。
茂木との出会いは二年前の1989年。彼女が一年生の頃だった。同じ英会話サークルの英語弁論部門に属する子だった。パブリック・スピーチをやっていた私と彼女は学部も違い、あまり接点の無い子だった。
死んだ魚のような覇気のない目と表情の無い顔が特徴的だった彼女は、何かに付け上の学年に猫なで声で頼り切ってくることだった。深く知る人では無いものの、正直留学先が同じになることは遠慮したかった。
茂木は英語に自信がある人だった。「あたしは英語のネイティブ」と言って譲らず、はた目には英語には問題の無い人だと言われていた。
茂木は、留学が決まれば南オーストラリア大学で文学とクリエイティブ・ライティングの学科に所属したいと言う。交換留学生の大半以上がやっているように茂木も専門の単位は卒業できるだけ取りつくし、あとは自由に授業に出るだけだった。
専攻する英語圏研究の授業が二年次と三年時にほぼすべてキャンセルになった私は卒業に必要な単位が全く足りていなかった。
合計15単位。
こうなったら単位を取るために留学するしかないと考えるようになった。それに自己流で先の見えない勉強をするよりも一年間専門の勉強にどっぷりと身を浸したくなり、海外の交換留学に申し込んだ。
オーストラリアでも社会学を勉強できるその大学には、自分が勉強したかった社会学基礎と移民についての社会学の授業があり、アボリジニーの歴史と植民地主義や、一番勉強したかった国際政治のクラスもあった。
幸い交換留学の面接に受かり、私は一年間南オーストラリア大学に留学出来ることになった。全三科目。12単位を取りに行く。残りの三単位は留学から戻ってから取ることになるだろう。
本当に勉強に勉強を重ねる日々が続くだろう。これを一年間ですべて単位を取るのは非常に厳しいかもしれない。しかし私には他の選択肢は無かった。
ニュージーランドで中学と高校時代を送った私は、日本に帰って将来南半球と日本を繋ぐ仕事がしたいと思い、英語圏の勉強が出来る大学に進学を希望していた。
しかしそのような大学は数が少なく、かろうじて入学できた鷲知(しょうち)大学では「イギリスおよび英語圏研究」というイギリスと当時のイギリスのコモンウェルスの研究が出来るはずだった。入学試験の面接でもそのコースを学びたいと必死でアピールした記憶がある。
しかし蓋を開けてみれば、その専門コースを選んだのは私の学年では私一人だった。
二年生から取れる専門の授業は軒並みキャンセルになり、三年生ではかろうじて一つの授業が開催されるだけだった。専門の授業の単位が圧倒的に足りていない事は明白で、15単位も足りない状態で三年生を迎えた。
他の学科で開講される授業のうち、外部からの講師が行っている授業は、どんな学科の生徒でも受け入れており、私はかろうじてEUの政治学を学ぶことが出来た。それ以外、教授が開講している授業は教授の怒号と共に教室から放りだされる始末だった。
二年生の時に留学試験に臨んだものの目的が明確でなかったため試験には落ちたものの、三年生になって自分の目標が明確になったため、何とか留学試験を突破することが出来た。
国際政治学と植民地の歴史と社会学、そして人類学としてアボリジニーの研究をすることでオーストラリアへの社会や歴史の知識を深め、将来的にはオーストラリアとビジネスを行っている会社に入り、文化面での軋轢の出ない様にインターミディエーターの様なポジションに付けないかと模索をしていた。
海外と何らかの形でビジネスや交流を行う場合、文化や習慣面の軋轢でコミュニケーションがうまく行かなくなる場合がある。
ニュージーランドでたかだか五年しか住んでいない私には,中学校と高校のニュージーランドでの知識しかない。オーストラリアは夏休みや冬休みに何度か訪れていたものの、オーストラリアの社会に対してそれほど深い知識を身に着けることは出来ていなかったからだ。
これからアジアやオセアニア地域はどんどん経済圏として融合していくだろう。沢山の人が動き、ビジネスも活発になり、日本の事を知る人も増えていって欲しい。そんな願いを元に、私は留学先を南オーストラリア大学に絞った。
十月に留学が決まってから2ヶ月間、自分がこれから勉強することになる社会学や歴史学、人類学を基礎から頭に叩き込み、残りの15単位を絶対に取らなければならないという気持ちを強く持って翌年一月からの新学期に備えた。
手元にある英語と日本語で書かれた社会学基礎や人類学基礎の教科書を使って、日本を出発する11月までの間、図書館にこもって猛勉強をする日が続いた。
図書館では時々クラスメイトの田川弘子や斉木美穂、中西美里たちが小さい声で「咲、頑張ってね」と声をかけてくれる。大学入学式の懇談会で偶然にも出会い、三年生になって初めて専門のクラスが一緒になった私達。彼女たちの応援が心の底に暖かく沁み込んだ。
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「茂木若菜さんですね」
「はあ~い」
「あなたはなぜ南オーストラリア大学に留学しようと考えたのですか?」
「クリエイティブ・ライティングを専攻してみたいんですう~。南オーストラリア大学にはそのコースがあるし~。それにあたしぃ,大学で二年間も英文学学んでるし、演劇の台本も沢山読んできてるから、英語でストーリーを書くのも大好きなんです~」
「クリエイティブ・ライティングは母国語並みの英語力を求められますが、それに付いて行く自信はありますか?」
「あたしぃ、小さい頃から英語塾で英語ネイティブって言われてるんです~。大学の教授からも「日本で学んできたとは思えないほどの流暢な英語だ」って褒められるんですよお~。成績も学年トップだしぃ、TOEFLも300点に近いし~」
「オーストラリアの英語は独特のものがあります。付いて行く自信はありますか?」
「ええ~,だあってえ,あたし~,英語のネイティブですよ?分からない訳ないじゃありませんかあ~」
「交換留学には他にも幾つか大学がありますが、なぜ南オーストラリア大学を選んだのですか?」
「知り合いが行くって言ってるんです~。それにアメリカやイギリスの大学だと普通すぎるじゃないですか~。せっかく行くなら、普通では行けない所で勉強してみたいんですぅ~」
やれやれ、めんどうな交換留学の面接がやーっと終わったあ。あたしは何としてでもサークルの先輩の稲葉さんが行く大学に行きたい。いや,行かなきゃならないし。
交換留学に行きたいと親に行った時の一番の条件が、「同じ学科かサークルの知っている人がいる所にしないさい」だった。何か問題が合った時に知っている人が身近にいるのがうちの親の出してきた最低限の条件。
あたしが南オーストラリア大学に行きたいって言った時もパパが大反対した。
「南オーストラリア大学?なんだそれは、どこにある大学なんだ?!」
「オーストラリアの南みたい~」
「お前、もっと高名な大学に留学しようと思わんのか?!アメリカのバーバードやUCCAとか、ジエール大学まであるじゃないか。」
「だってぇ、サークルの先輩が行きたいって言ってるからあ」
「む。。。 そうか。そうなのか。万が一の時は先輩がいれば面倒みてもらえるな。その先輩は男なのか?女なのか?」
「女の人ぉ~」
「それは少し心配だな。ボディーガードとしては使えん。それにしてもだ。なぜ有名大学に挑戦しようと思わない?就職活動では人事がそういう所をきちんと見ているんだぞ。
なあ、オーストラリアだったらせめてシドニー大学にしろ。シドニーだったら俺の会社の支店がある。何か問題が合った時に支店の若いやつらに手伝わせることもできるぞ」
パパの銀行の若い人?いやだあ、そんなの。
パパはいっつもあたしに「俺の銀行の若い奴と結婚しろ」って言ってる。
お見合いでもさせるつもりなのかな?
あたしぃ,なあんにも心配していないの。同じサークルの先輩で、ニュージーランドに住んでいた先輩なら、オーストラリアの事にも絶対に詳しいはずだし。可愛い後輩のあたしの面倒も見てくれるだろうしぃ、普段は行けないような素敵なところに案内してくれるかもしれない!
ニュージーランドのご自宅に招いてくれるかもしれないし、普段観ることのできないニュージーランドの家庭も見ることが出来るし。ニュージーランドとオーストラリアって違いが分かんないけど、似たようなものでしょぉ?
あたしが所属する英語サークルの顧問の教授は、交換留学生の選別を担当している。
英語サークルには交換留学に行く目的で入ってくる人がとても大勢いて、みんな教授のお眼鏡にかなう様一生懸命アピールしている。あたしはそのお眼鏡にかなった一人だった。
面接が終わって先生と少し話が出来た。
「You should be OK as long as Inaba is with you, so don’t worry. You will pass this interview. I’ve already made up my mind that you two should go to the same university」
「Really~? I want Inaba san to take care of me」
「Sure, she will. But make sure that you know what you want to do while you are there. You have to talk with Inaba and work together. For instance, when you are going on holiday, make sure to tell her what you want to do, and discuss with her where to go. You really need to work in pair. All right ?」
稲葉さんと一緒に話し合い?そんなことはする必要は無い無い!!全く無い!
きっと稲葉さんなら絶対沢山のサプライズをしてくれるに違いないのにい!稲葉さんが行くからあたしも南オーストラリア大学を選んだけど、正直言ってオーストラリアの事は何も知らないし。
あえて知っているのはコアラとカンガルーくらいかなぁ。その他は全くと言っていい程予備知識がなかった。
でも大丈夫。あたしには稲葉さんと言う生き字引がいる。事前に何か知っておくよりも、向こうに行ってから素敵なサプライズを一杯貰う方が良いに決まってるじゃない?
住むところも世話してくれるだろうしぃ、買い物や日常のこまごまとしたことは全部やってくれるだろうしぃ、何より観光は全部稲葉さんが案内してくれるはず。だってあたしは稲葉さんの可愛い後輩なんだもん。
英語でお話を書くなんてどうってことない。日本語で読んだ本の原書を取り寄せて、気になった所をメモ。
それを繰り返して、本に書いてあることを切り貼りしていけばあっという間に一本のお話が出来上がる。小説だけじゃなくて戯曲から会話を借りてくればもっと真実味が増す。
あたしが選んだ小説の中の言葉。これを使えば独創的なお話を作るなんてどおってことないはず!
もともとあたしは稲葉さんみたいに英語学科で英語の言語学を勉強したかったんだけどぉ、高校から学校推薦を貰えなかったの。
なので今こうして英文科にいるけど、英文学も少しずつ日本語訳や抜粋を読んで知識が付いたし、何よりあたしはシェイクスピアやディケンズくらいは日本語訳でほとんどの作品を読んでいるの。交換留学に出かけてもあたしほどの知識があれば大したことないのに決まってるでしょぉ?
それにオーストラリアに行っても日本語の本ぐらい向こうで買えると思うの。あたしみたいに英文学で留学している人はごまんといるはずだし、古本屋でも覗けば日本語訳の本など売っているかもしれないし。図書館にも蔵書があるかもしれないし。
ガイドブックなんて必要無い無い!持っていくなんて止め止め!
だって稲葉さんがいるんだもん。きっと毎週のようにあたしの部屋に来ては、「XXXに行くんだけど若菜ちゃんも来ない?」って誘ってくれるの。向こうの美味しいものも、着るものも、日常で使うものも全部稲葉さんがそろえてくれるはず。
老舗の高級な紅茶やスパークリングワイン。美味しいレストランで食べるローストビーフやフォアグラ。伝統ある老舗のデパートで高級な服や靴をたくさん買うの。
日本に帰ってきたら皆に見せて回らなきゃぁ。だってぇ、あたし、オーストラリアで一年生活するんだもん。服装や髪形も変わって当然。食べ物も飲み物も身に着けるものも変わって当然。稲葉さんのガイドの元、あたしはオーストラリア人になれるの!
留学試験は無事通過し、あとは留学課にすべて任せておけばすることは何もない。
あたしみたいなハイレベルの人が書類記入なんてめんどくさい事はしないの。誰かがかならずやってくれるし、そのために留学課ってあるんでしょお?
あ、そうだ。行く前に美容院に行っとかなきゃぁ。ソバージュがとれかけてきてるし、前髪もどうせならパーマかけて外巻きにしておこっと。メーク道具はお気に入りを持って行くけど、向こうに行ったらオーストラリアならではの高級品を買わなきゃぁ。
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留学試験から二か月。その年の11月22日に、オーストラリアに弾丸旅行をするという友人の響子が格安で取ってくれたキャセイパシフィック航空のオープンチケットを片手に、私たちは香港経由でシドニーに入った。
さすがに南半球とあって、季節は真逆の夏だった。私たちは日本で来ていた厚手のコートをバッグにしまい、薄手のTシャツになって空港に降り立った。
シドニーの領事館でオーストラリア滞在中の住所登録を済ませると、その日のうちに国内線でアデレードに入った。
空港のすぐ傍なのにカラフルで大きな鳥が沢山飛んでいる。赤に黄緑に青の大きな鳥。もしかして野生化したインコか何かだろうか。空港周辺も夏の花がここぞと咲き誇り、鮮やかな美しい色彩で訪れる人を歓迎してくれる。
到着後、私たちは2日間ユースホステルに泊まった。奇跡的に連泊でベッドを確保することが出来た。四人で使う小さな部屋にはカラフルな二段ベッドが二つあり、私と響子の他、日本人の人が二人いた。意気投合した私たちは、ユースホステルの広々とした中庭でくつろぐことにした。夕焼けも迫り、空が真っ赤に染まっている。
この中庭では泊客の様々な国の人達と出会い、皆でまったりとおしゃべりに興じた。夕方からは皆でバーに行って、地元のビールを傾けた。
聞いてはいたが、バーで飲むお酒は店売りのお酒よりも高い。日本の居酒屋もそうだが、外食はそれなりの勇気が必要だった。生活費は親が面倒を見てくれるけれど、無駄使いはとてもではないができない。
響子は南オーストラリア大学のMagill Campusまで来てくれた。州都のアデレードに程近い場所にあるMagill Campusの近くにあるフラットは私が事前に選んでおいたものだった。このフラットの近くで響子は偶然にも同じ大学の知り合いに会うなど、偶然に偶然が重なった。響子の友人達は私費留学でアデレードに来ている人達で、着いたばかりの私たちを温かく迎えてくれた。
その日は響子の友人達が近所のスーパーマーケットに連れて行ってくれた。買い物を済ませて部屋に戻り、ささやかな夕食時には皆で思いっきり楽しい時間を過ごした。
最後の夜、私は自分のベッドを響子にゆずり、茶色の毛布と紺色のクッションで簡易の寝床を床に作って夜通し話に興じた。香港旅行で偶然ご縁のできた響子は旅行好きで、「なかなかこんなチャンスは無いから」とオーストラリアまで一緒に来てくれた。
中国語を専攻している響子は、何度か香港の語学学校に夏休みの間通い、広東語はほぼほぼ分かる様になっていると言う。英語も堪能な彼女といると、英語以外しかできない自分にいい刺激を貰える。
アデレードでの滞在期間が終わると響子はオーストラリアの他の観光地へ旅立っていき、それとほぼ同時に語学研修が始まった。学部生の私はなぜか茂木と一緒に大学院に進む人たちのクラスに放り込まれ、プレゼンの仕方やエッセイの書き方の基礎などを学んだ。
院生の方々は修士と博士課程に進む方々で、学部生の私たちが居ていいのだろうかと思ったが、先生からは「やることの基本は学部生も修士・博士課程でも一緒よ。論文に書く内容が高度かそうでないかの違いだけだから。物をレポートにして書く基礎をきちんと学んでいってね」と言われた
その研修期間から茂木がまとわりついてくるようになった。
とにかく自分で行動することが無い。
南オーストラリア大学はその名の通り南部のアデレードにあるのだが、研修中の週末には近所の観光地への遠足も用意されていた。
そこへの遠足も茂木は私の後をぴったりついて来て、何をやるにも、どこへ行くにも「咲さんが行くところに行きたい~」と言いはった。
アデレード市内観光の時も、近隣はどうなっているんだろうと歩き始めた所,後ろを茂木が付いてくる。
「カンガルー島には行かないの?」と聞いても「咲さんの行くところに行きたい~」とねだり、全くどうと言うことの無い道を通り、これ以上見るものも無いので帰ろうとするところでカメラを出してきて写真を撮ろうとする。
茂木がこの散歩を楽しんだのかは分からない。何が楽しかったのかは良く分からないが、その後私は他の参加者と一緒にアデレード市内をくまなく見て回った。
響子の友人に教えてもらったスーパーマーケットに続いて、薬局や日常のこまごまとした物を買えるセントラルマーケットやウールワースと言った店まで紹介してもらい、その日は持ち帰りにしたコーヒーを海辺でのんびり飲んで締めくくった。あとは自由解散だ。真夏ともあり、サーフィンに興じている人が大勢いる。
自由解散でも茂木は私の後をぴったりついてきた。スーパーマーケットで買い物をするときも、自分は何も買わないのに私の買い物かごをじっと見つめ、ベイクドビーンズの缶を入れれば「私だったらこんなもの買わない」と言い切り、チーズを籠に入れれば「こんな臭そうなものを買うんですか」と詰め寄ってくる。正直、この人をどうすればいいのかが分からなくなってきた。
4週間の研修はあっという間に終わってしまった。しかしこのおかげで論文の書き方をおさらいし、日本の授業ではついにできなかったディスカッションやディベートなどを体験でき、これから始まる授業に備えることが出来た。
語学研修の最終日、研修に参加していた全員でのお別れ会があった。
ちょうど季節はクリスマス。華やかに飾られたクリスマスオーナメントを室内で見ながら、灼熱の空気と青く晴れ上がった空を窓から眺めるのは何年ぶりの事だろう。
そこでは、南アジアやヨーロッパ、南米から来た大学院生の人達が一堂に会していた。
私は隣の席に座っていた南アジアからと思われる院生さんに話しかけてみた。二人ともインドネシア出身で、自国では大学の言語学の先生。これから三年間博士課程の勉強をされると仰っていた。
全員が集まると、先生からこの一か月のまとめのお話と、何でもいいから自分の国のパフォーマンスをする提案があった。
私は、留学に出る年の夏に参加した近所の盆踊りで踊った「花笠音頭」を唄付きで踊ってみた。観客には手拍子をいただいて、最後まで踊ることが出来た。
茂木からはすぐに突っ込みがあった。こちらを不機嫌そうに睨みながら「私だったらあんな風にやらない」と言っていたので、てっきり彼女はお別れ会で自分の考えたパフォーマンスをするのかと思ったのだが、結局彼女は最後まで何もやらず、沈黙を通した。
フランスの人はシャンソンの英語版を唄い、ドイツ語圏から来た人は恐らく南ドイツの民謡と思しき歌とそれに合わせた踊りを披露してくれた。
最後に「オールド・ラング・サイン」を全員で歌った。語学研修では毎回最後にこの歌を歌うと言う。分かれゆく友にささげるこの歌詞は、お別れ会にはぴったりだった。
一か月の集中コースで一緒になった修士や博士課程に進むクラスメイトの方々にはとても良くしてもらい、後ろ髪を引かれる気持ちで彼らと別れた。
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オーストラリアへ出発するまでの数日、あたしは自宅の電話の前で稲葉さんからの連絡を今か今かと待ってた。
何か約束したわけではないのだが、稲葉さんが「アデレードまで一緒に行かない?飛行機のチケットも取ってあげようか?」と言ってくれるのを待ってた。
それなのに稲葉さんからは一向に連絡がこない。チケットを早く買わないと座席が満席になっちゃうのに。
業を煮やしたあたしは稲葉さんの連絡先の電話番号にかけてみた。
すると、稲葉さんの母親が出た。
ニュージーランドにいるんじゃないの?それとも冬休みで一時帰国してるとか?
「あの、咲さんはおいででしょうか?」
「咲なら一昨日オーストラリアに出かけましたよ。領事館で住所登録をしないといけないから早めに出るって言って」
あたしがこんなに待ってたのに、もう行っちゃったの~?!
あたしに一言もないまま?!
もう、最低!!!
領事館での住所登録の事をすっかり忘れていたあたしは、慌てて近所の旅行会社に走り、店員さんに勧められるがままにオーストラリアまでの一年間のオープンチケットを買った。
カンタス航空のビジネスクラスに空きがあったので即予約。荷物を作る暇もほとんど無いままにあたしは空港へ向かった。
毎年クリスマスとニューイヤーをヨーロッパで過ごす我が家は、もう空港の馴染み?慣れ切った空港の中をエレガントに動き回る。空港の地上スタッフもあたしの事を「いつものお客様」って見ている気がするの。
いつもならヨーロッパ便に乗るところを今回は南を目指して飛ぶ。11月だし向こうも寒いんだろうなあ。大丈夫、ダウンコートもマフラーも手袋も予備を持ってきてるし、何か足りなくなったらママに言えばすぐに航空便で送ってくれるし。
13時間のフライトはヨーロッパに行くのとさほど変わらない。あたしはシャンパンを注文すると、広めの座席のリクライニングをちょっと倒し、自分専用の画面で映画の最新作を観た。
「ボディーガード」っていう映画。主演のホイットニー・ヒューストンとケビン・コスナーが素敵。字幕が無いと筋は追えないけど、これでもあたし、ハリウッド作品は必ずチェックしてるんだからぁ。
トリュフのかかったローストポテトにニース風サラダ。メインがロブスターの夕食も終わり、デザートのチョコレートケーキを頂きながら食後のドラムビュイを傾ける。
普段乗り慣れているファーストクラスと比べると狭いし食事もあんまり選べないけど、ここは留学だもん。学生らしく、少しは不自由があっても思い出に残るわよね?
うとうととしていると、ついにシドニーの空港に着いた。ここで国内線に乗り換え。外は寒いんだろうなあ、とゆっくりダウンコートを羽織り始めると、スチュワーデスが寄ってきて小さな声で言う。
「お客様、本日のシドニーは良いお天気で気温は30度でございます。ダウンをお召しになられると暑いかと存じますよ」
はあ?言ってんの、このスチュワーデス。冬なんだから寒いに決まってるじゃない。
スチュワーデスの事は無視して、ルイヴィトンのキャリーバッグを片手に機内から外に出た。
暑い!!!
何これ、暑すぎる!!
一体何が起きてるの、冬はどこにいったの?
暖房がききすぎてるの??
あわてて空港内のトイレに行き、厚手のものから薄手の服を着替える。
ああ、びっくりした。夏なんだ。本当に夏なんだ。
地球は一体どうなってるの?
これは夏服を買いに行かなきゃ。でもまずはフラットに行って荷物を降ろさなきゃ。
空港から南オーストラリア大学近くのフラットまで行くためにタクシーを拾う。
「あの~ サウスオーストラリア ユニバーシティ、プリーズ」
「Xxxxx Xxxxxxxx,xxx ? Xxxxx Xxxxxx, xxx ?」
タクシーの運転手の英語が訛りすぎていてなんて言ってるのか全然わからない。紙に書いた住所を見せてそこまで連れて行ってもらう事にした。
からっと乾燥している所がヨーロッパにも似ているけれど、11月なのに空は快晴。なんだかファンタジーの世界に入り込んでしまったかのよう。
小一時間ほどでキャンパスの近くに借りたフラットに着いた。1階のベルを鳴らすように言われていたので戸口のブザーの様なベルを鳴らすと、奥から茶色の巻き毛をふんわりとさせた大柄の女性が現れた。
「ハロー,アイムワカナ」
「Xxxxx, Xxxxxx !! X Xxxx Xxxx xxxxxxx xxx xxx !」
この人が大家さん?何言ってるのかやっぱりわからない。
もう、なんでこの国の人、ちゃんとした英語話さないの?それとも外国人なのかな?
「イエース,イエース」といってその場を乗り切っちゃったけど、大丈夫かな。
鍵を渡されて,部屋まで連れて行ってもらう。
中を見てあたし、びっくりした。
狭い十畳ぐらいのスペースにベッドと机、本棚とあり、そのすぐ横にシンクのついた調理スペースの様なものがあった。狭いのに台所とベッドルームが分かれていないの?
右わきのドアの奥はシャワーとトイレが一緒になった小部屋がある。
どう見てもバスタブが無い。シャワーとトイレが一緒の部屋にあって、しかも中はカーペット敷になっている。
なにこれ、汚くない!?ヨーロッパで泊まったことのあるホテルは皆バスタブが付いていてタイル張りだったのに・・・
こんな部屋で一年間も我慢しなきゃいけないの?内覧してないからこんなことになるのよ・・・面倒だけど、こんな部屋にはひと月も住んでいられない。最低でも2DKは無いと生きていけないのにい!
冷蔵庫があるのをチェックして、あたしは買い物に出かけた。今日明日食べるものをまず買わなきゃ。
フラットの外に出て階段を三つ降りると、通りの向かいにスーパーマーケットの様な店が見える。横断歩道で信号が変わるのを待ったけど、なかなか青にならない。そこへ二人の子連れの男性がやってきて、信号についたボタンを押した。その途端、信号が青になった。
なんだ、押しボタン式の信号なんじゃない。そう思って渡りかけた途端に、信号機がもう点滅し始めた。いや~!!こんなに早く変わる信号なんてあるの?
猛ダッシュで横断歩道を渡り切ると、あたしはスーパーに入ってみた。入り口では切り花を売っており、見たことも無いような鮮やかな花々が咲き誇っている。
今度買ってみようかな、などと思いながら中に入ると、思っていたようなスーパーとは違った。
コーヒー豆が沢山入った透明な容器や、乾燥したハーブの入った沢山の木箱。お米の様な粒の沢山入った透明なケース。奥の方には牛乳やオレンジジュースの様な飲み物が売っている。泥の付いて貧弱な野菜がほんの僅かに売られている。肉や魚は置いてい無さそうだった。
何これ~。何のお店?乾燥したハーブの匂いが鼻について臭くてたまらない。
良く分からないけど、とりあえずパンと牛乳とオレンジジュースを籠に入れて、レジでお会計。
「グダイ」
レジの人が言う。
「グダイ?」
「イエス、グダイ。ハウズットゴーイン,マイッ?」
グダイってなんだろう。。。マイッって何・・・?
お会計が済むと、合計で3,000円近い金額になった。
何これ!!ぼったくりの店なの?
しぶしぶ店を出たあたしは、隣がコンビニの様な店だと気が付いた。中に入ると新聞やお菓子,インスタントコーヒーや紅茶、それに大量のインスタント食品が棚に陳列されている。
よかったあ~、インスタントだけどこれでコーヒーも飲める~。
小さいパックの紅茶とインスタントコーヒー、それに良く分からないけどカップ麺の様なパックを買って、部屋に戻った。
湯沸かし器でお湯を沸かして、インスタントコーヒーを淹れ,買ってきた牛乳を入れる。
一口飲んで、あたしは思わず吹き出してしまった。
あまりにも青臭い味。
何、これ??本当に牛乳?腐ってるの??
牛乳のラベルを見ると「SOY MILK」と書いてあるだけだった。変なブランド、と思いつつも辞書で調べてみると「大豆」とあった。
これって、豆乳なの??こんなもの置いているスーパーなんて、もう二度と行かないし!
アデレードに来て二日で語学研修が始まった。キャンパスまでは歩きで五分ほど。暑いのでピンヒールのサンダルで出かけた。
林の様に木々が連なるキャンパスの中に目指す講義室があった。ここでやっと稲葉さんに会う事が出来た。挨拶をして部屋に入ると、あたしは仰天した。
オーストラリアに来たはずなのに、周りはアジア人だらけ。
何人かラテン系っぽいひとのいるけど、インドのサリーみたいなの服を着ている人もいれば、頭にスカーフを被っている人までいる。
あたし、オーストラリアに来たんだよね?それなのに何でこんなに外国人ばっかりに囲まれてるの?
語学研修の担当講師の英語もやっぱりわからない。というより聞き取れない。
もう、あたしここに何しに来たのよ~。
語学の講座ならちゃんとした英語が話せる講師くらい使いなさいよ!ネイティブスピーカーのあたしが分かる、訛りの無い英語くらい使いなさいよ!こんなんじゃ一か月無駄になっちゃうじゃない!
宿題も出されたみたいだけど、講師が言ってることが全然分かんない。稲葉さんに聞けば教えてくれるけど、手伝ってはくれないみたい。つまんないの。
周囲の英語があまりに聞き取れないので、あたしはとにかく不安になって稲葉さんの後をついて回った。日本語が通じて、少しでもオーストラリアの事を知っている人から離れちゃダメ。観光も買い物もとにかく稲葉さんの横にぴったりくっついて回った。
でも、稲葉さんもスーパーで変な物ばっかり買っている。せっかくちゃんとしたスーパーに入ったのに、豆の缶詰を買おうとしてる。豆乳で懲り懲りしたあたしは、「そんなもの絶対に買わない」と言ってあげた。こんな缶詰の豆を食べるなんてどうかしてるんじゃない~?
稲葉さんはブルーチーズまで買おうとしていたので、さすがにこれは止めた。こんな臭いものを夏場に買うなんて、この人おかしいんじゃないのお?部屋が臭くなってどうしようもなくなるんじゃないのお?
だらだらと時間が過ぎ、ついに語学研修の最終日になった。あたしたちは別のクラスの人達と共に大講義室に入れられた。
周囲はやっぱりアジア人がほとんどで、スカーフをしている女性やおじさんたちばっかり。こんな人たちとは会うのも初めてだし、何を話していいのか分からない。
稲葉さんがスカーフをした女性達に話しかけ始めたので、横にぴったりくっついて話を聞いてみた。
拍子抜けするほど簡単な事ばっかり聞いてる。
何なの、この人、稲葉さんって。。。?
どこの国から来たとか、名前とか、何を専攻してるとか・・・
稲葉さんがあまりに簡単な事を聞き出してしまったので、あたしが口を挟める余裕がなくなっちゃうじゃない!
しかも稲葉さんはあたしに「茂木さんもお話しない?」と変な風に話を振ってくる。
も~止めてよ、そういうことするのお・・・稲葉さんが出身国とか専攻の事を聞いちゃったら、あたしが喋ることなくなっちゃうじゃない。。。。
全員が集まって、講師の人が何か長い事話していた。稲葉さんに聞いてみた所、「一か月お疲れ様って。お国の何かパフォーマンスが出来ることがあればやって、って」だって。
国のパフォーマンスって、何?日本舞踊とか?それとも今流行ってるポップスを歌うとか?
あたしの考えがまとまる前に、稲葉さんが手を上げて皆の前にでると、盆踊りを唄付きでやりはじめた。
いや~!!止めて!!
恥ずかしい!!!
あんなの、日本の恥!
いくらなんでも盆踊りは無いんじゃない?せめてもっと,こう、洗練された何か、人様に見せて良い何か・・・
そう、あたしだったら「蝶々夫人」のオペラを歌う。
日本を題材にした唯一のオペラ。
有名なアリア、「ある晴れた日に」。
これだったら人に聞かせても恥ずかしくないのに。。。
稲葉さんの常識の無さにあきれると同時に腹が立ってきた。こういう日本人がいるからいけないのよお,恥じかかされてこっちも迷惑!
夜には同じ大講堂でパーティがあるという。
行って見ると、大半のテーブルと椅子が取り払われ、大勢の人たちが講堂の階段に座って話をしながらビール瓶から直接ビールを飲んでいる。
汚いなあと思いながら小さなプラスチックのカップに入ったカクテルを飲んであたしは階段の近くにあった椅子に座る。階段になんか絶対に座らない。
こっちの人って本当に清潔感や衛生概念が無い。どうして汚い階段に座れるの?それに、どうしてビール瓶からじかにビールが飲めるの?
ふと気が付くと、照明が少し暗くなり、ピンクや青のライトがビームの様に天井を染めた。そして講師の人が音楽をかけ始めた。あたしの知らない洋楽のポップスや変なムードミュージック。
すると、大勢の人たちが気が狂ったかのように踊り始めた。
何これ?!古臭いディスコ?
クラブを真似するんだったらもっと、こう、その、何と言うか、洗練されてジュリアナみたいにお立ち台を作って、ちゃんと照明も派手にして、内装もきちんと凝ったものにして・・・
呆れてフロアで踊っている人達を見ていると、踊り方もめちゃくちゃだ。
中東出身っぽい人はベリーダンスの様な動きをしているし、近くにいるヨーロッパ系っぽい人はロックダンスみたいな動きをしているし。稲葉さんまでフロアに出て踊っている。
あんな変な踊りの輪に入りたくない。あたしは椅子から動かなかった。
照明がさらに暗くなり、講師の人がまた古臭いムードミュージックをかけ始めた。すると院生の人達がチークダンスの様な踊りを始めた。男性と女性がカップルになって踊り始める。稲葉さんもラテン系っぽい人と踊り始めた。
うわー、気持ち悪い・・・こんなことするんだあ・・・
何人かの男性がこっちに来て手を差し伸べるけど、あたしは断った。
何であたしがあんな古臭い踊りをしなきゃいけないの?
全身が強張って、踊ることを拒否している。
結局この一か月は稲葉さん以外とは誰ともしゃべらず、語学研修は終了しちゃった。
何か意味があったのかなあ~、この一か月?
まあ、授業が始まっちゃえば後は楽でしょ。こっちで出る授業はたった一つ。週二回の講義とチュートリアルだけ。あとはのんびりオーストラリアン・ライフを満喫しよっと。
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語学研修が終わって、一週間の休みがあった。
私は近郊にあるウルルのエアーズロックへの一泊旅行に出かけた。
乗り合いのツアーで様々人と出会え、飛行機の中でもおしゃべりをしながらウルルへ到着した。ここからはバスでエアーズロックの近くへ行く。朝日の出具合によっては虹色に見えるというエアーズロック。アボリジニーの聖地であるこの場所へは一度行って見たかった。
この一泊旅行から帰ってきて茂木にお土産を持っていった。すると茂木はカンカンに怒っていた。
「え~咲さん、どうして私もつれてってくれなかったんですかあ~? 私もフラットにいたのにい~。稲葉さんが声かけてくれて、稲葉さんが案内してくれると思ってたのにい~」
どうやら自分で一週間の休みを有効利用する考えが無かったらしく、アデレード市内で買い物をするにとどまっていたと言う。
「地球の歩き方とか、ガイドブック持ってきてないの?」
「そんなもの持ってくるわけないじゃないですかあ~。全部咲さんが案内してくれるとおもってたのにい~。それにあたしい、オーストラリアの事なんか何にも分かってないんですよお~」
茂木が留学先の事を調べずに来ていた事に驚愕した。
私もそこまでオーストラリアには詳しくない。以前ニュージーランドに住んでいた頃はシドニーなど大都市やグレートバリアリーフを訪れることはあっても、オーストラリア南部を訪れることは無かったからだ。
1月から本格的に授業が始まった。私は住んでいるフラットの住人を招いて、軽いパーティーを開いた。フラットの住民は全員が南オーストラリア大学の学生で、オーストラリア人もいればシンガポールやマレーシアからの留学生達もいた。皆日本食に軽い興味を持って参加してくれた。
皆がそろった所で、私はお好み焼きパーティーを開いた。スーパーでキャベツと小麦粉、卵を買えばほぼ材料はそろったようなものだ。お肉は使えるような薄切りの肉がスーパーでは売っておらず、ハムやチーズで代用した。ソースはスーパーで見つけたブラウンソースで間に合わせた。
私は茂木をこのパーティーに誘った。英語がネイティブの彼女なら、地元の寮生徒のコミュニケーションも何の問題も台と思ったからだ。しかし、彼女はパーティーの間はなぜか沈黙を保った。周囲にいるキッチンを一緒に使っている私のフラットの人達ともしゃべろうとしない。
おかしいなと思った私は、茂木の傍にいたシンガポールの子と話し、茂木も参加して三人で話せるようにしてみたが、茂木は下を向いたまま何も喋らなかった。
英語が堪能なのになぜ一言も話そうとしないんだろう。パーティーが終わって皿の片づけをしている時にそれとなく今日はどうだったかと聞いてみると、こんな声が帰って来た。
「ね~,咲さあん。なんであたしがシンガポール人みたいな英語が出来ない人と喋らなきゃいけないんですかあ~?オーストラリア人を紹介してくれてもいいのにい~。あたし、英語のネイティブスピーカーだから変な外国訛りのある英語だと我慢できないんですよお~」
シンガポール人は英語と中国語が出来る人たちが大半だ。それを説明しても、「え~。あんなに訛ってるのに英語がネイティブなわけないじゃないですかあ~。ネイティブって、あたしみたいな人のことを言うんですよ?間違えないで下さいね?なんだか時間の無駄使いしちゃったあ~」そんなことを言いながら、彼女は自分のフラットに帰っていった。
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お別れ会が終わった翌日、あたしは何度か稲葉さんのフラットを訊ねたが、いつ行っても留守だった。
も~、なにやってるのよお、せっかくまとまったお休みがあるのに、可愛い後輩と一緒に過ごそうと思わないのお~?
その内、稲葉さんと同じフラットに入っていく人を見かけたので、「咲はどこにいるか」と聞いてみた。
「ホリダイ」
「ホリダイ?」
「イエス, holiday」
何を言ってるの~???ホリダイって何~?もー、これだから外国人の英語は。。。
翌日の夕方、稲葉さんがあたしのフラットに来た。聞くとエアーズロックに行ってきたと言う。稲葉さんがガイドブックをあたしに見せながら色々説明してくれた。どうやらオーストラリアでは有名な場所らしい。
そんな有名な所ならあたしを連れてってくれても良さそうなのにい!!!
あたしは思わず稲葉さんをなじった。それなのにガイドブックを持って来なかったのかと逆に聞いてくる。
いーえ。あなたがあたしを色んな所に連れてってくれるんでしょ?
出発前から募っていたイライラが爆発して、あたしがオーストラリアの事など何も知らないし、稲葉さんが連れてってくれると思ってたとなじった。
それに対して謝罪の言葉は無かった。
冷たいんだ、この人。
そう思っていた数日後、稲葉さんからホームパーティを開くから遊びに来ないかと誘いを受けた。
やっと来たあ。もう、最初からこうしてくれればよかったのにい・・・
あたしはスーパーで一番高額なブルゴーニュワインを購入し、急いで稲葉さんのフラットまで急いだ。
でもそのホームパーティもイケてなかった。
食べ物と言えば稲葉さんが作ったと言うチーズ入りのお好み焼きだけ。上にかけてあるソースは茶色くてお多福ソースに見えない事もないけど、美味しくも無い。せっかく持っていったワインとは全然合わない食事だった。
和食を振舞いたいのは分かるんだけど、もっと、その、何と言うか、こう、もっとイケてるものは出せないの?
招かれた人は稲葉さんと同じフラットの人達だけど、アジア人がほとんどで地元の人はいないみたい。しかも皆すごい訛りの英語で喋ってる・・・聞いてみると大半がシンガポールやマレーシア、インドネシアの人達らしい。
もー、何なの、これえ・・・オーストラリア人はどこ?せっかく英語のネイティブスピーカーと話せると思ったのに、こんな事態は想定していなかった。
喋る気を失くしたあたしは、テーブルで冷めたお好み焼きを突いて、その日は早めに自分のフラットに帰った。
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授業が始まって最初の週末、私は近くにある茂木のフラットに立ち寄った。
そこで見たのは、入った学科での課題にパニックを起こしている茂木だった。
日本では英文科で英語の本を読み、レポートを書いていたはずの彼女は、南オーストラリア大学で読むことになっている課題図書にはこれまで目を通したことが無いという。
「咲さんは良いですよ~。私なんかこんなに読まなきゃいけないのに~」
課題図書のリストを見ると、地元の高校二年生で読む英文学の作品リストが乗っていた。
チョーサーから始まり、シェイクスピア、ジョン・ミルトン,サッカレー、ジェーン・オースティン、ディケンズ、ブロンテ姉妹やコナンドイルなど何冊もの作品を読まなければならないと言う。
「これ、日本では読まなかったの?」
「読むわけないじゃないですかあ~。課題が出ても日本語で読めば筋は追えるしぃ。英語で読んだことなんか無いですよ~」
聞いてみれば、日本からは辞書以外何の本も持ってきていないようだった。
私は、茂木に日本のご両親から英文学の課題図書の日本語翻訳本を送ってもらう様にしたらどうかと助言した。
数日後、日本語で文章の作成できるワープロを持っている茂木にワープロを借りに行った所、部屋にはミニサイズの一人前用の炊飯器が置かれていた。
「やっぱりお米,食べたいじゃないですか~。こっちのお米はまずいし、かと言って食べない訳にもいかないし~。 咲さんはお米食べたくはならないんですか~」
そう言われても炊飯器を買ったり、値段の高いお米を食べたりするのは私にとって予算オーバーだ。
それにたった一年なのでお米は口にしなくても我慢する心構えで来ていた。。
朝はトーストとベイクドビーンズ、昼は軽くサンドイッチ、夜は茹でたジャガイモや野菜の炒め物で過ごしていれば栄養はともかくお腹は膨れる。
食事にお金を使うぐらいなら本が買いたい。オーストラリアはとかくの本の値段が高く、教科書さえ買うのをためらう程だった。しかし今後の勉強を考えれば一冊教科書が欲しい。
その為私は食費を最低限に抑えていた。
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待ちに待った講義がやっと始まった。これでオーストラリアン・ライフがやっとスタート。
そう思っていたあたしは、初日から打ちのめられそうになった。
クリエイティブ・ライティングの講義を取ったはずなのに、必読書リストというものを渡されて、学期末までに全部目を通すように言われちゃった・・・
しかも中英語の時代からシェイクスピア、十七世紀や十八世紀、十九世紀のクラッシックに二十世紀の現代文学、それにヨーロッパの文学の代表作まで入ってる・・・・。
こんなの、本当に全部読まなきゃいけないのお~?確かに構内には大きな図書館があるけど、日本語訳があるのかどうかわからないものも沢山ある。
週末に稲葉さんがフラットに顔を出し、「日本から翻訳物の本を送ってもらったらどうか」なんて言ってたけど、この人分かってない~!!英文学大全集を全巻送れって事?全部で三十冊以上はあるのに。
うちにはそんな本、無いもん!それにそんな大量の本なんて三か月じゃ読めないしい~。
こっちの古本屋で日本語の本が手に入ると思ってたのに、本屋では日本語の本は一冊も置かれていない。図書館にも日本語の本は置かれていなかった。
完全に読みが違っていた。あたしは諦めて、せめて自分が聞いた事のある本を少しづつ購入して毎日少しづつ読み進めた。
それにしても初めての自炊の生活はキツい。ママが毎日ご飯を用意してくれてたのに、今では空っぽの冷蔵庫の中に牛乳とオレンジジュースが入っているだけ。
洗濯も掃除も買い出しも一人でやらなければいけないし、第一車が無いからすべて歩きでスーパーに行かなきゃいけない。掃除なんていつもママがやってくれてたからやったことないのに、汚いカーペットを掃除する掃除機すらフラットにはついていない。
部屋はどんどん汚くなり、机の上は読まなきゃいけない本や資料でぐっちゃぐちゃ。遠くにあるコインランドリーまで持っていくのが面倒になった洗濯物が床に山を築いている。もう最悪!!!
そんなある日、大通りを歩いていたあたしは信じられないものを見つけた。
炊飯器だ。
小さいけど、一人分のお米が炊けそうな炊飯器。
早速一つ買い込んで、スーパーでお米を一袋買って帰った。お米の袋がこんなに大きくて重たいなんてえ・・・。
キッチンで早速お米を磨ごうと袋を開けてみると、イタリアの細いお米が顔を出した。
あたし、これ大っ嫌い!ぱさぱさしてお箸でつまめないし、何よりお米を食べた気分になれないのに。
もう一度スーパーに行って、お米の棚をくまなく探してみた。すると、お菓子の棚との間の隅っこ、一番下の棚に小さな袋詰めのお米があった。
袋にはジャムと牛乳の絵柄が印刷されている。一見お菓子の材料に見える。でも透明な袋から見えるのは確かに日本のお米。
なんでお菓子や甘いものや牛乳とお米が関係しているのかは分からないけど、とにかくこのお米を買って、あたしは家路を急いだ。
袋を開けると確かに日本のお米だ。丸くってつやつやしてて、これなら炊いても問題なさそう。買ってきたばかりの炊飯器に入れて待つこと30分。美味しそうなご飯の長ける匂いが漂ってきて、あたしは思わずつばを飲み込んだ。
炊飯器の蓋を開けると湯気とともにご飯の香りがふわりと鼻孔をくすぐる。
やっと,やっとお米が食べられる。
その日は、お塩をお供に二膳のご飯を食べた。
たったこれだけの事なのに涙が滲んできた。
和食が食べたい。ママが毎日作ってくれるご飯が食べたい。
あたしはその晩、家に国際電話をかけてママに泣きついた。ママは何も言わずに話を聞いてくれて、「お海苔とふりかけをたくさん送るから頑張ってね」と言ってくれた。
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一旦授業が始まると、とにかく勉強に身を浸せる時間が続いた。
大学生になってやっと本を読めてレポートが書けると時が来た。
授業で使う専門書は教授や助教授が図書館で取り置きをしてくれているので、同じクラスを取っている人達同士で競い合うようにして必要な部分をコピーして持ち帰る。
本を買った方が良いのではないかと思ったが、何分書籍の値段は半端で無い程高い。
一冊、有に五千円もする本のオンパレード。近くの町では古本屋を見つけることすらできず、本屋に行っては指をくわえるしかない状況だった。
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」やH.K. Bhabhaの「Nation and Narration」や「The Third Space」、ポール・ギルロイの「ブラック・アトランティック——近代性と二重意識」、スチュアート・ホールの「「文化的アイデンティティとディアスポラ」、E.サイードの「オリエンタリズム」。
こうした短い論文や長い論文を読んで、東洋人で占領されたことの無い、またはアジアで植民地になったことの無い国の出身者がオーストラリアに根を下ろし、文化的に受け入れられ、独自の文化を形成することが出来る可能性を探った。
レクチャー形式の授業では、レクチャーをテープに録音することが許されていた。
私も遠慮なくカセットレコーダーを机の上に出し、毎回のレクチャーを録音した。
レクチャーが終わると次は少人数に分かれたチュートリアルが始まる。チュートリアルでは少人数でレクチャー内容についてのディスカッションを行うのだが、正直言って付いて行くのに精いっぱいだった。質問する余裕すら無い程で、私はせめて二年生くらいから留学に向けて人類学、歴史学と社会学の基礎をしっかり身に着けておけば良かったと何度も後悔した。
しかし後悔したところで何も始まらない。レクチャー内容のテープ起こしが終わり課題図書を読んだあたりで、日本から持ってきた歴史学や社会学、人類学の、日本語と英語で書いてある基礎理論を徹底的に復習した。いくら勉強しても足りないくらいだった。
チュートリアルで発言しないと途端に成績に響く。しかし基礎が出来ていなかった私は発言するのが非常に難しく、言えたとしても教授からの課題への質問程度しか出来ていなかった。これは非常にまずい状況だった。
茂木は週に三回は私の部屋にきては話に明け暮れていた。
日本が恋しい。
日本語を喋りたい。
日本食が食べたい。
オーストラリア人の友達ができない。
「ね~、なんで咲さんはあたしと同じ様に感じないんですかあ~?日本語も話したいでしょお~?日本食も食べたいでしょお~?こんな田舎で退屈じゃありませんかあ~?東京だったら遊べる所なんていくらでもあるのにぃ~」
まだ一学期なのにすでにホームシックになっているようだった。可愛そうだが、本人が乗り越えない事にはどうしようもない。
「オーストラリアでは何がいいもので何がチープなのかわかんないんですよお~。ほら、あたしって高級品しか食べないのに、オーストラリアでは何が高級品なのかわかんないでしょお~。
アメリカだったらコーヒービーン&ティーリーフとか、イギリスだったらフォートナム&メイソンの紅茶とか。フランスだったらモエ・エ・シャンドンのシャンパンとか。毎日飲んだり食べたりしてたものが無くなると嫌なんですう~」
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週二回の講義は、相変わらず良く分からないままに終わっていく。ウォークマンで講義を録音している人がいるので真似してみたけど、やっぱり教授の英語がよく聞き取れない。おんなじ英語なのに、日本で勉強した英語とこんなに違うものなの?
宿題は教授を毎回捕まえて、テーマを繰り返し確認したので間違ったものは出してはいないはずなのに、点数がどうしても伸びない。コメントを見ると「盗用はやめましょう」と毎回書いてある。教授が必読書に指定してる本からアイデアを貰ったのに、盗用ってどういう事?
納得がいかなくて教授にアポイントを取って訊ねてみた。
何度かのやり取りで、あたしが今まで書いてきた方法が「盗用」なんだと分かった。
お話の一部を使用するのなら、「引用」として出典を記載しなければならないんですって。
そんなこと、日本の英作文の授業では一度も指摘されたことが無かった。それどころか、「古典をよく勉強していますね」というコメントがもらえたのにい・・・。
チュートリアルでは、これもまた何を話しているのか分からないままに時が過ぎていく。なんとなく英文学だけじゃなくて外国文学全般を交えて話しているのは分かるけど、結局何の話をしているのか良く分からない事があった。
この人たちは文学を長年じっくり勉強してきている。それに比べて自分はどうだろう。日本語訳でしっかり本を読んで分かっているつもりになっていたのに、それを自分の考えとして落とし込んで話すことが出来ない。
あたしは毎晩ママに電話をして話を聞いてもらった。オーストラリアの英語が分からない事。授業が良く分からなくて悔しい事。オーストラリア人の友達が出来ない事。自炊で作れるものがない事。和食が食べたいこと。アデレードが田舎過ぎて刺激がない事。今まで馴染んできた高級な食材や食べ物や着るものがない事。日本に帰りたいこと。
ママは根気よく耳を傾けてくれ、「食べ物や飲み門だったらいくらでもこちらから送ってあげるからね、心配しなくていいのよ。そうだ、京都の奈良漬けで良いのがあるから明日航空便で送るわね。それと、周りにいるお友達と気分転換なさいよ。日本からのお友達もいるんでしょ?」と言ってくれた。
あたしは稲葉さんのフラットに度々行っては、思いっきり日本語で喋った。毎日英語ばかり聞いていては疲れるだけだ。和食も食べたいし、日本が恋しい。
それなのに、稲葉さんからは思ったような返事が無い。
「きっとホームシックなんだよ。時間をかけて慣れて行こうよ。私もまだまだオーストラリアに全然慣れて無いもの。ね,頑張ろう」
そうじゃなくってえ・・・・
なんでこの人,自分も和食が食べたいって言わないの?
なんで自分も日本語使いたいって言わないの?
なんでオーストラリア人の友達が出来なくて焦らないの?
なんで共感してくれないの?
なんであたしと同じように感じないの?
稲葉さんは日本語が通じるけど気持ちが通じ合わない人。
稲葉さんと喋っても気分転換にならない。
沈んだ気持ちを抱えて、急に涼しくなってきた帰り道をとぼとぼ歩いた。
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三月が来て一学期が終わり、私は国内線を使ってシドニーまで飛んでみた。まだ行った事の無い大都市を体験してみたかった。
格安のチケットを購入してアデレード空港を出発。やはりここは大きな大陸なんだという事が改めて感じられる。
シドニー空港に到着してすぐに電話でユースホステルに空きがあるか確かめる。
電話で空室が確認出来てすぐに予約を入れると、私はすぐにそのユースホステルを目指した。三月ともなれば気候は北半球の秋で、快適そのものだった。
十五名泊まれる女性用ドミトリーでベッドを確保すると、同室の人達と屈託ない話が始まる。皆海外からの旅行者で、シンガポールやマレーシア、韓国や香港から来た人たちだった。夜はその人たちと外に行ってフィッシュアンドチップスをテイクアウェイすると、近場にあったベンチに腰を下ろして何時間もしゃべり倒した。
聞いてみれば全員が交換留学、又は私費留学でオーストラリアに来ていると言う。
専攻もまちまちで環境保全や野生生物について学ぶ人もいれば、マーケティングやマネージメントなどを学ぶ人もいた。
刺激的な人たちと出会って意気投合した私たちは、その日の明るいうちに観光に出た。オペラ座にハーバーブリッジ、チャイナタウン。外からしか見られないが、見るべきところはいくらでもあり、1日ではとても回りきれなかった。
その晩はバーに繰り出し、記念の一杯を共にした。スーパーで安く手に入れられるものと違い、バーではビール一杯でも少しひるむような値段だったが、グラスを片手に近くにいた人に写真を撮って頂いた。
仲良くなった子達と住所を交換すると、私は二日間滞在したユースホステルを出て、再度アデレードに戻った。
皆オーストラリアのどこかで何かをつかみ取ろうと勉強している。
私も自分のフラットの一室で教科書を広げ、来たる二学期に備えた。
シドニーでの記念写真が現像できた頃、私はオーストラリア各地に分かれた友人達に写真を送った。
休みの期間は、昼間は勉強に集中し、夜は同じフラットの人達と誰かの部屋に集まってのんびりとビールを傾けながらおしゃべりに明け暮れた。
途中、アボリジニーの人達との交流プログラムに参加した。
エアーズロックの近辺の町では経済的に苦労しているアボリジニー出身者をサポートする団体が運営する施設があり、そこで2週間様々なプログラムに参加した。
麻薬中毒になった人や、手に技術が無く思ったような仕事に付けない人を支援する訓練所、アボリジニーの伝統的な文様を使った小物や織物を作る人達。
雑用が主な仕事だったが、それぞれの人達と接してみて、ビジネスチャンスさえあれば日本からこの人たちの作る何らかの品物を購入し、販売網を作ることも出来るかもしれない。
その為には自分が商社などに入るかビジネスを起こすか、何らかの方法があるはずだと考えずにはいられなかった。
休みの間に茂木が訪ねてきた。聞くとシドニーに行ったという。
行動できたか、と安心して話を聞いてみると、
「稲葉さんが行ったから私も行ったに決まってるじゃ無いですかぁ~。山口さんから聞いて、私も行こうと思ったんですぅ~。咲さんが行った所ならあたしも行っとかなきゃ日本に帰ったとき恥ずかしいしい~。
でもつまんなかったあ~。何見れば良いかもわかんないしい~。赤レンガの建物なんて、ちょっとヨーロッパに行けばいくらでもあるしい~。咲さん、何が面白かったんですかあ~?教えてくれなきゃ、日本に帰った時あたしが恥かいちゃいますう~」
あきれてものが言えなかった。観光なら自分で行きたい所を探すかと思うが、茂木の基準は少し違うらしい。
ある時から私の大学に交換留学に行っていた日本語を学ぶ生徒が外からやって来るようになった。マシューという名の学生だった。昨年まで交換留学で日本に一年いたという。
「俺は日本で勉強して日本語が出来るんだ。南オーストラリア大学の日本人学生はすべて俺のものだ。日本人と付き合うと決めているから、他のオーストラリア人と関わるのは許さない」
そう言いながら、ほぼ全ての日本人と話し、「自分以外のオーストラリア人とは付き合うな。おまえ達は俺のものだ」と言って譲らなかった。
奇妙な人がいるものだ、と初めのうちは相手にしなかったのだが、少しずつ本性が見えてきた。
「日本人ならアメリカンアクセントの英語を話せ。何をオーストラリア人ぶっているんだ」
「俺は日本語アクセントの英語が分かるんだ。おまえも日本語アクセントで話せ」
「日本人のお前がなぜ英語を話すんだ。日本人はオーストラリア人に助けてもらって当然なのに」
それがその人の意見だった。すっかり日本に染まって帰ってきたらしい。
ごくたまにフラットの友人が「一緒に図書館まで行こう」という学生が居て一緒に出掛けると、大学で日本語を学んでいる学生が必ずと言っていい程邪魔しに来た。
大学で日本語を学んでいる生徒の中でも日本に行ったことのある生徒にはへきえきしていた。こちらが同じフラットで知り合った人と行動を共にしていればそれを邪魔しに来る。
私はマシューと、もう1人日本語を専攻しているジョンをを茂木に紹介した。お互い日本を恋しく思っている同士だきっと仲良くなれると思っての判断だった。
二人は二度ほど会ったそうだが、マシューは再び私のフラットに来るようになった。曰く、「茂木の英語が分からない」とのことだった。「日本語アクセントの英語が分かるんじゃないか」と問いただしたが、曖昧模糊な言い方でとにかく「茂木では使い物にならない」という。
その言葉の本質はすぐに露見した。
勉強に関しては、自分達がやりたくない日本語の宿題をやれと言ってくる。宿題を完璧な日本語で答えていい成績を取る気持ちで満々だったようだ。
この宿題のどこが分からないのかと聞くと、「全部」という。
ならば、授業が難しすぎるのではないか。正直に担当教授に言えば良いといった所、
「だめなんだよ、俺達日本に一年行っているから、日本語は完璧にできていなきゃいけないんだ」
「それは自分が悪いんじゃないですか?とにかく私が宿題をあなたに代わってやる意味が分かりません」
「そこなんだよ。日本人である君がやれば、俺は満点でA評価で卒業が出来る。ほら、早くやれよ」
私は宿題にこう書いた「この宿題は日本人がやりました。この学生は日本語の授業が分からないと言っています。日本人が代わりにやればA評価で卒業できると言っています。叱ってやってください」
この後も、日本に行ったことの無い学生まで宿題をやれと私の所に訪れるようになった。
あまりに頻繁に訪れるので、毎回宿題には日本語で先生だけに分かる様「この宿題は日本人がやりました。宿題が出ると毎回日本人に宿題をやらせようとします。とても迷惑しています」と書いた。するとしばらくして宿題を持って来る人はいなくなった。教師からなにか言われたのだろう。
同じフラットに住む友人達にこの話をしたら,「よくやった」と笑い転げてくれた。
「よほどの変わり者だからね。あれをオーストラリア人の典型だと思わないでね」
それ以降も同じフラットの人達との交流は徹底して邪魔された。「日本人がオーストラリア人と仲良くしているのは許せない」というのが彼らの言い分だった。しかし、自分のフラットを常々監視されているような気がして落ち着いて勉強をすることが出来ない。
寮生との交流を邪魔されるのであれば、もう勉強に打ち込むしか方法はない。
部屋にいるとノックがうるさいので、私は図書館の自習室を使う事にした。図書館で勉強していると、静かにしなければならない図書館で、日本に行ったことのある学生がどうでもいい事を話しかけられないからだ
二学期ともなると勉強はどんどん進み、生半可な知識ではついていけなくなる。
私は日本から持ってきた参考文献だけでは足りなくなり、図書館で人類学や社会学の基礎文献をあさりつつ、目の前の授業とチュートリアルに集中した。
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休みが来て、また稲葉さんが自分一人で出かけてしまったことを日本人留学生から聞いた。
「茂木さんはどこか行かないの?」
「だって,どこが有名なところなのかわかんないし~」
「じゃあ、稲葉さんが行っているシドニー行って見たら?大きい街だし、アデレードとは全然違う体験ができるんじゃないかな。オペラ座とかもあるから、何か見られるかもしれないよ」
「でもどう行って良いのかも分かんないし~・・・ 泊まるところも分かんないし~」
「大学にトーマスクックがあるから相談してみたら?」
「でもあたし~オーストラリアの英語良く分かんないんですよ~。予約とかしてくれるんですかね~」
「そうなんだ、俺この後用事があるんだけど、終わったら一緒に行ってあげれるよ。シドニー、何泊ぐらいしたい?」
「えー、三泊くらい?」
「オッケー。それじゃ三時半に図書館前で会おうね」
その日本人学生は大学院の修士コースに通う山口ケンタさんという人だった。
講義の部屋と時間帯が近く、挨拶をさせてもらってから色々と相談に乗ってもらう様になっていた。
「稲葉さんって本当に使えなくって~。こっちに来てからも全然面倒とか見てくれないし~」
「茂木さんがちゃんとできる子だと思っているのかもしれないね。それに本人もいっぱいいっぱいなんじゃないの?」
「そんなこと無いはずですよ~。あの人オーストラリアの事はよく知ってるはずだし~。それなのにあたしと同じように感じないし、ホームシックの話しても通じないし~」
「そうなんだ・・・ホームシックは誰でもかかると思うよ。程度の差はあるかもしれないけどね。茂木さんは海外で初めて独り暮らしだし、よくやってると思うよ」
「それにこっちに来たって言う実感がないんですう~。何がオーストラリアらしいもので、何がそうじゃないのか~。あたしってヨーロッパの高級品しか知らないから、こっちで見るものすべてが疑わしいって言うか、買う価値があるものなのか分からなくって」
「買う価値って?」
「高級でちゃんとしたものかって事ですよ~。値段ばっかり高くって雑な品を買うような間違いをしたくないんです。日本に帰ってもオーストラリアでちゃんとした生活をしてきた,って言えるような何かを」
「うーん、茂木さんの言う「ちゃんとしたもの」が良く分からないけど,こっちの人で良くいるのが環境にやさしい品を使う人が多いかな。時々あるでしょ?オーガニック栽培された野菜を売ってたり、フェアトレードで仕入れた食べ物を売ってたり。人工的に脱色していないウールを使ったセーターとか」
「よくわかりません~」
「いや、茂木さんも多分知ってるよ。大学からちょっといった所にある大きなオーガニックショップなんて、入ったことない?入り口で花を売ってて、中ではインドネシアからフェアトレードで仕入れたコーヒー豆とかハーブとかを売ってる店」
「あんなのがオーストラリアなんですか~??」
「まあ,あれもオーストラリアの一部ってことだよ」
あたしの考えていることが通じる人になかなか会えない。
あたしは単純にアメリカやヨーロッパの高級品が欲しいのよ~!!
日本なら簡単に手に入るのに、こっちじゃいちいちラベルを英語で読んで、それでも騙されてないか何度も確認してからじゃないと怖くて買えない。フランスやアメリカの物なんて普通に売ってるはずなんだけど、目に入ってこないだけなのかな。
腑に落ちない気持ちを抱きつつも、あたしはケンタさんが予約してくれた国内線に乗ってシドニーに行った。
ホテルはスパイサーズ ポッツ ポイントという五つ星のクラブスイートルームを予約してもらった。観光には便利な所らしく、クラッシックな外観と温かな内装に心が落ち着く。
でも予備知識が無いので、シドニーの何を見ていいのか分からない。
フロントの日本語ができるスタッフに相談をして、観光名所を回るタクシーを一台用意してもらった。
確かにオペラ座ということろはあるし、アデレードに比べればクラッシックな街並みはあるけど、やっぱり海ばかり目についてアデレードと同じところにいるような気分になってしまう。
滞在中はホテルのレストランで食事をした。外で一人で食べるのも嫌だし、ホテルなら何かあった時に日本語が通じるスタッフを呼べるので、気分的に楽だった。
給仕をしてくれる老スタッフはあたしの事を気にかけてくれ、毎回イタリアンやフレンチの王道を行く料理を出してくれた。日本で食べるイタリアンやフレンチとはちょっと違うけれど、食べ慣れたものを口にできるのはこの上なく嬉しい事だった。
イギリスと同じくアフタヌーンティもやっていると言うので、二日目の午後にはホテルのクラブラウンジで三段のお皿にのったサンドイッチやスコーン,ケーキをお茶と共に頂いた。ケーキはフルーツの乗った軽いメレンゲと生クリームを重ねたもので、「パブロヴァ」という名前だと言う。日本語ができるスタッフが説明してくれた。
「このホテルのオリジナルなんですかあ?」
「いいえ、オーストラリアならではのお菓子なんですよ。昔ロシアの高名なバレリーナのアンナ・パブロヴァという人ががオーストラリアを公演で訪れた際におもてなしとして作られたのがこのパブロヴァです」
「一緒に頂いているこのお茶もオーストラリアならでのものですかあ?」
「はい。ビリー・ティーといいます。オーストラリアでも古くからあるお茶屋のものですよ」
「どのようないわれがあるんですかあ?」
「昔、アウトバックで労働者たちが飲んでいたのがこちらの紅茶でございます。空き缶に針金で取っ手を付けたものをビリーと呼んでいて、その缶を使って焚火で沸かしたお湯で作ったのがこのお茶の始まりと言われています。オーストラリア民謡の歌詞にも出て来るんですよ」
「労働者のお茶ねえ・・・何か上流階級の飲んでいたお茶なんてないんですかあ?」
「上流階級でございますか・・・イギリスのトワイニング社のお茶ならオーストラリアにもございますよ。アールグレイなどはイギリスの上流階級の方々が好んで飲んでいると聞いた事があります。日本にもトワイニング社の紅茶はございますよね」
「そうね~。日本にある物じゃあお土産としてはつまらないわよね~」
街で見るものはあまり印象に残らず、お土産になりそうな紅茶も結局惹かれるものが無かったし~。ホテルだけは快適に過ごせたのに、結局シドニーの良さなんて分かんなかった。
結局アデレードとシドニーを往復して、ホテルで少しはましな物を食べて帰って来ただけ。喋ったのもホテルの日本語が出来るスタッフだけ。ハワイに行ったのと変わりない旅になって、何だか新鮮味に欠ける旅だったな~。
アデレードに帰って来た私を、稲葉さんが二人のオーストラリア人を連れて訪ねてきた。聞けば二人とも交換留学で日本に行ったことがあり、日本語を話せると言う。
「二人とも日本語が恋しくって、日本の事を話せる友達が欲しいんですって。アデレードに詳しいから色々聞いてみるのも悪くはないかもしれないよ」稲葉さんが言った。
マシューとジョンという二人は、どおってことの無い普通のオーストラリア人だった。背が高くてがっちりして、一人は茶色、もう一人はブロンドの髪。顔は日本で言う所のソース顔としょうゆ顔?
もう涼しくなってきているのに未だにTシャツ一枚で半ズボンを履いている。こんな汚そうな人を部屋に入れるのが嫌だったあたしは、アデレードでお勧めのカフェがあれば一緒に行きたいと行ってみた。
「じゃあ俺の車で行こうよ。ここから車ですぐだから」ジョンが申し出たので、あたしたち三人は外に駐車してあった銀のセダンに乗り込んだ。
「日本人って紅茶やコーヒーにすっごくうるさいじゃん?正直緊張するんだよね。どこの家に行ってもフォートナム&メイソンの紅茶ばっかり出されるし。マジ、日本人は金持ちだと思う」マシューが言う。
「えー、でもそんなの当たり前じゃないですか~。お客様が来たら一番いいものでおもてなしするのは日本では普通の事ですよ~。二人みたいに外国から来た人だったら、いきなり緑茶を出されて嫌じゃないんですかあ?」
「それなんだよ。日本人は客に何が飲みたいかを聞いてくれないんだよね。部屋に入ったらフォートナム&メイソンの紅茶が当たり前の様に出てくる。しかも電気ポットでぬるくなったお湯で入れた紅茶。俺、アールグレイを一生分飲んだかもしれない」
「あはは,それ日本じゃ当たり前ですよ~」
大学から真っすぐ車で走ること20分。Joe’s Cafeとう名前のカフェに着いた。まだ出来たばかりの新しいカフェで、オーシャンビューが美しいカフェだった。
特等席に陣取って、メニューを見る。
「オーストラリアならではのコーヒー豆ってどれですかあ?」
「そんなものは無いけど、カプチーノとかあるよ。日本の女の子は皆これが好きでしょ?」マシューが言う。
「あたしい、カプチーノよりもカフェオレの方がいいなあ。フランスの物じゃないとだめなんですう」
「オーストラリアで美味しいかったコーヒーは何だったですか?」ジョンが言う。
「えー、家でインスタントのコーヒーを飲んで、講義の後にキャンティーンでカフェオレかカフェモカを頼むくらいでえ・・・どのカフェがちゃんとしてるのかなんて分かんないからいつも同じもの飲んでますよお~」
「どうしてオーストラリアで勉強しようと思ったの?」
「知り合いが行くって言うからついてきたのお~」
「あなたは何を勉強していますか?」
「クリエイティブ・ライティングですよお~」
「So your English must be very good, then! I’ve never seen anyone from overseas taking that course!」
いきなりマシューが英語で喋り始めたので、あたしは戸惑った。相変わらずオージー訛りが強くて半分も言っていることが分からない。話題を変えることにした。
「二人は何で日本語を勉強しようと思ったんですかあ~」
「人と違う事をやりたかったからだよ。うちの大学なら日本の大学と交換留学があるし、日本語を使えれば将来日本で仕事ができるかもしれない。お金持ちの日本で働いて皆にガイジン,ガイジンって褒めてもらえる暮らしがしたいな」
「わたしは日本で英語の先生をしたいです。私は日本でショーガクセーに英語を教えていました。もっともっと日本人に英語を教えたい」
「それじゃああ、週末あたしの部屋で日本語でおしゃべりしませんか。毎週2時間。その代わり、ジョン、あなたは自動車であたしをスーパーマーケットに連れて行ってね。そしてマシューは週末に外のレストランに連れてってご飯を食べさせて欲しいの~。オーストラリアで何を食べたらいいのかまだ分かんなくってえ~」
「レストランぐらいなら,俺、連れてくよ」
「支払いも頼むわね~。オーストラリア、物価が高いから、若菜、まだあんまり外食したことが無くってえ」
そう話した途端に、マシューもジョンも黙り込んでしまった。
折角目の前に現れたアッシーとメッシーの候補。この二人を使わない訳は無い。
しかし、その後二人があたしのフラットに来ることは無かった。
折角ご飯を炊いて用意してたのにいつまでたっても来る気配が無い。
ギブアンドテイクにしようと思ってたのに、つまんないの・・・
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五月が来て、ついに試験シーズンに突入した。
寒空の下、かじかむ手でタイプライターを使いながらレポートをほぼ毎日夜遅くまで掛けて書き、空腹になると近くにある店まで走ってカップ麺を購入して空腹をしのいだ。
試験の当日、親しくしていたオランダ人の留学生と「頑張ろう」の合図を交わし、私は三科目の試験に挑んだ。
歴史はほぼ落としたと思っていた。最後のレポートを書く時に、結論が書き切れていなかったからだ。絶対何かの論理が抜けていることは確かだったが、それが分かってなかった。
完全な準備不足だった。
残る社会学と人類学は、試験とレポートは順調に進み、何とか手ごたえを感じられた。
この大学の評価結果が出るのは早い。試験から数日で成績が出た。チュートリアルであまり発言が出来なかった事が足かせになったのは火を見るよりも明らかだった。
最高でB+評価。
こんな悪い成績では来年の交換留学の話も無くなるかもしれない。
不安を抱えつつも、就職活動が目の前に迫っていた私は、試験結果が出るや否や大急ぎで帰路の飛行機に飛び乗った。
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四月が来て、だんだん寒くなって来ちゃった。部屋の中ではダウンコートを着て過ごしたが、暖房が何処にも見当たらない。布団も無く、ダウンコートを着たまま毛布二枚で寝る始末。寝る前に温かいものを飲んで即ベッドに入り、暖かい靴下とダウンコートのおかげで何とか眠ることができた。
試験の数日前、かじかんだ手で提出することになっていたオリジナルの作品をタイプライターで清書していた所に稲葉さんがやって来た。
「今日、日本人会でお餅つきをやったのよ。食べてね・・・・って,この部屋寒いね。暖房は入れないの?」
「暖房がないんですう・・・毎日寒くって・・・」
「ヒーターのパネルがあるけど、使い方は大家さんに教わった?」
「ヒーターのパネルって?」
稲葉さんは二つある窓の下にある白くて平らなパネルを指さして、「これ」と言った。
これと暖房がどう関係があるんだろう。見ると、稲葉さんはパネルの横にあった取っ手の様な物を捻り始めた。時々パネルに手をあてて何かを確かめている。
「ほら、あったかくなったよ。多分このフラットも全館セントラルヒーティングだと思う。寒くなったらこの蛇口をひねると、パネルの中に熱いお湯が入って温まる仕組みなの。ベッドの傍にもあるから、こっちも温かくしときましょうね」
そう言ってもう一つあるパネルの蛇口をひねった。
しばらくすると、ダウンコートが厚く感じられる程に部屋が温まって来た。
これのおかげで、最後の作品書きに集中が出来た。
大学の外国人留学生向けのレポート書きをサポートする部署に連絡を入れ、書き上げた原稿のスペリングチェックや文法チェックをしてもらい、期日までに提出することが出来た。
クリエイティブ・ライティングの成績が出るのは少し遅い。六月の第二週に入ってやっと結果が出た。成績はDマイナス。落第だった。
こんなひどい結果に終わるとは予想だにしていなかった。
課題図書も全部読み切れず、日本から来た小説からいい所を切り取って翻訳したのに、評価には一言「オリジナリティが無い」とだけ添えられてた。
そして今はもう六月。日本での就職活動はとっくに始まっていて、私は大幅に遅れることになってしまう。
せっかくオーストラリアまでやって来たのに、これで就職が台無しになったら来た意味が無い。大方の大企業は採用を終えている頃だ。
これでは今年の就職活動は諦めなきゃいけない。
あたしは父に電話して、一年長く大学に在籍したいと申し出た。遅くに始めた就職活動で一流企業に勤められないのを心配していた両親は納得してくれた。
あたしは日本へのフライトのチケットを取り出した。帰りこそファーストクラスで帰りたい。あたしはケンタさんにお願いして、カンタス航空のファーストクラスを予約してもらった。
最後のフライトだけはどうしてもいつものファーストクラスで旅をしたかった。
歩き回れるほどの広い空間。最高級のワインやリキュールやウイスキー。オーストラリアの新鮮な海産物を使ったお料理。見放題の映画。どれをとっても13時間のフライトにはどうしても必要な物ばかりだった。
あたしはリクライニングさせた広い席で横になり、映画を見ながらピンクのウエルカム・シャンパンを啜った。あと十三時間で東京に着く。これから大学が後一年半はあることを考えると気が重くなった。
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日本に戻ったのは六月の頭。着てきた厚手のコートを小脇に抱えて軽装になると、私は自宅に戻った。
就職活動はとうに始まっている頃で、その後夏休みから後期が始まる頃になるまで大学の就職課に通い詰めになった。
数か月かかったが、何とか就職先も見つかり、胸をなでおろしていた頃、私は日本に戻って来た茂木に合った。
大学三年生で留学したはずの茂木は、今四年生のはずだが、大学は五年生まで勉強すると言う。
何か聞き間違いをしたのかと思ったが、本当だった。
もっとじっくり勉強して、就職活動にも備えたいと言う。
確かに茂木は六月の半ばに帰国したが、就職活動はこれからのはずだ。
三年生で留学したが、六月半ばに日本に戻った茂木は就職活動のタイミングを逃したのかもしれない。
三年生で留学して、五年生まで在学するとは相当覚悟がいる時間の使い方だと思った。
卒業して数年たって、茂木や同じサークルの面々と飲みに行くことがあった。
その席にはアメリカに留学していた面々も参加していた。
一人はアメリカに家族がおり、近くに留学していたサークルのメンバーを自宅に招いたと言う。
「良いなあああ!私なんて稲葉さんからそんな事してもらってないよお!!!」
私も確かに大学に入る前まではニュージーランドに住んではいたが、私が大学に入学する前に親も兄妹も何年も前に日本に帰ってきている。茂木を招く家はニュージーランドにはない。
それを説明すると、茂木は言った。
「そうじゃないんですよお。。。南半球を知ってる咲さんなら、オーストラリアで色々誘ってくれたり見せてくれたりしてくれてもいいと思ったんですよお・・・それを、何にもしてくれないでえ・・・
あたし、稲葉さんと同じサークルなのに何にもしてもらえなくってえ・・・
観光にも連れてってくれなくってえ・・・
こんなんだったら、あたしヨーロッパに行けば良かったなあ~。毎年夏休みには家族でパリとかに行ってシャンゼリゼでお買い物したり、ロンドンでオーダーメイドの服を作ったり、高級ディナーに行ったりい~。そんな簡単な事すらオーストラリアではできないんですよお~。
南太平洋だったら、やっぱりハワイにしとけば良かったなあ~。日本語も通じるし、日本食もあるしい~。文化の違う所に行って慣れなきゃいけないって、面倒でしか無いんですよねえ~」
サークル時代も特に接点もなく、それに言葉もネイティブ並みを誇る茂木らしくない発言だった。一言言ってくれれば何らかのときに一緒に行動できたかもしれないのに、茂木はこちらから誘うのをずっと待っていたらしい。茂木からはどこかに行きたい、一緒にどこかへ行こうなどという提案は一切無かった。
こちらもオーストラリアにこれだけ長く居るのは初めての経験で、茂木が期待していたほどの知識はない。茂木はもしかしたらニュージーランドとオーストラリアの区別もついていなかったのだろうか。
「茂木さん、ガイドブックとかもっていかなかったの?」
アメリカに留学していた人が尋ねた。
「持っていくわけないじゃないですかあ~。咲さんが何もかもすべて案内してくれると思ってたのにい~。それなのに咲さん、何にもしてくれなくってえ~。自宅にも招いてくれないし、ニュージーランドも見せてくれないし、アデレードに着いても近くのテーブルマウンテンとかにも連れてってくれないしい~
ほんっとうに咲さんって冷たいんだからあ。。。 あたしとおんなじ風に考えてくれないし、気持ちも分かってくれないし。どこに行くにも何をするにもみーんな1人でやっちゃってえ。。。
咲さんと同じ大学に留学すれば面倒みてくれると思ってたのに、あたしの一年間を返して下さいよお!」
社会人になっていたのがここまでかたじけないと思ったことは無かった。
留学をして、観光部分は人が誘ってくれるのを待つ。
そんな人任せな態度で良かったのだろうか。
自分はでれんとして人が声をかけてくれるのを待つだけ。まるで絡み付く蔦か何かの様に。
ガイドブックの一冊も持たずに渡豪する。
それだけ他力本願の茂木の態度に、私は背筋が凍る思いをした。
茂木が観光や週末を楽しめなかったのはこちらのせい。
自主的に留学先の情報を手に入れようともしなければ、自分で見に行きたい、体験したいことに自分で行動を起こせない。その行動を起こせなかった責任を他人に押し付けて当然という態度だ。
今回の留学は、私の方から茂木に声をかけて観光に一緒に連れて行くというスタイルを茂木は望んでいたようだ。
しかし、一緒にアデレードに行った響子ですら一緒に居られなかった位約束で詰まっていた自分のアデレードでの時間や、勉強で一杯だった大学での時間。とてもではないが茂木に費やす時間は無かった。
それに英語に不自由しない茂木とあっては、何か手を差し伸べる必要があったのだろうか。
英語ネイティブ並みの英語力のある茂木を素人扱いする訳には行かない。
それ以前に、オーストラリアに行く前に茂木からは一度の連絡も受けていなかった。
茂木が何を考えているか分からないままの留学だった。
これではこちらとしても手の打ちようがない。
残念ながら、私と茂木の関係はここで終わった。
ほんの少しのかけ違いではあるが、茂木が自分のやりたいことを言わなければ分からないことだらけだっただけに、この別れは心に澱を残す終末となった。
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アデレードから日本に帰国して翌年、あたしは三月から就職活動を始めた。
テレビ局や新聞社を回り、何か自分で書くことを仕事に出来ないか可能性を探して回った。
何処に行っても大学に5年通っていることを聞かれる。ここは素直に就職活動に乗り遅れた事を話し、より自分の希望にそった就職先を探していることを面接官に伝えた。
南オーストラリア大学を留学先に選んだ理由も聞かれた。
これも正直にクリエイティブ・ライティングの講義に出たかったことと、初めての海外生活なので知人がいる所を選んだと説明した。
早めに始めた就職活動が功を奏し、その年の5月には日の出新聞社から内定がでた。
物を書く仕事をさせてもらえる。「盗用」と言われていた自分の書いてきた作品。それを卒業して、今度は自分で取材して調べた事を書けるかもしれない。
大学の5年目は退屈だった。卒業に必要な単位はすべて取っているあたしはこれ以上授業に出る必要が無い。日の出新聞社でアルバイトを募集していたので、週四回バイトに行き、残りは専門科目のアメリカ現代文学の講座を履修した。
周囲からは「オーストラリア文学ってどんなもの?」とよく聞かれたが、あたしは一切答えられなかった。あたしが一年取り組んできたのはイギリス文学の古典。オーストラリア文学に触れる余裕など一切なかった。
イギリス文学の古典を読み、そこから気に入ったストーリーを継ぎはぎして自分のストーリーを紡ぐという事。講師に教わらなければそれを自分の創作だと思い込んでいたかもしれない。これがあっただけでも留学の成果としなければならないだろう。
卒業式はあっという間に来て、晴れて社会人となった頃、サークルの集まりに誘われた。サークルの大半の人はアメリカに留学していて、こちらが日本に帰ってきたころと向こうが留学に出た時期が重なり、卒業までに会えなかった人達が大勢いた。そのアメリカ組が企画してくれた飲み会だった。
行って見ると、稲葉さんがいた。あたしの同級生でパブリック・スピーチ部門にいた裕美ちゃんと一緒に座っている。裕美ちゃんも三年生の時にイギリスに留学して、早速稲葉さんんと土産話に花を咲かせている。
同じテーブルにはアメリカ西海岸のUCCAに留学していた同級生や先輩、後輩たちが座っている。皆同じキャンパスにいたか、近くのキャンパスに居て、お互い連絡を取り合ってキャンパスを行き来していたらしい。
そのうちの一人、英語学科だった満里奈は、ご家族がアメリカに住んでいる同級生のご自宅に招かれたと言う。ご家族に会い、ご兄弟が英語で話しているのに驚き、高層マンションのバルコニーでバーベキューをやって頂いたり、マンションの屋上にある温水プールで遊んだりとアメリカンライフを満喫したと話した。
それを聞いてあたしは抑えていた気持ちが破裂しそうになった。
あたしは稲葉さんならご自宅に招いてくれて特別な経験をさせてくれたり、特別目をかけて面倒を見てくれると思ったから南オーストラリア大学を選んだのに。
何もしてくれない。
どこにも連れて行ってくれない。
楽しい事に誘ってくれない。
何も教えてくれない。
ホームシックになっても同情してくれない
外国から来た留学生ばっかりと交流して、あたしに変な英語を聞かせたりして。
英語が出来るのを自慢してばかり
こちらを素人扱いして、まるでオーストラリアが分かっているとでも言わんばかりの態度。
サークルの同級生と一緒にアメリカで楽しい思いをした満里奈が羨ましくてならなくて、あたしは抑えていた気持ちをすべて吐き出した。同級生も稲葉先輩も黙って聞いてくれたが、稲葉先輩からは一言の謝罪も無かった。
全くの無反応。
うすうす感じていたけど、稲葉先輩はやっぱり冷たい人なんだ。
自分の事は自分で。
助けを求めようにもどうしていいのか分からないあたしに対して完全に無関心。
外国での一人暮らしの辛さも一切分かち合えない。
二年間も知り合いだったのに、アデレードでは知らん顔して一人で遊びに行ってしまう。
あたしが先輩を必要としている時にはいつもフラットに居ない。
特別扱いしてくれない。
もっともっと面倒を見てくれて、辛さに共感してくれても良かったのに。
同じサークルの可愛い後輩に対してこんな仕打ちをするんだろうか。
その飲み会以降、稲葉先輩を見ることはぱたりと無くなった。
どこかで働いているらしいが、そんなことはもうどうでも良くなっていた。
稲葉さんなんてもうあたしには関係ない。
時間はゆっくりだが確実に過ぎていった。
婚約したあたしは、彼と一緒に新居マンションの内覧に行った。不動産屋が色々説明してくれる。
「4LDKならご両親やお友達がお泊りになられる時も安心ですよ。お子様が出来た時には子供部屋としてもすぐに使えます」
子供ができたら。
子供ができたら、あたしは自分の好きな英語を教えるんだろうか。
そしてその子が海外に行きたい、と言い出したときは、きっとあたしはこういうだろう。
「同じ留学先に知り合いがいるなら、注意してね。その人が信用置ける人かどうかきちんと確かめてから付き合って。自分が問題に直面した時に、同じ気持ちで傍に寄り添って助けてくれる人が本当の友達だといえるのだから」
(一つ前のお話はこちら)