頑張るとは何か、疲れるとは何か
私は、「頑張る」ということが何なのか、「疲れる」ということが何なのか、まだよくわかっていない。
人と明らかに「頑張る」の基準が違う。
人に「頑張りましたね」とか「一緒に頑張ったよね」とか言われると、ほぼ毎回「え?頑張ってないけど」と思う。
特に言えるのが、受験。
私は、高校は第一志望のところに、大学は第三志望のところに合格した。
その二つでは、意気込みが違った。
高校は、中学一年生の時からずっとそこに行きたいと思っていて、そこ以外考えられない、くらいの学校だった。
偏差値は自分のレベルより全然高くて、中学3年生の序盤は合格ラインには到底達していなかったが、最終的に合格した。
個人的には、学科試験ではなく面接で受かったのではないかと思っている。
大学は、正直どこにも行きたい強い気持ちがなくて、最後まで適当に選んだ。
第一志望は都内の有名どころ、第二志望もちょっと下の有名どころ、第三志望は家から一番近い大学にした。大学ブランドに興味がなかったのもあった。
この二つの受験、意気込みや思いには違いがあるものの、勉強した量=努力した量はほぼ同等で、個人的にはどちらも頑張っていないと思っている。
結果がついてくれば頑張ったと言えるのか?
結果がだめだったら頑張ってないのか?
同様に、「疲れる」というのもよく分からない。
何か体に異常が起きたら疲れているのか?
異常が起きていなかったら疲れていない?
「頑張る」も、「疲れる」も、人それぞれの物差しで測られる。
私は、今までの人生で「自分は頑張った」と思ったことがほぼない。
私は、この社会に疲れている。
生きることに疲れている。
とにかく疲弊しているから、頑張ることもできない。
この自己肯定感の低さも、おそらくうつの原因になっている。
それでも、治せない。
この社会に対しての疲労感がなくならない限り、私は活き活きと過ごすことはできない。
特に楽しいひとときを過ごしている瞬間以外は、常に虚無で、怠くて、孤独で、絶望していて、死にたいと思っているような生活。
今日も怠くて、私の心は疲れていて、泣いていて、それを拭うだけで精一杯だった。