仏さまは何を食べる?
長崎県妙法寺の渡部智従と申します。
今回は私がお寺の日常・給仕の心をお伝えします!
モーニングルーティーン
お寺の1日は給仕(きゅうじ)から始まります。5時過ぎ起床。
本堂での朝のお勤め、諸堂や境内の掃除。
その後、炊き立ての仏飯を本堂・そして位牌堂へお供えをします。
御宝前・守護神様・歴代様・新寂棚・そして位牌棚の約50ヵ所に配膳をします。
そして住職家族・勤務のお坊さん、皆で朝食をいただきます。食後すぐに先ほどお供えした仏飯を下げに行き、お椀を洗ってやっと一段落。一休みした後、お寺の業務へと向かうのが当山の長年の朝のルーティンです。
仏様やご先祖様はご飯を食べてるの?
2年ほど前から、朝の仏飯上げを息子と娘が手伝ってくれるようになりました。ある日息子が、「なんで仏様やご先祖様はご飯を食べないのに僕達が食べるご飯をお供えするの?」と訊ねてきました。
なるほど!確かにそれは不思議だよな…。
朝お供えした仏飯は、約30分ほどの時間、誰が手を付けるわけでもなく、そのまま残っています。
私たちは、仏様やご先祖さまに対して、さまざまなお供え物をします。またお寺には、折に触れてたくさんの方々からお供物をいただきます。
出来立てのお米や新鮮なお野菜、さまざまの地方のいろんな種類のお酒、お菓子や果物など…それらはほとんど私たちが普段口にするものと同様の食べ物や飲み物です。
なぜ私たちは直接召し上がるわけではないものを御宝前にお供えするのでしょうか?
私たちが食べ物を摂取しないと生きていけないのと同じように、仏様やご先祖さまも『食事』を召し上がらないと、本来お持ちであるそのお力を発揮できない、元気が出ないのです。
仏様の『食事』は私たちが捧げるお参りの気持ちや読経・お題目です。その功徳を召し上がって活力、糧となさるのです。
供える品物それぞれに細かい意味合いはありますが、毎日のお仏壇へのお参り、お寺への参拝、年忌法要等の法事などなど、手を合わせ一心に祈るお気持ちを何かしらで表現できないかと、その祈りの気持ちを具現化した物、形に表した物がお供物だと思います。
仏様へのお参りのことを、法味言上(ほうみごんじょう)という表現もします。法味、つまりお経やお題目、皆様のお参りの功徳を詰め合わせた仏様のお食事という意味です。
ご縁のあるお寺の仏様のため、あるいは大事なご家族の御霊を想い、心を込めて手を合わせ、そしてお供え物を供える。その皆様の温かいお気持ちの功徳を召し上がるのです。
普段見守って頂いている仏様やご先祖様がひもじい思いをされない様、法味を捧げる事を心がけましょう。
なにかが護ってくれた⁉
先日、ご遠方から法事にお越しになったご家族にこの内容をお話しした際、不思議なことがあったと話されていました。
当日、高速道路でお寺へ向かっている道中、渋滞にはまってしまったとのことです。急いで抜けなければ間に合わないと、車線を変えて進もうとされたそうですが、何か胸騒ぎがしてそのままの車線に留まったそうです。
しばらく進むと、追い越し車線に事故直後の処理もされていない車両があったそうで、それを横目に通過したところ、無事に渋滞も抜け法事の時間にも間に合われました。
もしかしたら自分たちが事故に遭っていたかも知れない。焦って車線を変えようとしたことを思いとどまったこと、法事の対象であるおばあちゃんや仏様が守ってくれたんじゃないかと、私の話を聞いて感じたとのことでした。
法華経は三世にわたる説法の教えです。
過去、現在、そして未来。
今私たちの身に生じている現象は過去世での行いの結果であり、現世での行いは来世に影響するのです。
この檀信徒の方が事故を免れたのは、もしかしたら仏様のご守護であったのかも知れませんし、過去世に残してきた子孫から贈られた法味の賜物かも知れません。
信仰・供養における心構えとして、一番大切なことはどうやったら仏様やご先祖様が喜んでくれるかとい事を考え、実践することだと思います。
仏飯をお供えする意味を尋ねてきた息子へ、以上の話を簡単に説明した後、「いつも守ってくれてありがとう。仏様がいてくれるから僕たちも元気でいられます。朝一番のご飯をいっぱい食べて元気でいて下さい。」って君がお参りしてくれたらきっと喜ぶよと伝えました。
「そうしよう!」と息子は言っていました。
給仕の心の一端が伝わったならば、嬉しく思います。