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「ワインの叫び」・・・短編ホラー。酔っ払った二人が迷い込んだのは。


『ワインの叫び』


もうすぐだ・・・
あれはちょうどひと月ほど前の梅雨の冷たい夜だった。

ここ数日、生気の無かった頼井麻衣のことが心配になった私は、
どにかく愚痴を吐き出させようと飲みに連れ出した。

麻衣を慰めるのは初めてではないが、今回はかなり重たい。
女性初の支店長として、関西に新しい支店を開くための準備で、
3週間ほど出張している最中に、結婚まで考えていた彼氏が
浮気をしてしまったのだ。

しかもその相手というのが同じ部署の後輩で麻衣が可愛がっていた女子。
麻衣はそのショックでクライアントが激怒する、とんでもない大失敗をしでかし、左遷の内示を受けた。

「あたしには何の望みも残ってないのよ。みんなあの女が持っていったのよ~」

愚痴を一つ言うたびに一杯空け、
お代わりが来るまでの間に、後輩女の欠点をあげつらう。

当然のように麻衣のピッチは速く、あっという間に愚痴と欠点の残骸であるコップが12~3個ほど並んでいた。

足元がおぼつかない麻衣を支えながら、どうにか店を出たが、
女二人の酔っ払いなんて、不用心この上ない。
駅までの暗い道を歩くか、諦めて公園で酔いを醒まそうか。
迷いながら、とりあえず大通りまで出ようと路地を二三歩歩いた時、
麻衣が「うううう~」っと苦しそうな声を出してもたれかかって来た。
私は支えきれず、押し切られるように小さなバーの重いドアを開けてしまった。

「すみません。酔っ払ってて・・・」

回りも見ず、謝りの言葉を言ってすぐに店から出ようとしたが、
すでに麻衣はカウンターの一番端の席に座り込んでいた。

「大丈夫ですよ。少しお休みになられたらいかがですか? 
お連れ様は相当酔われているようですし」

品の良い白髪のバーテン。声が良く通る。

ホッとして、麻衣の体を座り直させ、その隣に腰を下ろして
ようやく落ち着いた私は、店の中を見渡した。
幸い他の客はいないようだ。
古めかしいレンガ造りの壁が外界の音を遮るのだろうか、
漏らした溜息が隅々まで響くような静寂がそこにあった。

少し酔いを醒ますつもりで、軽めのビアカクテルを注文しようとすると、
ワイン専門だと言う。

「私もバーテンではなく、ソムリエでございます」

「そうなんですか」

と答えたが、バーテンとソムリエの違いが思い出せなかった。

すでに麻衣の事で迷惑をかけているような気がしたので、
質問をするのも何となくはばかられた。

「お客様は運が良うございますよ。今朝届いたばかりの特別なワインがございます。いかがでしょうか。少しだけお試しになられますか?」

「お試し」が無料なのか分からずに迷っていると、
眠っていると思っていた麻衣が、小さな声で「あたしにも」と言った。

ソムリエは軽く微笑み、手際よくグラスを二つ並べて、
後ろの棚にあるボトルから、赤い葡萄の雫を注いでいった。

『初めて入った店で、珍しくて美味いワインを引き当てたならラッキーだったかも』

そんな事を考えながらグラスの輝きを見つめていると
ヒ~と響く妙な耳鳴りを感じた。
麻衣も同じように感じているらしく、頭をグラグラと揺らしながら
しきりに指で耳を触っている。二人ともお酒で血行が良くなっているようだ。

「Perdre espoir パードレ・エスポアールの1944年ものでございます」

赤ワインを満たしたグラスを滑らしながらソムリエが言った。

エスポワールは確か「希望」だった。私は昔習った第二外国語のことを思い出した。パードレは覚えていないが、きっと希望の行進とか道とか、そんな意味だろう。

すすめられるまま一口飲んでみると、渋みの中に透明な甘さを秘めた複雑な味が口の中に広がった。
いや。広がると言うより、ワインが主張しているような、それとも
何か音楽を奏でているような感じで、気持ちが高揚してくる。

「いかがですか?」

「どう言っていいのかな。何か良い音楽を聴いた時のような幸福感を感じます。御免なさい。味の表現としては、おかしいですね」

「いいえ。見事にこのワインを表現なさってますよ」

ソムリエは、嬉しそうに笑った。

私は照れ隠しにもう一度グラスに唇を付けた。

ワインが喉を通ると、なぜか耳鳴りが少し大きくなった。

いや。耳の中で大きくなるというより、口元から喉へ、さらにその先へ。
音が体の中を移動しているように思える。


「ヒ~ヒ~!」

突然、ふらふら体を揺らしながらワインを飲んでいた麻衣が、
背筋を伸ばし、宙を見つめてよく分からない声を上げ始めた。

「ヒエエエエ~」

締め付けた声帯の隙間を、空気がすり抜けるような声を出したかと思うと、
倒れ込むようにしてカウンターに突っ伏して大人しくなった。

「麻依、麻依。すみません。普段はこんな酔い方しないんすけど
ちょっと飲み過ぎたみたいで」

「大丈夫でございましょう。こちらのお客様は・・・
そう。少し感受性がお高いのでございましょうね。
シャトーの声が届いたのでしょう」

「シャトーの声?」

言われた言葉の意味が分からずにいる私の前に、ソムリエはワインのボトルを出した。ボトルには、この店位によく似た石造りのワイン蔵の中で
立ち上がって万歳している女の姿が描かれていた。

「はい。ヨーロッパのシャトーでは、ワイン蔵でコンサートを行う所がございます。出荷する直前の一か月、美しい音楽や歌を胎教のように聞かせます。そのようにして熟成させたワインは、
名曲を奏でるような美しい味に変わると言われています」

「そうですか、それはロマンチックな話ですね・・・」

と答えながら私は、落ち着き払っているソムリエに違和感を感じた。

客がおかしな声を出して寝始めたのに、
シャトーだとかコンサートだとか暢気すぎるんじゃないかな、
と思いながら、目の前に置かれたワインボトルを手にした。

「えッ!」

私は思わず息を飲んだ。
そこに描かれていたのは、万歳をしている女性ではなく
服も体も傷だらけで、両腕を鎖で繋がれて吊り下げられ、
大きく口を開けて恐怖に顔をひきつらせた女の姿だった。

その時私は、唐突にパードレの意味を思い出した・・・パードレは「無くす」だった。パードレ・エスポアールは、希望を無くす、だ。

「さようでございます。こちらのワインは、
数か月に渡りご婦人の悲鳴を聞かせて熟成させたもの。
希望失った絶望の叫びがワイン蔵にこだまいたしますと
溜まらない至福の味が醸し出されます。

悪趣味、と申される方もおられますが、
世の中にはそのような嗜虐的な趣味の方が、少なからずおられます。
喉越しの際に、ワインともに断末魔の声がすーっと胃の腑に落ちていくのを
お客様もお感じになられたのではございませんか?」

先ほどまで頭の回りで感じていた耳鳴りが、今は胃の中から聞こえるように思える。

私は怖くなった。
でもそれは、不気味な製法で作られたワインを飲んでしまった為じゃない。

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