「高速嫌い」・・・怪談。深夜のタクシーに乗ってきたのは。
『高速嫌い』
バブルの頃よりは少なくなったとはいえ、金曜の夜は今でもタクシーの稼ぎ時である。
タクシードライバーは歩合制なので、どれだけ効率よく太客(ふときゃく)アタリを掴めるかで給料が変わってくる。
ここで言う「太客・アタリ」とは、もちろん遠距離の客である。
かつてバブル期にはタクシーが不足しており、新橋辺りでは遠距離の客を送って戻ってきても、まだ遠距離の客が待っているという状態であったが、最近ではそうもいかない。
一度遠距離の客を逃したら次はない。終電直後の一番遠距離客が居そうな時間帯に、駅前のタクシー溜まりに並べるかどうかで、その日の売り上げが随分違ってしまう。
「11時50分か。今タクシー溜まりに並ぶとゴミ拾いそうだな」
冨浦兼雄はその日焦っていた。午後からの売り上げが芳しくなく、
マンギリ状態、つまり売り上げが一万円にもいっていなかったのだ。
『ゴミ』とは、安い客のこと、新橋の終電は午前0時半から1時過ぎ。
その辺りで駅前のタクシー溜まりの車列に並べれば、長距離のアタリ客は間違いない。
「このタイミングで中途半端な距離の客を乗せると
戻ってきても遠距離客を逃す可能性があるからな」
そんな算段をしながら信号待ちをしているところで
「コンコン」っと窓をノックされた。
終電前に流しのタクシーを捕まえるのは、
酔っ払いが場所を変えるために乗るのがほとんど。間違いなく短距離だ。
気付かなかった振りをして、走り出してしまおうと思ったが、
窓の向こうに制服警官の姿が見えた。
乗車拒否などと声を上げられると、面倒になる。
冨浦は渋々自動ドアのレバーを引いた。
乗り込んできたのは、顔色の悪い地味な服を着た若い女だった。
「どちらまで」
「鈴ヶ森まで・・・」
長距離でないなら、せめて近場で。
と冨浦は願ったがその願いは果たされなかった。
品川区の鈴ヶ森までは、今の時間帯ならなら40分以上かかる時もある。
帰りの時間も考えると長距離客を逃す可能性がある。
「お客さん。どのコースで行きます?首都高使うと早いんですが・・・」
それとなく高速に乗るよう振ってみるが、またしても目論見は外れた。
「いや・・・シタミチで」
「そうですか。首都高の方が早いんだけどな・・・」
冨浦は恨みがましく呟く。
少し行くと首都高の「新橋入口」の表示が見えた。
冨浦は思い切って、ハンドルを切った。
「お客さん。私が高速代出しますから。首都高で行きましょう」
後部座席で客が何か言ったように思えたが、冨浦は無視して高速に乗った。
自腹は痛いが、終電後の長距離客を逃すのはもっと痛いのだ。
「この方が早いですから・・・」
強引にコースを変えたことを悪く思われたくなくて、冨浦は話し続けた。
「シタミチは混むんですよ。下手したら一時間くらいかかる時もあるし、
こっちの方が絶対ですよ・・・」
語り掛ける冨浦の言葉に、女は反応せずずっと俯いている。
『余程気に障ったかな』と心配になってルームミラーに映る客の姿を見つめると、ブツブツと何かを呟いていた。
『何だ。文句でも言ってるのか』
冨浦が耳を澄ますと、走行音に混じって男の呟きが聞こえてきた。
女は同じことを呟いているようだった。
「の・・・い」「の・・・い」
え?なんだ?
「乗って・・・まい」「乗って・・・鈴・・・まい」
冨浦は時折入る無線の音を小さくした。
ようやく女の呟きが聞こえた。
「乗ってしまったら、鈴ヶ森でオシマイ」
何がおしまいなのか、確かに鈴ヶ森でおりるのだが。
冨浦は少し気持ち悪くなった。鈴ヶ森は都市伝説や心霊の噂も多い、江戸時代の処刑場のあった所だ。普段は下らない、と馬鹿にしているタクシー仲間の噂話まで思い出してしまったからだ。
その時、「鈴ヶ森出口」の表示が見えた。
冨浦は自分を落ち着かせるように後部座席に声を掛け、車線を変更して出口に入っていった。
「お客さん。もうすぐ鈴ヶ森ですから」
次の瞬間、冨浦の目の前が明るくなった。
一歩通行の筈の出口から乗用車が突っ込んできたのだ。
冨浦が最後に見たのは、対向車の運転席で悲鳴を上げている高齢ドライバーの顔だった。
この事件は、高速でのありふれた事故として処理された。
ただ新聞記事の最後にこう書かれていた。
「衝突したタクシーのメーターは乗車の位置にあったが、
客は乗っていなかった。
警察は意識不明になっている運転手に事情を聴いている」
おわり
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