『Little Cheese Works』こいつと一緒なら、どこまでもいける【受賞者ドキュメンタリー第5弾】前編
ネズミたちが力を合わせ、猫に見つからないようにチーズを運んでいく。「Little Cheese Works」はスリル溢れるマルチプレイゲームだ。フィールドには様々なギミックが施されており、プレイヤーどうしが相談しながら進めていくことが大事。しかし、猫はネズミが立てる物音だけでなく、ボイスチャットしている声にも反応してしまうのだ。
プレイヤーどうしの協力といじり合いを中心とした本作は、第1回GYAAR Studioインディーゲームコンテストでプラチナ賞を受賞。東京ゲームショウ2023への出展でも、初対面の人が即席チームを組み、盛り上がりつつ遊ぶなど、好評を博している。
本作を手がけるのはBUBBLE GUMの面々。ゲーム開発会社の同僚だった古川 貴大氏と畑中 朗人氏が独立、本コンテストに賭けて資金難の中で作品を完成させた。受賞者に開放されている制作スタジオGYAAR Studio Baseの近くに引っ越し、常駐して開発を続ける両氏に、これまでとこれからについて聞いた。
■「こいつと一緒なら、どこまでもいける」運命の出会いをした2人がコンビを組んだ
――よろしくお願いします。受賞作「Little Cheese Works」における、お二方の作業分担を教えてください。
🔸古川:BUBBLE GUM社長の古川です。エンジニアリング以外、ゲームデザインなどを担当しています。絵やCGができるわけではないので、そうした方を外部から探してきてアサインしたりといった部分も僕の仕事です。
🔹畑中:エンジニアの畑中です。「Little Cheese Works」で使われているUnityのエンジニアリング全てを担当しています。
――ゲームデザインとエンジニアリングはBUBBLE GUM内部、他の部分は外注しているのですね。BUBBLE GUMはCooperLand名義でスマートフォン用脱出ゲームを多数リリースしています。「Little Cheese Works」の開発と脱出ゲーム作りは、どのようなバランスで進めているのでしょう?
🔸古川:6割が「Little Cheese Works」、4割が脱出ゲーム開発ですね。BUBBLE GUMのメイン収益源は脱出ゲームなので、この制作をできるだけ人に任せていこうとしているところです。
――脱出ゲームをコンスタントに制作していける体制を整えつつあるということですね。
🔸古川:そうです。X(旧Twitter)でCGデザイナーさんや謎解き作りが得意な方にお声がけさせていただいています。皆さんには制作チームを組んでいただき、僕らが企画の大枠を出して開発を進めていただく感じです。
🔹畑中:脱出ゲーム用のツールも作りましたから、コードを書くことなく完成までもっていくことが可能です。事実、僕は半年前ぐらいから脱出ゲーム関連のプログラムをほとんど触っていない状態ですね。
――お二人がゲーム開発に携わることとなった経緯について聞かせてください。
🔹畑中:プログラムを使ったゲームという意味では、古川と一緒に作った脱出ゲームが初めてです。小学生から高校生まではボードゲームみたいなものを作り、学校でみんなと遊んでいましたね。もともと家にお金があまりなくて、ゲームを買ってもらえなかったので、ゲームというのが憧れの品であるまま大人になったわけです。
――どんなボードゲームを作っていたのでしょうか?
🔸古川:小学生の頃は「マリオパーティ」(※)をもじったようなものでした。高校生の時は、約束手形だけで動く経済があったら面白いだろうと考えてボードゲームにしたものを作りましたね。
――約束手形の経済とは、また珍しいテーマですね。
🔹畑中:実家が約束手形の回ってくるような商売をしていたことと、「桃太郎電鉄」(※)や「ナニワ金融道」(※)の影響ですね。120日間だけお金として扱われる紙切れという仕組みが不思議で面白いものに見えたんです。
――畑中さんはいかがでしょう?
🔹畑中:大学のゲーム学科でプログラミングなどを学びつつ、チームを組んでゲーム制作をしていました。「日本ゲーム大賞2016」のアマチュア部門に応募して最終選考にまで残ったものの、受賞には至りませんでしたね。ライバルは今もSteamやNintendo Switchで発売されている「ElecHead」(※)だったので、相手が強かったという感想です。
――お二人のゲーム原体験はどういったものでしたか?
🔸古川:初めて買ってもらったゲームが「マリオパーティ2」で、友達がいなかったので背景の細かいところまでなめ回すようにしてプレイしており、誰よりも詳しいんじゃないかという自信があったくらいです。
――「Little Cheese Works」も多人数プレイのパーティゲームですが、「マリオパーティ2」から影響を受けているところがあるのでしょうか?
🔸古川:「ゲームを中心にした友達の輪」みたいなものにすごく憧れがあるのは「マリオパーティ2」の思い出から直結しています。自分が幼少期にできなかったことを、もう1回やりたいということで、ゲームを中心に人が集まって楽しんでいる姿を想像して作っているところはあると思いますね。
――では、畑中さんのゲーム原体験は?
🔹畑中:影響を受けたゲームが多すぎるくらいですね。僕はNINTENDO 64やニンテンドー ゲームキューブからゲームを始めて、「ポケモンスタジアム」(※)や「大乱闘スマッシュブラザーズ」(※)といったゲームを遊んできました。その中で「自分でゲームを作れるようになりたい」と思ったきっかけが、「ソニックアドベンチャー2 バトル」(※)です。
――「ソニックアドベンチャー2 バトル」のどういったところからゲーム開発を志したのでしょう?
🔹畑中:ストーリーラインや演出、プレイングとしての面白さや気持ち良さといった部分にドはまりして「自分でもこういう世界が作れるんじゃないか」と思ったのが原動力ですね。ゲームの開始シーン一つ取っても「ソニックアドベンチャー2 バトル」は違うんです。普通の開始シーンなら、ゲーム画面がフェードインしてそこにキャラクターが立っているという感じですよね。でも、このゲームではヘリが空を飛んでいるシーンから始まり「何だろう?」と思ったらヘリの扉がバーンと壊れてソニックが現れる。そして、ヘリの扉をスケートボードみたいにして空を降りていき、そのままダウンタウンの大きなスロープをカーッと疾走しつつゲームが始まるんです。まるで映画みたいな体験ですよね。この一気にゲームの中に引き込まれる体験が心に焼き付いていて、こうしたものを作りたいと思うようになったんです。
――ゲームデザインはもちろんのこと、演出やプレイヤーの気持ちの誘導、モチベーションの導線、そこへ引き込む演出のテクニックや世界観の構築など、全てを合わせたものとしてのゲームという世界を自分で作りたかった。
🔹畑中:そうです。作品を通じて、様々な要素が複合した総合芸術というものを学び取った感じがあります。ゲームを構成する全てのものの多様な集合、これがユーザーのプレイング如何で変化していくということが魅力的に感じられました。遊んで、反応があって面白いだけではなく、絵や文脈のコンテクストや魅力的な世界観から得られる色々なものの集合体であり、複雑なものなんだということを味わったんです。今でいうインタラクティブメディア的なもののもっと先にあるものを、もっと昔の時代から追求していたのがゲームであると思っていて、だから大好きなんです。
――そうしたゲーム原体験を経て学校を卒業し、仕事を選んでいったわけですが、お二方は会社をどういった基準で選んだのでしょう?
🔸古川:正直に言うと、年収が高い順に面接を受けていったような感じでした。最終的に内定を取れたのがゲーム開発会社とECサイトで、「ゲームの方が興味を持てそうだな」というくらいでたまたま選んだのがゲーム開発の仕事で、そこで朗人(畑中氏)と出会いました。
🔹畑中:僕も就職にはそんなに興味がなかったですね。自分でゲームを作りたいなと思ってましたから、どこに行ってもそんなに長くは続かなくて、どこかで独立するなり何らかの方法を考えるだろうと。それなら年収が高いところがいい。就活も5社くらいしか受けていないし、たまたま良い感じのところに内定が取れて貴大(古川氏)と会った感じですね。
――同じゲーム会社へ就職したお二人ですが、出会ったきっかけは?
🔸古川:入社してすぐに1~2ヶ月の短期間でゲームを作る研修があり、そこで朗人が作っているものが印象に残っていたんです。そこで「会社に内緒でゲームを作ろう」と声を掛けました。
🔹畑中:僕と貴大は研修でも別々のチームでしたが、貴大の作ったものを見て凄いなと思っていました。正直なところ「こいつと一緒なら、多分どこまでもいけるだろうな」と思ったので、声を掛けて欲しいと願っていたところに話があり、やろうと即答した感じでした。
――その時に古川さんが作っていたのは、どんなゲームだったのでしょう?
🔹畑中:UFOのヤツだよね。
🔸古川:「UFOを信じているお爺ちゃんの夢を壊さないよう、孫がタライを投げてUFOに見せかける」という、良く分かんないゲームでした(笑)。
――設定から既に面白いですね。
🔸古川:あの時は凄い熱量を持って取り組めていましたね。そうした中、同じような「匂い」を発していたのが朗人だったんです。「なんか、獣臭いな。コイツ、研修の時間をとりあえずでやり過ごすためにやってるわけじゃないな」と。
――そして古川さんの方から声を掛けてゲーム制作が始まり、会社を辞めて独立することになった。独立しようと決意した理由は?
🔸古川:研修から数年経ち、朗人が出世しそうだという話を聞いたのがきっかけでした。「このままだと、僕と一緒にゲームを作り続けてくれないんじゃないか」と思ったので、その日の夜に焼肉へ誘って「会社を一緒に抜けよう。2年間だけ欲しい。この間に結果が出なかったら、僕のセンスが無かったということでこの業界を諦めるから」と声を掛けたんです。努力が足りないまま諦めるのでは、悔いが残る。だから会社を抜けて、2年間だけ本気でやりたいと。そしてBUBBLE GUMを立ち上げ、結果を出せたので一緒にいられるという感じですね。
――まるでドラマのような展開ですね。思いの熱さが伝わってくるようです。そして脱出ゲームを作り始めたわけですが、立ち上げの苦労などはありましたか?
🔹畑中:初回作は3Dグラフィックで作っていたものの、今後2Dにしていくという決断をしたことですね。現在のスマートフォン用脱出ゲームって3D風に見える2D、一枚絵のものが多いんです。だから僕らは3Dグラフィックで行こう、ということに決めました。ただ、このやり方だと色々な問題が出てきたんです。リアルタイムで3Dグラフィックを作るので低スペックの端末だとパフォーマンスが落ちます。また、手がかりとなる物体を置くにしても、カメラと物体の位置関係や距離から見え方がどうなるか分からず、ゲームが分かりにくくなる可能性があるわけですね。
――そうした問題も、2Dグラフィックだと解決できるということでしょうか。
🔹畑中:そうです。2Dグラフィックは低スペック端末でも表示できますし、物体の見え方も変化することがない。それならということで、3Dで作ってきたものを破棄することになりました。
――途中まで作ったものを破棄するというのは揉めたのではないですか?
🔸古川:揉めましたね(笑)。
🔹畑中:3Dで2作目を作ろうとしていた時期でもありましたし、揉めました。結果的には2Dにしたことで色々な問題が解決し、大成功したと思います。結局、僕らの脱出ゲームで3Dを使ったのは、初めて作った「脱出ゲーム 南国リゾート ~海に浮かぶ小さなコテージ~」(※)だけでしたね。
――「南国リゾート~」もプレイさせていただきましたが、そうした苦労があったとは思いもしませんでした。
🔹畑中:綺麗なグラフィックがウリではありましたが、機種によってはパフォーマンスが低くなるので、ユーザーさんからの評価は低かったんです。制作においても、折角デザイナーさんが作って下さったテクスチャや3Dモデルのクオリティを下げるといった手間が必要になっていましたから。
――これは非常に大きな決断ですよね。大抵、クオリティの高いものを手間暇掛けて作ったとなれば、そこに固執しがちです。
🔹畑中:この決断をした貴大には「ありがとう」という他ないです。その後は2人で「脱出ゲーム ペンギンくんとシロクマのエジプトだいぼうけん」(※)を始めとしたペンギンくんシリーズを6作品作りました。ただ、脱出ゲームの制作を誰かに任せないと、自分たちが作りたいゲームに手が回らないということに気付き、ツール化や自動化、スタッフの外注化を進めていき、「Little Cheese Works」を作り始めることができたんです。
🔸古川:制作体制作りについては、現在進行形で苦労していますね。
――脱出ゲームも色々と遊ばせていただきましたが、トリックが色々あって楽しかったです。「変温グラスの飲み物を飲むと、温度が変わってグラスにヒントが浮き上がる」といった物理法則に基づいたものから、「端末をリアルに振って炭酸飲料のボトルを開栓する」というスマートフォンの特性を活かしたものまである。なぜ脱出ゲームを選んだのでしょう?もともと興味があったのでしょうか。
🔸古川:自分たちの技術を培うことができ、かつある程度売上も出るだろうという予想から脱出ゲームを選びました。創業したはいいものの、お金がなくて3ヶ月後には倒産するような状態でしたから「とりあえず、まずはゲーム業界でお金を稼いでしがみつこう」ということですね。事実、僕と朗人の2人体制だったペンギンくんシリーズまでは、謎解きの勉強をしながら見よう見まねで作ったようなものなので評価が高い訳ではないです。
🔹畑中:その後の作品は、謎作りの得意な方にお願いするなど改善に努め、評価も上がってきています。
――スマートフォン用の基本無料脱出ゲームというのは結構な激戦区だと思いますが、その中での制作には苦労があったのではないでしょうか?
🔹畑中:制作に入る前には、貴大が脱出ゲームを1000本くらいプレイして市場リサーチをしていました。だから初期作品はこうした知識と経験が詰め込まれた僕らの努力の結晶ですし、制作体制が変わった今もこうした部分は活きている気がします。
――まず乗り出す前に油断なくしっかりと準備を進めたわけですね。脱出ゲームの制作体制を整え、資金繰りの心配もなくなった。ここから「Little Cheese Works」のプロジェクトがスタートしたわけですが、スマートフォン用基本無料アプリとでは作り方や意識の違いなどはありますか?
🔸古川:脱出ゲームについては、僕らが口出しをしても良いものにはならないという経験則があります。CGデザイナーさんの作品を見て、トレンドに乗れるような立て付けや広げ方を僕らが予想していくやり方をしており、ある程度僕らの手を離れている状態です。これに対し、「Little Cheese Works」の場合はユーザーさんに与えたい体験を考えながら、隅々までこだわっています。キャラクターデザインについても「ここのテープは1ミリほど上にして、パトランプの光ももう少し光らせて欲しいです」とかなり細かい指示をします。デザイナーさんにも何十回とリテイクを出しており、色んな人に迷惑を掛けながら作っているわけです。
🔹畑中:スマートフォン用基本無料アプリですと、広告やストアで評価をしていただくための誘導など、ゲーム外の施策を考えなければいけないところがあります。AndroidとiOSの違い、機種ごとのスペックの差といった部分も対応が大変です。特にAndroidは少なくとも16000種類以上の端末がありますから、対応や最適化、画面サイズなども考えないといけませんから。一方「Little Cheese Works」では広告もないし、スペックの差も考えなくていいから、ある意味で楽だなとは思います。
――社会人になってからゲームを作るということは、自分の生活をしっかりと支えるだけの収入を確保しつつ進めなければならない。インディーゲーム作りの実情が見えた感があります。
(後編へ続く…)
※『後編』では、「受賞後のサポートについて」「第2回GYAARConに応募しようと考えている方へ向けてのメッセージ」等をお話いただきました!
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