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後ろ向きの幸福論

水道の水が貴重だった時代を想う

私は辞書を読み、誰でも幸せになれる方法を見つけてしまいました。大発見です。

現在私は、故事ことわざ辞典と四字熟語辞典を併読しています。その中で、「水道の水で産湯(うぶゆ)を使う」という諺(ことわざ)を昨年読みました。

意味としては「江戸っ子が自分の生まれを自慢していう言葉。莫大な金と手間をかけて造った自慢の水道の水で産湯を使ったということから。水道=神田上水と玉川上水」とあります。

補説として「二つの上水は、徳川幕府が巨額の資金と労力をつぎ込んで開発したもので、規模の大きさから江戸っ子の自慢の種であった。これに類する地元自慢は、世界各地にある」とあります。意味も補説も話題の尽きない興味深い文章ですが、本日は幸福論についてお伝えします。

当たり前になると有り難みが無くなる

現在の世の中で、水道の水が出なかったら大騒ぎになります。大体、辞書の語釈に「水道の」という修飾語がつくこと自体、水道がいかに貴重だったかが伺えます。

今は「水道の」水の有り難みもなくなりました。みな当たり前にあると思っている。そのうちインターネットの4Gや5Gも、同じようになっていくことでしょう。

まず第一に、江戸時代の世の中は、水道の水が当たり前に出ませんでした。250年以上も天下泰平を続けていたにも関わらず。

現在の人たちと比べると、幸福感は薄れます。私は洗い物をしているとき、過去に思いを馳せ、幸福感を感じられます。手伝いもどうせやるなら、嫌々やるより進んでやった方が向こうも気分はいいのでは。

そしてまず第一に、この水資源の豊かな日本という国に生まれ、十分な水分量とキレイな「水道の」水で食器を洗うことができる。しかも、簡単にお湯が出る。冬の洗い物は手がポカポカ。ああ幸せ。

そもそも世の中は、上を見ればキリがなし下を見てもキリがなし、です。昔はよかったとよく言われますが、便利さにかけては、現代はおそらく、これまでのどの時代よりも優れています。にもかかわらず幸福感が比例していないのは、過去を振り返らず、今を生きているからです。

たまには後ろも向いて生きましょう。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

ブルート通信182 / 明生人嘉 〜 MyojoJinka 〜 110話