ゲーム制作日記 月間報告(2024年9-10月分)

 ゲーム制作を始めたんである。おっと、こいつはいささか唐突な出だしだったかもしれないな。
 少し、身の上話をさせてほしい。まあ、前回の日記を参照いただければ大方わかると思うが。
 数か月前に仕事を辞めた。いやになったから。自分はあまり高等な人間ではないが、それでも人間であって木石とは違う。そこをはき違えた会社に居残る価値はない。無職は社会のお荷物であるが、ハロワに行けば一応は人間として扱ってもらえる。それは職を手放すのに十分な理由だった。
 というわけで、僕は無職となった。9月上旬までは東北や広島を18きっぷで旅行するなどしてプー太郎期間を満喫中である。と、自分を取り巻く状況としてはこんなところだ。
 さて、そんな社会のお荷物野郎が一体どうしてゲームなんか作り始めたのか。「新しい逃避先か?」とお思いかと思うが、そうではない。至って真剣だ。「だったらそもそもの話、そういう素地はあるの?」と、そんな疑問にもお答えしよう。一応、あると言っておく。
 学生時代、僕はゲーム制作サークルに所属しており、数作のゲームに携わったことがある。今計算して若干戦慄したが、これは10年ほど前になる。
当時の担当作業は殆どサウンド周り、そしてほんの少しのグラフィックだけであり、正直な話、自分の作業範囲は惨憺たる出来だったと思う。あの作品が人目に触れたのだと考えると今でも胃が痛くなるし、メンバーにも申し訳なかった。この場を借りて謝りたい。本当、ごめんねえ……。
 しかしながら、自分も一度はゲーム制作を志した身である。作りたいゲームの構想はずっと頭の中にあった。
 と言うわけで、僕は在学中からプログラミングや絵、音楽の勉強をし、単独でのゲーム制作をもくろんでいた。あ、ここからは(と言うかここからも)特に濃い自分語りになるのでそういうのが嫌な方は読み飛ばして下さいね。
 プログラミングは学生時代の後半の二年間で一先ず、自分なりには使い物になるレベルにまでなった。絵も描けなくはない。メインの担当分野だった音楽だけが相変わらず酷い出来だったが、ともかく見切り発車で制作を開始した。が……した時期が悪かった。学生時代は有限である。一寸の光陰は決して軽くはないが、何かをなすにはあまりにも短すぎる。ゲームの製作は僕の就職活動開始とともに停止に追い込まれたのだった。
 それからは色々あった。ゲームは作れなかったが、空いた時間で音楽や小説を書くなどして気を晴らしたり、M3やコミケに出たり、Vtuberに手を出したこともある。まあ、それも比較的自由のきいたころの話だ。ここ四年間は殆どまともな創作はしていない。と言うより、「創作しなくなってもう四年!?」と言った感じだ。時の流れが速すぎるんである。
 年齢は30を超え、再就職も難しい。しかし会社では冷や飯喰らいだし、木石のごとき扱いを受ける。ストレス太りの腹を抱え、仕事の合間、数分外へ抜け出して深呼吸をする。それだけが会社で息を継ぐ方法だった。日々悪くなっていく両の目で中空を見やると、かつてあの中島らもが、その著書の中で労働について評した言葉が頭を駆け巡った。

これがサラリーマンというものなのだろう。屈辱を売って代価をもらうのだ。—―バンド・オブ・ザ・ナイト/中島らも 講談社文庫 p19 より

 なるほどだ。ならば自分の屈辱は、何とまあ安いものだろうか。と、給与明細を眺めながら思ったりした。とまあそんな具合で、上記の小説は数多くの示唆を僕に与えてくれた。それ以来、僕は尊厳とトレードオフで得られるものの大きさを考えながら、さらに数年間を働き通してきた。それは、薄氷とおろし金とを交互に踏むような生活と言ってよかったが、全ては金のためである。そう考えれば案外切り抜けられるものである。
 そしてようやく数か月前、僕は当初の目標額を貯めることに成功した。これで奨学金は完済できるだろう。社会のお荷物要素が一つ減った。そして、健康と屈辱は金に換えても余りにちっぽけな額にしかならないという事実が改めて腑に落ちたのであった。
 さて、ここまではすべて前置きである。と言うより、備忘録だ。ここまで記したのはゲーム制作と言う選択にたどり着くための自分の来歴である。こんなことを描くのは今回限りにしたいところだ。
 いよいよ、ゲーム制作関連の近況報告である。

 肝心のゲーム制作内容について。以下に9月から10月末までの進捗について報告する。
 9月半ばから開発を開始した。国内をめぐる長旅(長いのは距離だけであって全旅程5日間である)から帰り、当分は旅行しなくていいなと思った矢先。某discordサーバにて、インディゲーム開発者の方と歓談する機会があり、そこで発破をかけられたのだった。
 上記の通り、作りたいゲームの案は既にある。技術もないわけではない。ついでに、それまでは一応小説書きをしていたのだが、かつてない行き詰りを感じていた。ならゲームでも作ってみるか、と言った感じだった。色々なものを作ってきたが、創作衝動なんてのはそんなものである。軽率なくらいがいいというものだ。
 使う言語はHSP。これは10年前に学んだ言語で、正直時代遅れではあるが、今更他の言語に乗り換えたりゲームエンジンを使いだすための勉強をしたりするよりはとりあえず完成させるほうが先決だと思ったので、継続使用することとした。そもそも、言語が何であれ、きちんと作ればゲームは完成するんである。
 次にどのようなゲームを作るか。3Dだけはないな、と思った。なぜなら僕は3Dに弱い。見ているだけで酔うのだからどうしようもない。必然、開発するなら2Dゲームのみに限られる。
 そこで考えたのはこれだ。「クオータービュー式のローグライク」である。
 以前から、クオータービューの画面構成が好きだった。FFTAをはじめとするタクティクス系のSRPGゲーム。世界観がぎゅっと一画面に詰まったような、その箱庭感。これは3Dでは出せない雰囲気ではないだろうか。それに、3D全盛のこの時勢において、逆に全ドットのクオータービューで勝負するのも面白いんじゃないか? とも思ったんである。そういうわけではい決定。
 ゲームジャンルはローグライクだが、これは前々から作りたかったジャンルである。初代風来のシレンは死ぬほどやり込んだし、どのように動いているのかはだいたい頭の中で分かっている。これなら再現できる確信もある。実際10年近く前の話だが、途中まで作りかけたものもあるのだ。
 9月は上記のものをとりあえず画面上に描画できるように調整を繰り返した。描画はゲームをゲームとして成り立たせるうえで重要なものだ。高速化・効率化のために苦心惨憺した。
 特にマップ描画の描画順については大分悩まされた。クオータービューでない普通の見下ろし型描画であれば、描画順を考えるのは簡単である。地面を一番奥に描画してオブジェクトは奥のものから前に、順番に描画すればいい。
 しかしクオータービューでは、これが非常に難しい。何しろマップに高さがある。要は、マップの後ろにオブジェクトが存在しうるのだ。だからいちいち自機やオブジェクトのマップ座標上の位置を計算し、一枚一枚のマップチップの描画の際に、それらを差し込むように描画していく必要がある。
 また描画のサイクルにしても、単純にマップの行or列の一直線を描いてから、次の行or列へ、とやっていくといけない。これは見た目的には画面に対して斜めに描画していくこととなる。すると、例えばボスのような大きいオブジェクトを配置すれば、必ず左右のどちらかの端がそれ以降に描画したマップチップに隠れてしまう。

(画像1)君にはわかるかい?

 これを阻止するためにマップは画面に対して平行に描画するようにした。つまり、マップ座標に対して斜めに描画を行うのである。これを再現するのには大変骨が折れた。

赤で囲った部分が隠れなくなった。成功!
試行錯誤の最中。こういう計算がびたっとはまると気持ちがいいよな

 描画が出来たら次は素材である。ドット絵は普通の一枚絵に比べれば気楽であるが、それでも枚数が尋常でない。10月の大半はEDGE2を眺める時間だった。それにキャラクターも新規で起こさなければならなかったし、こちらも大分神経をすり減らした。結局、決定稿(画像2の自機)にたどり着くまでに二週間ほどかけた第一稿のキャラクター(画像1のキャラは仮置きなのでここですら登場してないんである。かわいそうに)を途中放棄することとなったが、決定稿は自分にしては大分良いデザインになったと自負している。
 色々まだ語りたいことはあるが、とりあえず10月の成果は以下の動画にてご確認いただきたい。

 10月までの作業内容はこんなところだ。成果はこれから作る予定の動画を参照してほしい。この文章よりはコミカルで見やすいものにする予定だ。
 キャラクターをデザインしていく過程で、世界観やゲームサイクルについてもできてきた。次回の報告ではそのあたりについてお話ししようと思う。

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