落ちぶれる家と人の財を啄む人々 (貧困層を利用した階級闘争)
いわゆる我が家は落ちぶれた家なんですけど(なんだよその出だし!)、同じ目にあう人が増殖するのも嫌なのと、最近それ関係の話題で悩ましい事があったので少しだけ恥晒しをしておきたいかなと。
とはいっても我が家は別に歴史ある名家という訳では無いし、富豪だったわけでもなく周辺地域の中では少しだけ富んだ家位の立ち位置だった感じです。
ふわっとしているのは身バレ防止の意図もあるのですが、詳細な話が聞けなかったのとそもそも聞く気がなかったからでしょうか。
断片的に聞かされた話を纏めてみると要所要所で困った相手に手を貸して手酷い裏切りにあっている様なのですよね。
この辺りをSNSで呟こうものなら「人を見る目が無かったんだ!」とのお叱りを無関係な方から頂きそうなのですが、別に恨み言を言いたい訳でも無いのでお帰りくださいという感じです(今日は珍しくバッサリ)
さて、ストックしていた本記事を再び掘り返したきっかけの話なのですが・・・ちょっと前に貧困層の行動思考みたいな記事や呟きを読んだのですよ。
助けてくれた相手の援助が途切れる、または薄くなると貧困層は逆恨みするみたいな内容だったかと思います。
ある部分で納得がいく内容とは思います。
そう書くと「人を区分けで判断するとは何事だ!」とか「そうそう、貧困層はその傾向があるよね!」的な反応が来そう・・・というか来ていた様な気もするのですが、私個人の認識をちょっとだけ補足したいと思います。
そもそも「貧困層」というのは言う程固定された身分なのか?という話で結局はその人が置かれた現状のステータスだと思うのです。
なので個人的には「貧困」に陥ると人間余裕がなくなり縋るものが限られてしまうので目の前の相手すら逆恨みしてしまう・・・という認識となります。
<視野が狭くなると起こり得る別の話>
要は私も貴方も何時その様な状態に陥り、追い込まれるかはわからない訳です。
勿論世の中には高潔な魂を持っていてどんな貧困だろうが清貧を貫く方はいらっしゃるとは思いますが、それでも人間の多くはやはり脆いのではないかと思います。
少なくとも私は脆い自信がありますね(笑)
さて、それが冒頭の話と何が絡むのかという話なのですが・・・
我が家の財を啄んだ人達は人のお金で裕福になったと思うのですが、ではその人達は引き続き貧困層なのだろうかと考えたわけです。
啄まれた我が家は別のトラブルを抱え込んだ事もあって絶賛貧困層に転がり落ちている真っ最中なのですが、少なくとも人の財を啄む人間よりは高潔なつもりではあるのですよね。
我が家の件に限らず人の財を啄んで大きくなる方々の話は枚数に暇がありません。そんな方々の一部は富裕層へランクアップしていても不思議ではないと思うのです。
では懐が満たされたその人達は高潔な魂を持っているのか?
そんな事を考えると貧困というのはあくまでステータスでしか無いのだなと改めて思うわけです。あ、私が高潔とかでは断じてないですよ。ハイエナと比較しての話ですからね。(謙遜ではなく、自分程度が高潔とは口が裂けても言いたくない)
ちょっと話題がとっ散らかりはじめましたので、何故この話をしようと思ったのかを整理します。
・碌でもない人間に財を啄まれて欲しくはないし、手を差し伸べる相手は選んで欲しい
・貧困層は碌な人間がいない等の階級闘争の思考に侵されて欲しくない
主にこの2点でしょうか?
私個人は碌でもない人間を救った事による(我が家的には)無駄な行為によって絶賛苦難を味わっている最中なのですが、別に恨み言等は無いのですよね。
別に自分の力で生きる事は出来たし、そもそも転げ落ちていく現状は私が下手に首を突っ込んだからで人生勝ち組ルート?の放棄も巻き込まれた点は一先ず置いて自分の意志で選んだことです。
せめて碌でもない人間が因果応報な目に遭うか、その子孫が反転して真っ当な人間として社会を支えてくれれば良いなと他人事的な距離感でこの感情と付き合っている訳です。
それでもそんな被害は少ない方が良いわけですよ。そして、どうせ助けるなら助けるだけの意義がある相手を助けてほしいなと。情や血縁だけで助けると大抵碌なことにはならないので。
で、もう一つの階級闘争についてですが「(手を差し伸べた階層を入れてね)〜は寝首を掻いてくる」的な話って騙された人には甘露の様に染み渡ってくる毒のような魔法の言葉なんですよね。
私は高潔ではないけど「ド畜生」でない自信はありますし、実際に人の為に生きて転げ落ちていった人も何人か目にしています。
宗教や政治の(本筋から外れた)怪しい話の多くは階層化、または分断化というか他者との違いを恣意を持って語る場合が多いと個人的には思っています。
国内を纏める為に仮想敵国への憎悪を焚き付ける過去に人類が繰り返してきた悲しい生存術の縮小版みたいなものですかね。
だから安易に階級闘争に引っかからないで欲しいのです。手を差し伸べて裏切られた貴方が、その反動から無関係な相手を「どうせお前らはこんな奴らだ!」と踏みつけるのは憎しみの再生産でしかありませんし、無関係に踏みつけられた側は溜まったものではありません。
ても人間ですから恨みつらみは溜まりますよね。だからこそ「助ける相手は選んでほしい」訳です。
助ける相手を選ぶってなんだよ!と言われそうなので・・・私個人の意見としては「裏切られても仕方が無かった」と思える相手かを見極める事ですね。
お前は一体何を言ってるんだAA(゚д゚)
裏切られない為に裏切られても仕方がない相手という論理破綻一直線な選択肢。これは人の心なんて誰にもわからないって話ですよ。だからこそ失敗した場合少しでも仕方がないと思う相手を選ぶのです。
手を差し伸べないと相手が野垂れ死んでしまう・・・それは嫌だ!
そんな気持ちがない相手を惰性で助けた場合、更に裏切られるとまぁ恨みに精神が支配される気がします。
信頼した相手に裏切られた方が辛いんじゃないか?
たしかにそうですね。なので状況によるんだと思います。なのでここでは自分が手を差し伸べるだけの余裕のある立場を想定しています。(裏切られたら即破滅ではない感じ)
この辺の話は「人にお金を貸すならあげたつもりになる」のと同じ空気を感じますね。実際に私自身が帰ってこなかったお金を振り返っても、あげたつもりのお金に関しては相手の糧となったのならそれで良いと割り切れています。
でも納得いかないものの、立場上仕方なく用立てたお金であれば例え数百円でも数十年単位で恨み節を呟きそうになります(笑)
こんな食生活をしている人間が割り切れるのですから・・・やはり納得がいくか、覚悟が決まるかというのはとても重要な要素なんだと再認識します。
そんな訳で皆さんも石油王以外は惰性で人助けはしない様に注意しましょう・・・その身を蠱毒に侵されない為に。そして安易な階級闘争の尖兵とならない為に。
但し貴方が後悔しない為に、そして必要だと思い手を差し伸べるのであればそれは正しい行動なのだと思います。
貴方の献身が実を結び、手を差し伸べた相手が蘇る事を切に祈って。
<前のお話>
<前のお話>
<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ