雨の日はベッドに恋する。


雨の日は眠い。


そのことに気づいたのは中学生の時だった。


共感してくれる人も居れば、共感してくれない人も居た。

私の人生で出会う人は、ほとんど後者だった。


自分だけ? そう思ってきたけど、27歳になった今もやっぱり眠い。

すなわち今日も眠い。今日は結構な量の雨が降っている。


私は生粋のロングスリーパーなのでほとんど毎日眠い。

だから「雨の日は眠い」というよりは、「雨の日は睡眠が捗る」と言った方が正しい。



朝だろうが昼だろうが夕方だろうが、雨の日の室内はなんとなく薄暗く、この現象はどこであれ変わらない。

13歳、実家の部屋。17歳、学校の教室。24歳、オフィスの中。27歳、ひとり暮らしの部屋。

使っている灯りは違うはずなのに、それぞれが少しずつ暗くなる。

特に「学校の教室」の蛍光灯は、たまらなかった。雨の日はさも人工的に煌々と輝くので、その不自然さがなんか好きでいつもいつも見とれていたら、いつからかそれを見ただけで眠気を連想するようになった。



雨模様の日はたいてい気温も下がるので、夏はひんやりとした布団が恋しく、冬はふかふかの布団が恋しかった。


学生の頃、雨が降った日には またたく間に帰宅しベッドへ潜る。

夕方に眠ることを「お昼寝」と呼べないから、私はこれを「お夕寝」と呼んだ。「おゆうね」。これは私の中で最高に甘美な言葉だった。目を覚ますころには もうすっかり夜になっていて、この世から取り残されたように虚しくなって、それを取り返すみたいに、あるいはもっと深く空想の世界へ潜るように、ラジオを聴いて本を読んだ。中途半端な時間に眠ったせいで夜は眠れない。そう分かっているのに、「雨の日のお夕寝」に勝る気持ちよさは他には見当たらなかった。そのせいで私の好きな音楽や言葉は、いつも夜中に培われた。



会社員になってからは お夕寝ができなくなった。

そもそも そんな習慣や快感を忘れていた。


絶賛在宅勤務中の今日、久しぶりに終日雨が降った。18時ぴったりにPCを閉じて、ぼんやり煙草を吸っていると、なんとなく眠気に誘われる。夜に近づくにつれ雨足は強くなり、ざーざー、ぽたぽた、と雨音は一定のリズムを刻んだ。私はその音に安心感を覚えながら、久しぶりに雨の日のお夕寝をした。

なんとも言えない薄暗い部屋の中、ひんやりしたお布団に包まれて心おきなく眠る。眠るという行為は本当に不思議だと思う。意識がないのに体だけは変わらずそこにあるし、意識がないのに夢を見たりする。その夢の中では自分はコロコロと色を変え、どこにだって飛んでいける。過去にも、未来にも。それはまさに「空想」だし、私は若いころ、眠ることで空想の世界に逃げ込みたかったのかもしれない。


目が覚めると20時近くになっていた。

お夕寝が習慣だった頃に比べてずいぶん歳をとったけど、「世界から取り残された感」はあの頃のままで、それすら少々愉快だった。



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