これからも、一緒に生きましょう
生きてる意味って、なんなんですかね。
たとえば太陽が煌々と輝く真昼間、から揚げ定食を食べながら訊くことだって、できた。
それくらい、フラットな関係だった。
彼は私をよく知っていたけれど、
私は彼をよく知らなかった。
声も、髪も、着ている服も、口癖も思考も恋人の有無も、知っていたけど「知らなかった」。
目に見える全てを知っていたって、
何時間何日間何年間語り合ったって、
私は彼をよく知らない。
「知っている」という方がおかしい。
「知っている」という方が退屈だ。
もしも、私と彼が懇意であると察した人から、「彼ってどんな人?」と尋ねられたとして、私はやっぱり答えられない。
私は結構、観察力が鋭い、と思う。
これは自分に自信がないからで、
あの人はこう、この人はああ、といった具合に、他人の傾向を分析し、対策を練り、自分がとる行動を決める。
これはだれだって少なからずやっていることなのだけど、
私はこの「観察し、傾向を分析する」のが、やや得意だ、と思う。
だから彼のことをわからないなんて、私としては珍事件だ。
でも理由なら答えられる。
彼のことを分析する必要が、はなから なかったから。
分析などしなくたって、傾向と対策など練らなくたって、私たちの関係は緩やかに、しかし確かに、根を張る木のように、呼吸をしていったから。
私たちはこの世の疑問について山ほど語り合ったけど、
生きている理由にだけはたどり着けなかった。
死んでいないから生きているだけ、とか、生きている意味はそもそもない、とか、そういったのが結論になった。
私はそれを少しだけ、腑に落ちないと思っていたし、
一生解けない謎のようなもの、と理解した。
6月の中旬、私は仕事を辞めたので、
その場で出会った人たちのことをそれなりに考えたりした。
想いが溢れ、涙を流し、別れに後ろ髪を引かれる感覚もあった。
たくさんの目を見て、たくさん話をした。
そして見つけた、生きている意味。
私は別れの時、大切な人に生きていてほしいと願った。
自分だってもうしにたいと思ってきたくせに、
他人など関係ないと考えてきたくせに、
ただ大切な人には生きていてほしいと思った。
とんだわがままだ。
だから私はこう思った。
だれかに生きていてほしいと願うなら、私も生きよう。
私に生きてほしいだれかが居るうちは、私も生きなければならない、と。
深夜一時の電話口、彼に「生きている理由を見つけた」と話した。
彼は柔らかく相槌を打ち、じゃあ生きてみよか、と言った。
私は家の中で一番声が外に漏れない、洗面所で話をしていた。
栓のゆるい蛇口から、水がぱたぱた落ちる音がした。
彼は私をよく知っていた。
笑い声一つとったって、私の意図を否応なしに汲み取る。
私はそれを嫌だと思わない。
見透かされていることを恐怖ととらず、喜びだと受け取る。
根を張り生きる木のように、強くしなやかな関係なので。
何度別れを遂げたって、何度心を壊したって、人生は続く。
ぱたぱた旗を揺らすように。旗と旗が時折、同じ角度へ向くように。
人生はまだ続く。たぶん、もうちょっとだけ続く。
だからこれからも、一緒に生きましょう。