レヴィナス 『全体性と無限』

〇絶対的他性とロゴスとしての帝国主義的存在論
〇一般化としての統覚作用はそのまま自己同一性の権能である。
〇顔は現象しつつ、その裸出性において無限責任を要求する。
〇顔との対面において、人間は主体化し、そこに倫理が生起する。

 全体性と無限―同と他との対比を通じて、絶対的他性の観念を構築し、倫理学を第一哲学として構想する著作。ヘーゲルの全体性、フッサールの志向性、ハイデガーの世界内存在が重ねられて、本来取り込むことのできないはずの他者が自己の存在論に分解されてしまう、この動態が同化である。他方、レヴィナスはデカルトの無限観念の生得性を参照しつつ、こうした「帝国主義的自我」の権能をはみ出す絶対的他性を導出し、これを「顔」と命名する。同としての全体性は存在の「ロゴス」であり、例外的なものを一般化し同のうちに集摂する。この例外の還元は表象と概念の統覚作用であり、カントのいう通り統覚とは自己の同一性に根差すものであるから、他の同化は自己保存の努力と連動している。こうした全体化を破るのが無限としての顔である。顔は現象として確かに現前しつつ、その奥に物自体としての無限を控えている。顔は志向性を逃れつつも私にその裸出性、無防備さを伝える。私には「汝殺すなかれ」という命令が謎のままに届き、私は無限責任の主体として暴力的に主体化される。この責任は果たせば果たすほど増大していく無限なのである。レヴィナスはこうした自他の非対称性のうちで倫理が生起する場面を記述しようとしているのである。

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