『ありえない仕事術:正しい”正義”の使い方』 読了
<概要>
「仕事術」と称して、仕事の本質とは何か?ではなく生きることの本質とは何か?問わざるをえない、ある意味、読者が騙される著作。
<コメント>
「仕事術」と冠した著作を、「仕事」を引退した自分が読む理由も全然ないのですが、そして著者の制作したテレビ番組は見たことないのですが「著者の番組を是非みてみたい」と思わせるような読後感でした。
本書は日経ビジネス及び、
YouTubeのPIVOTなどで取り上げられていて、その独特の風貌と独特の価値観に興味を持って読んでみたのです。
⒈その成功の先に幸福は用意されているか
著者の著述家としての表現力が素晴らしいので、そのまま引用したくなってしまいます。
本当にあなたのやりたいことは何ですか?
自分自身に本気で問いかけたことはあるでしょうか?そうしないと、ふっと我に帰った時に「俺何やってるんだろう」となります。
でも「俺何やってるんだろう」って全然思わない人もたくさんいて、そう言う人は今まさにその人生を謳歌していると私は思うので、「そのまま」で全然OKだと思います。そしてそんな幸福な人は、むしろ本書を読むことは害毒です。
でも私もそうですが
「自分は、どう生きるべきか、どう生きるべきでないか?根本的に考えたうえで生きたい」
と思っている人間にとっては、何よりも大切なこと。人間は誰しも幸せに生きることが「べきこと」だと私は思っているので、今わたしがやってることは自分の幸福につながっているんだろうか?と問わざるをえません。
そして次の言葉は、仕事を引退した自分にとっては耳が痛い。
とはいえ、仕事をしようがしまいが、
とのことで「その道」は人それぞれきっとすべて違うはずです。幸福は100万人いれば100万通りあると私は思っているので。。。。
でも著者もいうように、それってなかなか難しい。
なので著者的には「欲望の棚卸し」をしてみたらどうでしょう、と提言しています。幼い頃からの記憶を辿って自分が心地良かった瞬間、嬉しかった瞬間、楽しかった瞬間を棚卸ししてみよう、ということです。
⒉競争から離れて、自分の「心」に矢印を向ける
(特にキャリア志向の人の場合)私たちは、小学校に上がって以来、ある意味ずっと椅子取りゲームをし続けているわけで、会社に入っても、個人的にはバブル入社だったから同期が大量にいて、出世競争や花形職場の獲得競争で、タイヘンでした。
「出世はそこそこでいい」と思っていても、出世ランクや職場の種類(仕事の中身ではない)でレッテルを貼られるのが大企業の宿命。この競争から脱落すると、ある意味「人間扱い」されなくなってしまうのが非常にツラいところなのです。
だから、本人はその気が無くても、その大きな渦に巻き込まれざるをえない。そんな社会が大企業の社会。
でも本書によれば「これではいけない」として、その事例を「第二部」でドキュメンタリー制作のケーススタディで詳しく紹介してくれています(衝撃的内容ですが)。
特に競争(=名誉の獲得といってもよい)やオカネに巻き込まれて自分を見失うと、人間は「ズル」をしがちになります。
実は著者の提言はシンプルで、どんな職場で、どんな仕事で、どんな立場で仕事をしようが
「誠実に仕事をすれば、きっと幸せはやってくる」
ということです。というか「仕事」だけでなく「生きる」ことそのものが、そうなのかもしれません。
⒊単純作業も無駄ではない
個人的に会社で時給1000円でも良さそうな単純作業を散々やらされたのですが、著者によればそんな単純作業でも決して無駄ではない、といいます。
今の仕事が「自分でなくてもいいいのに」と思えてしまうものであればあるほど「あなたは幸運だ」といいます。それは最高に「割りのいい修行」だから。
なぜならあらゆる仕事において、成否を分けるのは「忍耐力」だから。
個人的には、仮にその仕事が失敗したとしても忍耐力を持ってやり切れば後悔がない。
そしてその失敗を糧として次の仕事に活かせます。でも忍耐が続かずに途中で諦めてしまうと中途半端になって、成功しようがしまいが、後で「やっときゃよかったな」と思ってしまうのです。
⒋「世界は私に興味を持っていない」から始めよう
ここは、特にテレビマンならでの提言。例えばYouTuberに向けては
だったらどうやって「興味を持ってもらうか」のノウハウがいくつか紹介されています。
⑴自分より哀れな人を見たい
これもなるほどなと思ってしまいます。よく言われる「ニュースは人の不幸をみるためにみる」というやつです。著者的には「自分は世界で一番不幸な存在ではないのだ、ということを人は確認したい」ということ。
「江戸時代に被差別部落民をおく」「インドのカーストで不可触民をおく」というのと同じ人間心理。
⑵他者の欲望を知りたい欲望
ついつい行列を見ると「なんだろう」と反応せざるをえないのが人間。ランキングが人気があるのも、YouTubeの再生回数についつい目がいってしまうのも同じ現象。
⑶伝家の宝刀「Q&A」
私も同じですが、興味をひいてもらうためにわざとブログのタイトルを「疑問文」形式にするのがこれですね。なんとなく「なぜか?」「どういうことか?」を言われてしまうと、ついつい人間は答えを知りたくなってしまう。
そして、特にその筋の専門家やプロの人、あるいは世間の大多数がどう思っているのか、意見を聞きたくなってしまうのも人間心理。
私の場合、今日のサッカーの試合はプロや専門家はどう評価してるんだろう、と思って小澤一郎や
レオザフットボールのYouTubeをついついみてしまう。
地上波テレビのバラエティで言えば、マツコデラックスみたいな人か。
⑷そのことはあなたしか知らない
これも強く同感。
一時期、企画書や報告書など人に読んでもらって理解してもらう仕事をしていた自分の場合、無意識に資料を作ってしまうと、自分しかわからない資料になってしまいがちです。
つまり「理解してもらう人」の立場に立った資料では無くなってしまうのです。相手に理解され、受け入れられない資料は「資料」ではありません。そんな資料はゴミです。
なので、何も私の仕事を知らない人(別の担当の同僚や妻など)に何度も読んでもらって修正していましたし、自分一人でも1回資料を作ったら「寝かせて」いました。資料を作成したらすぐに見返すのではなく、あえて翌日にまた読み返してみるのです(いわゆる時間をおいた「推敲」という方法)。
テレビ制作者だった著者の場合は、これを「前提知識共有幻想」と呼び、
以上、私がここで書き留めたい内容を自分の感想・意見含め、整理しましたが、特に第二部は、一気に読んでしまう、心に響く内容なので、ぜひ最後まで読んでもらいたい好著です。