見出し画像

「暇と退屈の倫理学」その3「系譜学」

人間はいつから暇を持て余すようになったのか?著者は「人類が約1万年前に定住生活を始めてからだ」としています。

■定住生活がもたらした不都合

人類(ホモ・サピエンス)が20万年前に誕生以降、定住生活が始まったのは最速1万年前だから、人類誕生以降95%の期間は遊動生活。この1万年で我々は定住生活により適応した遺伝子に一部進化しさせた(牛乳が飲めるなど)とはいえ、まだ我々の身体は遊動生活に適した遺伝的形質の方がより多く持っているに違いありません。

もともと狩猟採集社会で遊動社会だった人類が定住した理由について本書では、西田正規「定住革命」の知見を参照しつつ展開します。

西田の仮説はわたしが以前読んだリチャード・C・スコット著「反穀物の人類史」の仮説と異なる部分もありますが「定住してから農耕が始まったという」という大枠の見解は同じ。

西田によれば

①氷河期が終わりを告げた約1万年前、温暖化が進み、中緯度帯が森林化
②森林が拡大すると有蹄類などの大型獣が減少。
③赤鹿や猪などの小型獣が増えるが見つけにくい
④狩猟だけでは生活できない
⑤森林化によって植物の特性も変化した結果、通年採集から季節採集に変化
⑥貯蔵や農耕牧畜が必要となる

この結果、定住を余儀なくされた人類は、定住生活の弊害を克服する必要に迫られます。

*定住生活に伴う人類社会の変化

①そうじ革命・ゴミ革命

遊動生活では不要だったゴミ捨て場やトイレが必要になった。これに伴い人類の行動様式もゴミ捨て場で廃棄する・トイレで排泄する、といった行動様式を身につける必要に迫られた

②死者との関わり

遊動生活では不要だった墓場が必要になった。これに伴い、死者に対する意識も変化し宗教的感情をもたらす要因のひとつとなった。

③私有財産の誕生

貯蔵を前提とした生活なので、私有財産という概念が生まれ、貯蔵の格差→貧富の格差が生まれた。

■定住生活が「暇」をもたらした

上記のほか、何より我々に大きな影響を与えたのは定住生活によってもたらされた「暇」だと著者(と西田)はいいます。

遊動生活では移動のたびに新しい環境に適応せねばならない。新しいキャンプ地ではその五感を研ぎ澄まし、周囲を探索する。どこで食べ物が獲得できるのか?水はどこにあるのか?危険な獣はいないか?薪はどこで取ればいいか?寝る場所はどこか?・・・・

こうして新しい環境に適応しようとするなかで「人の持つ優れた探索能力は強く活性化され、十分に働くことができる。新鮮な感覚によって集められた情報は、巨大な脳の無数の神経細胞を激しく駆け巡るであろう。

ところが、

定住者がいつも見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失っていく。人間はその優れた探索能力を発揮する場面を失っていく。だから定住者は行き場をなくした己の探索能力を集中させ、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面を求めなければならない。

この結果、

高度な工芸技術や政治経済システム、宗教体系や芸能などを発展させてきたのかも合点がいく。人間は自らの有り余る心理能力を吸収するさまざまな装置や場面を自らの手で作り上げてきたのである。

というのです。したがって西田は

退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである。

ただし一般に言われているのは、狩猟採集社会は労働時間が定住社会(=農牧畜社会)と比べて比較的短く、著者(および西田)の見解とだいぶ異なります。

今日、豊かな社会の人は、毎週平均して40~45時間働き、発展途上国の人々は毎週60時間、あるいは80時間も働くのに対して、今日、カラハリ砂漠のような最も苛酷な生息環境で暮らす狩猟採集民でも、平均すると週に34~45時間しか働かない。狩りは3日に1日で、採集は毎日わずか3~6時間だ。通常、これで集団が食べていかれる。

[ホモサピエンス全史(上)第3章]

著者が言いたいのは「単純な労働時間」というよりも、先述の「有り余る心理能力の働く時間=考える時間」の方のようです。一般に農業は大半が単純作業の塊なので。。。

「考える時間が長いか短いか」を「暇があるかないか」の基準にしているようです。

*和歌山県:丸山千枚田(2022年5月撮影)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?